「安全保安院」は「危険不安院」と感じるのは私だけなのか?

・三条 健です。
・力武常次著「東京圏直下型大地震・・」の6章に明治・昭和三陸津波について以下の記述がある。「明治29年(1896年)6月15日 三陸海岸は猛烈な津波に襲われた。2万6,360名の死者を出す大被害となった。津波の高さが20mを超えた。 途中略 昭和8年(1933年)3月3日 昭和三陸津波が発生した 」
・今回の津波と同程度の被災実例が記述されている。
・太平洋プレートとユーラシアプレートの境界型地震の事例の記録だ。
・このような実例があったにも関わらず、福島原発津波に対する設計基準は5mだというから、専門家の行っていることは非常に恐ろしい。      「安全保安院」は「危険不安院」と感じるのは私だけなのか?