中国は毛沢東以来、共産党の「革命体制」の下にある国家であることを忘れてはならない!

・三条 健です。
・中国は毛沢東以来、共産党の「革命体制」の下にある国家であることを忘れてはならない!
・フランス紙、ルモンド(10月1日付)の社説が「中国という粗暴な列強の懸念すべき相貌(そうぼう)をすべての住民に示し、指導層に刻み込んだ出来事」と評した。
・「日米中正三角形論」とか、「東シナ海を『友愛の海に』」といった情緒的な対中認識に耽(ふけ)る鳩山という名の隙だらけのぼんぼん政治家は 共産党のターゲットとなりやすい。


〜〜〜メディア報道の一部<参考>〜〜〜

【正論】東洋学園大学准教授・櫻田淳 
 尖閣が迫る安保政策の「宿題」   2010.10.14 03:11
≪事件が見せたおごる平家≫:
 尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件に端を発した日中摩擦は、収束に向かっている。ただし、筆者は現下に飛び交っているような対中批判の言辞には関心はない。此度(このたび)の紛糾を招いたのは、中国が毛沢東以来、共産党の「革命体制」の下にある国家であることに眼を背け、「日米中正三角形論」とか、「東シナ海を『友愛の海に』」といった情緒的な対中認識に耽(ふけ)る政治家が、日本に続出したことではないのか。
 筆者は、本欄で幾度も、『漢書』や『資治通鑑』といった史書にある次の言葉を紹介した。

 「小故を争いて恨み、憤怒して忍ばざる者、之を忿兵と謂(い)う。兵の忿(いか)る者は敗れる」、「人の土地、貨宝を利する者、之を貪兵と謂う。兵の貪(むさぼ)る者は破れる」、「国家の大なるを恃み、民人の衆きを矜り、敵に威を見(しめ)さんと欲する者、之を驕兵と謂う。兵の驕(おご)る者は滅ぶ」

 昨今の中国の対外姿勢に現れるのは、この「忿兵」、「貪兵」、「驕兵」の様相である。尖閣事件に際して、胡錦濤国家主席温家宝首相麾下の中国政府が採った一連の対応は、日本国内における対中共感を顕著に減退させたし、他の国々における対中警戒と対中批判の空気を劇的に高めた。

≪中国の外交的勝利といえず≫:
 例えば、此度の紛糾に関して、フランス紙、ルモンド(10月1日付)の社説が「中国という粗暴な列強の懸念すべき相貌(そうぼう)をすべての住民に示し、指導層に刻み込んだ出来事」と評したのは、その代表的な反応であろう。中国政府は、周恩来トウ小平といった現実主義者が行った「大人の国」としての自己演出の成果を一挙に水泡(すいほう)に帰せしめた。中国政府もまた、自らの先人の言葉が教える通り、「兵の貪る者は破れる」や「兵の驕る者は滅ぶ」の例外ではないのであろう。巷間(こうかん)、此度の紛糾の結果を「日本の外交上の敗北」として評する向きがあるけれども、それは果たして「中国の外交上の勝利」であったのか。

 振り返れば、麻生太郎内閣期、2009年8月に提出された「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・勝俣恒久東京電力会長)報告書では、「集団的自衛権の政府解釈再考」、「武器輸出三原則の緩和」、「PKO(国連平和維持活動)参加五原則の再考」といった対応が提案されている。
 そして、この8月下旬、菅直人首相に提出された「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・佐藤茂阪神電鉄CEO)報告書でも、勝俣懇談会報告書と同じ趣旨の政策対応が提案されている。勝俣懇談会報告書にせよ佐藤懇談会報告書にせよ、そこで提案されている政策対応には、基調としては大差がない。

 これに加えて、佐藤懇談会報告書は、尖閣事件以前の議論の結果を反映したものであるにせよ、尖閣諸島に類する離島防衛の要を強調している。日本の安全保障政策の文脈では、「何が手掛けられるべきか」という処方箋(せん)は、既に大方(おおかた)、示されているのである。

≪この機に乗じる意志が必要≫

 日本に問われているのは、安全保障上の「手掛けられるべき事柄」を実際に起動させる政治上の「意志」に他ならない。従来、そうした「手掛けられるべき事柄」は、諸々の政治上の制約によって「宿題」として積み残しにされてきた嫌(きら)いがあるけれども、尖閣事件は、そうした「宿題」を片付けるためのハードルを確実に下げたはずである。その意味では、安全保障政策上の「宿題」に取り組む契機を提供した中国政府には、感謝状の一枚は贈呈されるべきかもしれない。そして、その機会に乗ずることができるかは、菅内閣の「意志」に拠(よ)るのである。

 とはいえ、こうした安全保障上の「宿題」を硬化した国内世論の後押しを受ける体裁で片付けようとするのは、安全保障政策の展開の仕方としては、本来は邪道の類に他ならない。それは、「兵の忿る者は敗れる」の趣を帯びるからである。加えて、現在の局面での「宿題」の処理は、中国に対する牽制(けんせい)、あるいは挑発の色彩を濃厚に帯びざるを得ない。そのことは、対中関係全般を展望する上では、決してポジティブな意味を持たないであろう。しかし、それでも、「宿題」の処理は進めなければならない。

 故に、尖閣事件を機に反省すべきは、夏休みの終わりにならなければ宿題に手を付けない小学生にも似て、こうした突発事件によって追い込まれなければ安全保障政策上の進展を示さない(あるいは追い込まれても動かない)日本の習性である。枝野幸男民主党幹事長は、中国を「悪しき隣人」と呼んだと報じられたけれども、こうした政治家による対中批判の言辞の披露は、現在の局面では率直に無意味である。与野党の政治家には、中国に対する余計な感情を交えず、「冷静に粛々と」という姿勢で、安全保障政策上の「宿題」の処理に精励することを期待する。「喉(のど)元過ぎて熱さ忘れる」の結果に終わってはならない。(さくらだ じゅん)