・憲法第9条を片手に平和を説いても 日本を守れない!

三条 健です。
憲法第9条を片手に平和を説いても 日本を守れない!
・日本の憲法が日本を普通の主権国家として機能させるうえでの大きな制約を築いていることは否定のしようが無い。
・無法国家中国から 恫喝(どうかつ)、「人質」、「経済制裁」などと言いたい放題、やりたい放題の仕打ちを受けた後、謝罪と賠償を要求された。
・戦後体制蝉脱(せんだつ)の狼煙(のろし)を上げる秋(とき)が到来している。

〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜

いまこそ憲法を再考しよう
古森義久    2010.11.13 Saturday

 日本の国が国らしく機能していないと感じさせられる今日このごろ、国の根幹となる憲法について考えることも大切でしょう。
 日本の憲法が日本を普通の主権国家として機能させるうえでの大きな制約を築いていることは否定のしようがありません。そのへんのメカニズムを杏林大学名誉教授・田久保忠衛氏が書いています。

◆忘れ得ぬ江藤淳氏の貢献:
 いま、私は30年以上前にワシントンDCのウッドロー・ウィルソン国際学術研究所で研究活動をしていたころを思いだしている。
 1980年3月に同じ研究所にいた江藤淳氏が、占領下における検閲についての中間発表を行い、満席の米政、財、官、学界の関係者をしんとさせた。日本国憲法草案作成にあたって重要な役を演じた、当時のGHQ民政局次長、チャールズ・ケーディス氏は、老体ながら杖(つえ)を前にして鋭い目付きで耳を傾けていた。
 終わった後、駐日公使だったリチャード・フィン氏が来て、「江藤はどうして過激な発言をするのか」と怒る。私は「江藤発言を誇りに思っている」と応じた。が、フィン氏は晩年になって日本の改憲派を目の敵にしなくなった。
 江藤氏は帰国後、『閉された言語空間−占領軍の検閲と戦後日本』、『一九四六年憲法−その拘束』を次々に世に出し、その影響もあって自民党奥野誠亮氏らが改憲論を燃え上がらせた。それが燎原の火にならなかったのは、空想に基づいた憲法と厳しい国際環境の懸隔を国民全体が肌で感じ取れなかったのと、少数の人々以外は自民党内で国のために身を捨てる覚悟も気迫も薄れていったためとしか言いようがない。結果が、政治のこの体たらくだ。

◆戦後体制象徴の前提崩れる:
 憲法にはいくつもの問題があって研究は出尽くしたが、はぐらかしてはなるまい。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との途轍(とてつ)もない国際情勢、安全保障観で日本は生きていけるのか。
 第9条で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と手足を縛り上げられては、世界有数の精強な自衛隊でも機能できないのだ。身命を賭(と)して国を守る誓いを立てて入隊した隊員は国の有事に備えるのが本務であって、災害救助は本来の仕事ではないことも分からない人々が増えてきてしまった。
 それはともかく、戦後体制の象徴である憲法の前提はわれわれの目前で音を立てて崩れている。

 領海を侵犯した中国漁船が、取り締まろうとした海上保安庁の巡視船に加速して衝突してきた。日本側が撮影したビデオは、中国を刺激してはいけないとの臆病(おくびょう)から公表できないでいる。事件から2カ月になんなんとするのに、ただの一度の抗議もしてない。
 そもそも、事件の性格からして日本外務省が駐日中国大使を呼びつけて抗議すべき筋が、逆になってしまい、丹羽宇一郎・駐中国日本大使は5回も中国外務省などに足を運び、抗議された。恫喝(どうかつ)、「人質」、「経済制裁」などと言いたい放題、やりたい放題の仕打ちを受けた後、謝罪と賠償を要求された。ハノイの首脳会談も土壇場で拒否された。

 軍事力を背景に南シナ海で既成事実を作り上げた中国は東シナ海に出てきたが、非常識は世界中の顰蹙(ひんしゅく)を買い始めた。尖閣事件以前から中国が企てていたのはレアアース(希土類)の対外輸出制限だが、事実上の対日輸出停止を機に衝撃波は米欧諸国に広がりつつある。かつてトウ小平が「中東に石油があると同様に、中国にはレアアースがある」と嘯(うそぶ)いたとおり、中国はこれを武器に使って国際経済秩序を揺さぶろうとしている。世界貿易機関WTO)の常識を無視する無法国家の印象は当分、消えまい。

◆中国、無法国家として台頭:
 中国の民主活動家、劉暁波氏がノーベル平和賞受賞者に決定した10月8日前後の中国政府の言動は尋常ではない。事実報道を規制して、劉夫人を自宅に軟禁状態に置き、ノルウェーの閣僚との会談予定を取り消して、同国政府に抗議した。ノーベル賞委員会は議会が任命するのであって、政府は関係がないにもかかわらず、どうしてこのような無茶を平気でやるのであろうか。
 中国の狂態は、劉暁波氏が起草者の一人となった「08憲章」が一党独裁体制にどれだけ深刻な打撃になっているかを物語っているのかもしれない。体制護持のためとはいえ、普遍的価値観に挑戦したリスクの大きさに、この国の指導者は気づかないのだろうか。

 国際社会で孤立していく中国を眺めながら、無為無策菅直人政権は、「神風」が吹いたと勘違いしかねない。憲法に手を付ける必要性は理解できないだろう。しかし、ロシアのメドベージェフ大統領が、不敵にも国後(くなしり)島を訪れ、不確定要素を孕(はら)んだ朝鮮半島に、いついかなる事態が生じてもおかしくない瞬間が切迫しているのを目前に、日本は従来の態勢を転換しなければ生存できない。
 戦後体制蝉脱(せんだつ)の狼煙(のろし)を上げる秋(とき)が到来している。
 選挙民に媚(こ)びた笑いをする政治家には飽き飽きした。憲法第9条を片手に平和を説いても日本を守れないことは護憲派にも分かっただろう。左右を問わず、次代を担う政治家には新しい日本の到来が見えてきているはずだ。