・非核三原則があるから核の脅威や攻撃は受けないというのは単なる風説だ!

・三条 健です。
核兵器保有さえしなければ、その危険や脅威の対象にはならないという信仰を破る歴史の例証がある。
1983年 ソ連政府が国営タス通信を通じて敏速に反撃した。
 「日本が不沈空母の役割を果たそうとすれば、報復攻撃の標的となる。日本のように人口密度の高い島国には、それは37年前に受けた以上に深刻な国民的災厄を意味する。いまの核の時代に不沈空母はありえない」
非核三原則があるから核の脅威や攻撃は受けないというのは単なる風説だ!現実には攻撃威嚇の的(ターゲット)になり易い!
非核三原則は柔軟に考慮し、対応することが大事だ!

〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
日本への核攻撃の威嚇
古森義久    2010.11.22 Monday

 北朝鮮のウラン濃縮による核兵器開発の動きが新たに明るみに出て、日本にとっても核兵器の脅威は深刻となっています。そんな状況でも日本側には「非核三原則があるから核の脅威や攻撃は受けない」という説があります。古くからの信奉です。
 しかし現実には核兵器保有超大国だったソ連が冷戦時代に日本に対し、核攻撃の恫喝をかけた実例があるのです。核兵器保有さえしなければ、その危険や脅威の対象にはならないという信仰を破る歴史の例証です。その経緯を日米同盟についての連載の中で書きました。

レーガン大統領SDI、ソ連反発
 米国のレーガン大統領が1983年3月に戦略防衛構想(SDI)を初めて発表した翌日、私は東京の外務省内で岡崎久彦氏から話を聞いていた。当時は調査 企画部長で翌年に新設の情報調査局の初代局長となる岡崎氏は、省内で有数の国際的な戦略や情報の権威として知られていた。

 「アメリカと日本が共同してSDIを進め、ソ連が撃つミサイルをどんどん落とせるようになればいいですね」岡崎氏は持ち前の冗談とも本気ともつかない語調でこんなことを述べた。だがレーガン大統領が全世界を驚かせたこの構想を極めて重視している感じはよく伝 わってきた。そして現実に東西冷戦のその後の歴史はこのSDIを触媒として大きく変わっていった。日米同盟も当然、その変化の波をかぶっていく。

 対立する米国とソ連はそれまで核抑止を「相互確証破壊」(MAD)という概念に依存させてきた。もし核ミサイルを発射しあえば、確実に双方とも破壊され てしまうから攻撃はしないという仕組みだった。相互の攻撃能力による抑止である。だがSDIはその枠組みを壊し、敵側から飛んでくる核ミサイルを途中で撃 墜するというのだ。防衛能力による抑止である。ソ連は以後、SDIに猛反対するキャンペーンを始めることとなる。

 日米同盟も核をめぐる米ソのせめぎあいの波をまともに浴びていた。83年1月に訪米した中曽根康弘首相は米側に「日本を『不沈空母』にしたい」と告げた と大きく報道された。中曽根氏は実際には「不沈空母」という日本語は口にしてはおらず、通訳のフライング気味の意訳だと後に判明したが、否定はしなかっ た。同氏は現実にソ連戦略核爆撃機バックファイアに備えての日本の防空体制強化を語っていたのだ。
 ソ連政府が国営タス通信を通じて敏速に反撃した。
 「日本が不沈空母の役割を果たそうとすれば、報復攻撃の標的となる。日本のように人口密度の高い島国には、それは37年前に受けた以上に深刻な国民的災厄を意味する。いまの核の時代に不沈空母はありえない」

 この声明は国際的に核保有国による非核国への核攻撃の威嚇として解釈され、非難を浴びた。日本の「37年前の国民的災厄」とは広島と長崎への原爆投下だと受けとめられた。ソ連がそれまで公言してきた「非核国への核の攻撃や威嚇をしない保証」を破る言辞だとされた。
 非核国への核攻撃の脅しの禁止は核拡散防止条約(NPT)の大前提だった。その禁をあえて破ったソ連の対日威嚇は核の歴史全体にも残る特異な事件だった。だがおもしろいことに、こうした国際的な解釈に対し朝日新聞だけは、「37年前の国民的災厄」を「ソ連の対日参戦」とするソ連に優しい読みを示して異端さを発揮したものだった。その背後には明らかにソ連を脅威とみてはならないという基調があった。

 だがレーガン大統領は「ソ連が軍事力を手段として全世界を制覇しようとする意図は自ら表明している」と平然と述べ、ソ連を「悪の帝国」と断じていた。ソ連が世界各地で共産主義勢力を支援して覇権を広げようとすれば、米国側も正面から対決するというレーガン・ドクトリンを実行に移していった。

 日本も米国の同盟国として三沢基地に85年から米軍のF16戦闘機2個飛行隊約50機の配備を新たに受け入れる方針を発表していた。中曽根政権はさらに 83年には、従来の「防衛費は国民総生産(GNP)の1%以内とする」という閣議決定を事実上、排する形で1%の水準を超えることを認めてしまった。同時に従来の武器輸出三原則を緩める形でそれまで禁じられていた武器技術の輸出を米国向けに限って認める方針をも打ち出した。

 いずれも野党や大方のマスコミは「軍国主義の復活につながる」などと主張して反対してきた措置だった。ソ連と対決する中国が「日本はGNPの2%を防衛費に回すべきだ」と要請していたのとは皮肉な対照だった。
 現実には防衛費がGNP1%枠を超えても、武器輸出三原則が緩んでも、日本が軍事大国になるという兆しはなかった。

反防衛の神話の虚構が明らかになっていった。日米同盟は強化されていった。