国籍や人種を問わず、人間のよい部分をみせられたような明けがたのひとときでした。

アメリカの「フェアファックス郡捜索救助隊」ロバート・ゾルドス隊長は「数多くの被災地をみてきたが、今回の大船渡一帯は地震だけでなく津波に激しく襲われ、ものすごい惨状となった。津波の猛威は遺体の捜索を難しくしたが、市街地のブロックごとに捜索をして、人間が存在しないことを確認していく作業では日本側に役に立てたと思う」と語った。
・「日本の被災者のしっかりとした様子には心をうたれました。必ずまた復興するぞという静かな決意を感じさせられました。大船渡市での体験は私たち救助隊にとっても非常に貴重でした。これだけ大規模な津波の被害に対応したことがなかったからです。日本のみなさんの将来への幸運を祈りたいです」
・なにか国籍や人種を問わず、人間のよい部分をみせられたような明けがたのひとときでした。





〜〜〜関連情報<参考>〜〜
アメリカの捜索救助隊の活動
古森義久
2011.03.21 Monday

 アメリカの「フェアファックス郡捜索救助隊」といえば、世界的に知られた災害緊急対策のチームです。医師をも含む捜索や救急の専門家、ハイテク機器を駆使する技師、そして捜索犬などから成る高度に訓練され、ハイテク機器を装備したメンバーによる救助隊として、もう30年ほども世界各地の災害地で活躍してきました。最近ではハイチの地震や中国四川省地震の被災者救助に出動しました。
 このフェファックス郡捜索救助隊が東日本大震災でも早い時期から出動し、岩手県の大船渡市で捜索や救助の活動にあたったことは、日本ではあまり広くは知られていません。
 その救助隊が20日未明、本部に戻りました。このフェアファックス郡はワシントンに近いバージニア州北部にあります。その帰還の模様を私も取材に行きました。いろいろ感動させられる場面がありました。

[ワシントン=古森義久]災害救助では国際的に知られる米国のフェアファックス郡捜索救助隊が岩手県大船渡市での活動を一応、終えて20日、ワシントン郊外の本部に帰還した。

 同隊の隊長は「これまでの多数な任務に比べて今回の津波での行方不明者の捜索は最も困難だった」と語った。バージニア州フェアファックス郡捜索救助隊は米国でも最も水準が高く歴史の長い救助組織で、ハイチや中国の地震でも出動してきた。
 今回は日本政府の要請を受けた米国際開発庁(USAID)が同隊に出動を指示し、13日から被害の大きかった大船渡市で活動を始めた。
 同隊は大船渡市にエンジン付ボート4隻、石油ストーブ16台、簡易ベッド、寝袋各160などを寄付したほか、主として建物の下になっているような行方不明者の捜索にあたった。
 20日早朝にワシントン郊外のフェアファックス郡に帰還した同捜索救助隊74人は家族らのほかに藤崎一郎駐米大使の出迎えを受けた。

 ロバート・ゾルドス隊長は「数多くの被災地をみてきたが、今回の大船渡一帯は地震だけでなく津波に激しく襲われ、ものすごい惨状となった。津波の猛威は遺体の捜索を難しくしたが、市街地のブロックごとに捜索をして、人間が存在しないことを確認していく作業では日本側に役に立てたと思う」と語った。

 藤崎大使は「あなた方の尽力は米国が日本の真の友人であることを証明した。日本国民はその貢献を忘れない」と謝意を述べた。

 帰還式は20日午前4時ごろから同救助隊の本部といえるフェアファックス郡消防救助センターで開かれました。74人の隊員は近くのダレス国際空港からバス二台に分乗して、同センターに着き、未明でも待ち受けていた家族たちとまず簡単な再会を喜びあいました。

 その後、すぐに隊員だけが集まって、総括のブリーフィングでした。この救助隊の最大任務は災害の瓦礫に埋もれた生存者を敏速に発見し、救助することです。今回は大船渡市ではかなり早い段階から活動を始めたのにもかかわらず、生存者の発見と救出はできませんでした。ゾルドス隊長もそのことを最初に認めていました。ただし「教訓は貴重だった」と強調しました。

 後でゾルドス隊長に聞くと、今回の住民への災禍は地震自体よりも津波が圧倒的に多く、津波は呑み込んだ人間をそのまま遠くまで押し流していくので、それら住民の最初に所在した地域を捜索しても、もう生存者も死者も存在していなかった、ということのようでした。しかし同救助隊は被災の各地域に人間がもう残っていないことを確認するという重要な作業を徹底して進めたそうです。

 救助隊が現地に連れていった捜索犬のうち二匹のシェパードを間近にみましたが、やはり疲れてみえました。その二匹を管理する隊員は二人とも女性、一人はまだ二十代にもみえる大きな体の元気そうな女性、もう一人は六十歳前後にみえるベテランふうの細身の女性でした。ブリーフィングの間は二匹ともまるで息をとめたかのように静かにしているのが印象的でした。

 帰還式が終わった後、ゾルドス隊長に直接、感想などを尋ねると、以下のような言葉が返ってきました。上記の記事で引用した以外には次のようなことを話していました。

「日本の被災者のしっかりとした様子には心をうたれました。必ずまた復興するぞという静かな決意を感じさせられました。大船渡市での体験は私たち救助隊にとっても非常に貴重でした。これだけ大規模な津波の被害に対応したことがなかったからです。日本のみなさんの将来への幸運を祈りたいです」
 同救助隊は放射能を恐れて帰国したらしいなどという推測が日本の一部で語られたそうですが、実際には「発見されていない生存者を発見して救助する」という同隊の最大任務の対象はもうないと判断されたことが引き揚げの理由だったそうです。

 午前4時などという時間にもかかわらず、救助隊の帰還を迎えた藤崎一郎駐米大使の短いながらも熱をこめた謝意の表明が終わると、隊員全員がさっと起立して、拍手を長く激しく送り続けました。もちろん日本全体に対する激励や慰めをもこめた拍手だったといえましょう。
 救助隊の帰還を待つ間、私も隊員の家族たちの間に立っていましたが、記者章などから日本人だとわかると、多くの人がねぎらいの言葉をかけてくれました。
 帰ってきた隊員たちも多数が先方から寄ってきて、強い握手と日本国民への慰問の言葉を述べました。私ももちろん隊員たちの日本での活動に感謝の意を伝えました。なにか国籍や人種を問わず、人間のよい部分をみせられたような明けがたのひとときでした。