・中国政府は著名な日本研究者:金煕徳氏を突然、逮捕して、懲役14年などという重刑に処してしまった!

・長年、日本に向かって中国政府を代表し、日中関係のあり方について堂々と語ってきた有名な研究者:金煕徳氏を突然、逮捕して、懲役14年などという重刑に処してしまった!
・日本政府が自国の二国間経済援助を公式に経済援助と呼ばず「経済協力」と称しているのは世界でも極めて珍しく、この呼称が対中援助でも中国側一般に「日本の援助」の事実を周知させるのを妨げているとの意見を述べていた。
・中国政府は著名な日本研究者:金煕徳氏を突然、逮捕して、懲役14年などという重刑に処してしまった!

〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
中国政府は著名な日本研究者をなぜ抹殺したのか
古森義久
2011.03.10 Thursday

 中国というのはふしぎな国です。長年、日本に向かって中国政府を代表し、日中関係のあり方について堂々と語ってきた有名な研究者を突然、逮捕して、懲役14年などという重刑に処してしまうからです。
 この研究者、金煕徳氏には私も北京に勤務していたころ、直接に何度も接したことがあります。日本側で中国を専門に研究や報道をしてきた人ならば、誰もが知っていたような著名な人物だったのです。そんな「中国の顔」だったような人物が社会的にいきなり抹殺されてしまうのです。いったいなぜなのでしょうか。
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<<中国の著名な日本研究者、金煕徳氏 機密漏洩で懲役14年>>

【北京=矢板明夫】中国の政府系シンクタンク、社会科学院日本研究所の元副所長で、著名な日本問題研究者、金煕徳氏(57)が日本と韓国の情報機関に中国の国家機密を漏洩(ろうえい)した罪に問われ、懲役14年の判決を受けたことが23日までに分かった。複数の司法関係者が明らかにした。金氏は「学術交流をしただけ」と情報漏洩の事実を否定しているという。
 関係者によると、2009年1月9日、金氏は国家安全部から「機密漏洩事件の捜査に協力してほしい」と連行され、そのまま拘束された。漏洩した機密は、北朝鮮金正日総書記の健康問題や中朝関係、08年5月の胡錦濤国家主席訪日前に社会科学院日本研究所が行った事前分析などと指摘される。

 金氏は吉林省朝鮮族出身で、地元の大学を卒業後、米国留学を経て、1989年から94年までに東京大学大学院に在籍、博士号を取得した。
 日中関係に関する多数の著書があるほか、テレビや雑誌などで活発な言論活動を行い、日本のメディアにも頻繁に登場した。身柄拘束後、東京大学の教授ほか一部の国会議員が中国の指導者筋を通じて金氏の釈放を働きかけたが、拒否されたとの情報もある。
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 私自身が金煕徳氏の主張を記事にしたことも何度かあります。

 金氏は日本の対中ODAについての中国側の研究では第一人者とされていました。日本側の知己は数え切れないほどいたでしょう。日本側のそうした関係者たちにとっての金氏の逮捕と懲役刑はたいへんなショックだったはずです。

 以下は金氏の主張などについて私が北京で書いた記事です。
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<<対中ODA、感謝されない理由 中国人学者が分析 援助を“協力”と表現>>

【北京3日=古森義久】日本国内で論議を呼んでいる対中政府開発援助(ODA)をめぐり、中国側に感謝されない理由の一つは日本側自身が援助を「協力」と表現していることにあるようだが、日本政府が公式に経済援助を経済協力と呼んできたのは日本の援助が伝統的に商業的な経済活動と一体となり、区分が明確でないからだ−とする分析が中国人学者によって発表された。

 日本政府は中国に毎年二千億円ほどのODAを供与しているが、中国側では無償の贈与援助でも「日本の経済合作(協力)」と評され、商業ベースでの投資による日中合弁事業などと混同されることが多い。中国側が日本の援助に感謝を述べないのはこの点にも理由があるという指摘は、日中双方からなされてきた。
 この点に中国側で初めて学術的に光をあてたのは、社会科学院日本研究所の金煕徳研究員。このほど出版された「日本政府開発援助」という研究書で多角的な分析を発表した。
 金氏は日本政府が自国の二国間経済援助を公式に経済援助と呼ばず「経済協力」と称しているのは世界でも極めて珍しく、この呼称が対中援助でも中国側一般に「日本の援助」の事実を周知させるのを妨げているとの見解を示している。
 そのうえで、日本がODAを経済協力と呼ぶのは、ODAの中に純粋な援助と商業的な資金の両方が混然一体となって含まれているからだと述べている。

 具体的には(1)日本政府が対外援助を経済協力とか資金協力とあえて呼ぶのは、日本のODAでは援助が民間の貿易や投資と一体になっていることを自覚しているからだ(2)日本の戦後の対外援助は戦後処理と輸出促進が基本的な動機で、米国型の純粋な援助と違って、援助と協力の区分が不明確(3)日本の純粋な援助資金が「経済協力」という言葉のために商業的な資金と同一視されてきたのは、日本政府の政策の結果でもある−などとしている。
 金氏は、日本のODAが戦争賠償という受動的な行為と対外援助という能動的な行為との一体化で始まった戦後の歴史を紹介。 純粋な対外援助も「資金協力」の範囲に放りこまれ、非援助の賠償や輸出クレジットも「対外援助」の範囲に入れられたという経緯を説明している。

 そして「一九五〇年代の日本は対外援助を行う十分な実力がないのに、戦後処理の義務から『援助』の名の下に資金協力を始めた」「五、六〇年代の日本政府は民間貿易を金融支援し、自国の輸出のために他国への援助でインフラや工場を建設させたため、政府行為と民間行為が一体となった」と述べ、こうした歴史的な要素が現在の援助政策にも残り、「経済協力」と公称する結果になったようだ−と結んでいる。

<<人文社会科学シンポ 日中交流の不均衡浮き彫り>>
【北京30日=古森義久】日本と中国の社会・人文学者が交流する「日中人文社会科学交流協会」の創立二十周年記念のシンポジウムが二十八、二十九の両日、北京で開かれた。日中両国合計約百人が参加しての研究発表や討論のこの集いでは、日本側が中国の金融制度を批判したり、中国側が日中の長老政治家の主導による両国友好の時代の終わりを強調するなど、率直な意見が相互に表明された。
 だがいざ目前の政治や安全保障の最大懸案となると、中国側は一枚岩で日本の政策を批判し、共産党や政府の公式見解を明確に言明するのに対し、日本側は 自国の政策を説く向きは皆無で、中国政府の主張と同様の野党的意見を一部の人が述べるにとどまり、この種の日中交流の固有の不均衡を改めて印象づけた。

 誼賓館での同シンポジウムは「政治、歴史」「経済、経営」「思想、文学、芸術」という三部会に分かれ、日中両国の学者、研究者が各自のテーマの研究結果を発表し、質疑応答が進められた。日本側では東銀リサーチインターナショナル研究理事の大久保勲氏が「中国の外資利用とアジア金融危機」と題する研究発表で 「中国の金融機関は情報開示が不十分で、いまのままだと必要な資金を外国から借りられなくなる。金融システム全体の透明度が低く、対外信用が得られない」 と遠慮のない批判を述べた。

 一方、中国側も社会科学院日本研究所研究員の金煕徳氏 が「中日関係の現状と将来」という発表で「歴史認識、台湾問題、友好関係など中日関係の一連の原則の基礎が日本側で挑戦を受けるようになった」とか「中日関係の展望については中国側の日本研究者でも経済専門家は両国の経済相互依存の見通しから楽観しているが、政治や安保の専門家は悲観的で、深刻な衝突の危険さえあるとみている」と、きわめて客観的で率直な見解を述べた。

 金氏は「一九七〇年代、八〇年代は日中間は長老政治家の間の個人的な友好を主導とする関係だったが、いまでは完全に変わってしまった」とも語った。

「こんごの中日関係」と題して総括の記念講演をした中国対外文化交流協会副会長の劉徳有氏もこんごの重要点として「中日両国、両民族が相互に異文化の異民族として社会体制や価値観の相違を認めあい、なんでもいえるようにする」という点を強調した。

 こうした側面は両国学者間の自由で開放され、均衡のとれた意見交流を思わせたが、いざ政治や安全保障となると、中国側では劉氏が「両国の青年が正しい歴史観や平和観を持つことが重要」と述べ、その歴史観は「日本の軍国主義者による中国侵略の歴史への正しい認識」であり、平和観は「一超大国が世界の一極化の覇権を求めるという冷戦思考に断固、反対すること」だとして、日中両国の若者が中国政府の政策や認識を受け入れることを提唱した。

 氏は 米国の安保政策への正面からの反対を述べ、日米同盟の事実上の否定をも唱えた。中国当局の意向の忠実な反映なわけだ。中国側の他の出席者たちも政治、安保についてはすべて劉氏の発言に集約される政府の路線と同じ趣旨の意見を表明して、官と民の区別のない中国固有の一枚岩ぶりを明示した。

 日本側はこれに対し劉氏の後に総括講演をした東洋英和女学院院長の衛藤瀋吉氏も政治や安保についてはなにも述べず、中国側の主張にすべてうなずく形となった。むしろ「北東アジア戦略的環境変化構築への道」という論文を発表した国際問題評論家の新井鐘次郎氏は(1)日米防衛ガイドラインは周辺事態に台湾を含むべきでない(2)東アジアへの覇権的な米軍配備を終わらせ、アジア人によるアジアのための地域的安保機構をつくる−と主張して、中国の政策に歩調を合わせた。

 日本側参加者はこうして、むしろ自国の政策には反対だという野党的な民間の立場を鮮明にした。日中人文社会科学交流協会(安藤彦太郎会長)の日本側幹部には中国の文化大革命を礼賛した学者もいるほどだ。

 この種の多様性は学問や言論の自由が保証されている日本の学界ではごく自然ともいえるが、共産党と政府に直結する学者しか出てこない中国側は一枚岩で単一だ。中国側の参加者は歩調をそろえて自国の政策に沿う発言や発表しかしないのにくらべて、日本側では自国の政策を批判する民間の学者が主になって発言するだけとなり、全体の議論が中国寄りの基調で展開するという結果になるわけだ。