国の指導者の器量、国際感覚が国の現在と将来に大きく響くことは間違い無い!

・三条 健です。
・「民主党代表選に 血が騒がない主たる理由は、タマがよくないからだ!」はかなりの多くの国民の認識に一致している。
戦後のドイツと日本との比較論は 面白いし、的を得ているのではないか。
ドイツ国民は アデナウアー、ブラント、シュミット、コール、シュレーダーメルケルと歴代の首相のもと、多くの課題を消化して今日に至っており、しかも、現在の国家財政は極めて健全である。
指導者の器量、国際感覚が国の現在と将来に大きく響くことは間違い無い!

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首相の器量とは何か、を考える    岩見隆夫
2010.09.09 Thursday

 選挙はもともと血が騒ぐものだが、進行中の民主党代表選はあまり血が騒がない。菅直人首相の選対本部長をつとめる江田五月参院議長が、 「さわやかな選挙が上策で、選挙を回避して無投票というのは中策、どつき合いの激突は下策だ」と言ったという。この発言には、疑問がある。
早くから日程が決まっている代表選に、現職に対抗する候補が出ないのが最悪で、それこそ下策ではないか。いわんや菅さんの評判は決して芳しくないのだから、対抗馬が立って当然、立たないほうがおかしい。だから、ゴタゴタの末、菅さんと小沢一郎前幹事長の対決に落ち着いたのは、とりあえずよかった。
次に、さわやかとどつき合いの違いはどこに線が引かれるのか。首相を決める争いだ。激突するのは当然で、単純にさわやかにとはいかない。一つの目安は、中傷合戦とカネだ。どちらも使われる、と私はみている

現ナマ飛び交う、と言えば三十八年前の〈角福戦争〉をどうしても思い起こすが、あの時はカネの動きがまるで筒抜けのように、私たちの耳にも入ってきた。それだけ、隠微な感じは薄かった。
今回は、最初から〈政治とカネ〉が争点の一つになっているので、裏でカネが動いても深く潜行するだろう。それが気になるが、まあ、投票日を待つしかない。

さて、血が騒がない主たる理由は、タマがよくないからだ。菅さんは首相就任直後の消費税騒動でミソをつけて以来、何かと精彩を欠く。首相の適性を疑う声が少なくない。小沢さんは〈政治とカネ〉の疑惑が消えない。政治体質にも不安を覚えるものが多い。双方、弱みを抱えての出馬だから、観客席も熱を込めて応援、というわけにはいかないのだ。
この機会に改めて言いたいのは、首相の器量の問題である。代表選が始まって、旧友のMさんから手紙が届いた。
いまのような貧相な権力闘争にうんざりしてのことだろう。次のくだりがあった。

〈戦後のドイツ国民は、アデナウアーという偉大な指導者のもとに、経済的にも精神的にも復興を遂げました。例えばユダヤ人虐殺問題は……EU、……NATO、……ドイツ統合、……ユーロ、……以上、いずれを取っても国家的な大問題ですが、ドイツ国民は
ブラント、シュミット、コール、シュレーダーメルケル
と歴代の首相のもと、これらを消化して今日に至っております。

しかも、現在の国家財政は極めて健全です。国が違うから参考にならないと言われれば、それまでですが。……何とか我々の孫や曽孫の時代までに、良き政治的指導者を得て、国民が精神的活力を取り戻すことを切に祈るのみです〉
まったく同感である。変転極まりない国際情勢のもとで、日本はどこに行ってしまうのか。Mさんはもとより、案ずる国民が多いが、次々登板する指導者が甚だ心もとない。

◇甚だ心もとない指導者   世界見据え首脳外交を:
しかし、かつての日本には指導者らしい指導者がいた。
吉田茂首相は敗戦九年目の一九五四年秋、西ドイツを訪問しアデナウアー首相と会談して意気投合している。
吉田さん七十六歳、相手は七十八歳だった。多少お世辞も含めてこんなやりとりをした、と著書『回想十年』(一九五七年・新潮社刊)に吉田さんは記した。

「私はかねてから貴下を私の競争相手だと思っていた。同じころに首相として同じような条件で政治を担当したからです。貴下と私と、いずれが早く経済復興、自国再建に成功するか、私は心に留めてきた。ところが、西ドイツにやってきて、目のあたり実情を見せられ、話を聞くに及んで、これはまさしく私の方が負けだと感じた。きれいにカブトを脱ぎます!」
と吉田さんが持ち上げると、ア首相は文字どおり呵々大笑しながら言った。
「そんなことはない。もしも私が日本を訪れたら、やはり貴下と同じように、私は負けた、と言わざるをえなかったと思う」
「それはとんでもない。いま貴下に日本に来て実情を見られては、甚だ困る」と吉田さんが応じて、爆笑になったそうだ。
また、福田赳夫さん(のち首相)が岸信介首相のお伴でア首相に会った時は、
「私は身の安全に自信を持っている。日本の武者が二人も私を警護してくれているからです」
と顔をほころばせた。岸さんが贈った日本の甲冑武者二体がア首相の邸宅の玄関に飾られていたのだ。かつての日独両首脳の親交ぶりがしのばれる。
宮沢喜一首相は一九九〇年九月、ボンでコール首相と長時間話している。コールさんは、この時、
ドイツ統一が一カ月たらずに迫ったいま、私は夢を見ているような気持ちだ。今世紀中に統一が実現するとは考えたこともなかった。まことに感慨無量、宮沢さん、あなたがいま座っておられる椅子に、しばらく前にソ連ゴルバチョフ大統領が座っていたんです」
などと興奮まじりに語ったという。コールさんについては、橋本龍太郎首相が在任中、ほろ酔い加減で、
「実はね、コールに電話して、『頼む』と言ったら、『オーケー、わかった』と即座に応じてくれて、エリツィン(ロシア大統領)との仲を取りもってくれたんだ。それからだよ、ぼくがエリツィンといい関係になったのは。コールには本当に感謝してる」
と打ち明け話をするのを聞かされたこともある。橋本さんは北方領土交渉に熱心で、多少自慢げな感じでもあったが、結構、日本の首相が各国首脳と交流を深めてきたのも確かだった。
Mさんがうらやむ戦後の歴代ドイツ首相について、私が耳にはさんだ接触の一部を記したが、
ある時期まで日独は肩を並べていたような気がする。いつのまにか差がついたのは、自らの歴史と向かい合う姿勢、勇気の違いのようにも思うが、やはり指導者の器量、国際感覚が大きく響く。

どちらが首相になっても、世界をしっかり見据え、首脳外交を怠りなく。(サンデー毎日