戦前の日本人は、今の米国人と考え方は一致していたが、GHQの政策によって骨抜きにされたのか?

今日のキーワードは以下となる。
・「よい戦争というのはなくても、必要な戦争はありうるというのがアメリカ人の一般的な考え方」
・「アメリカや、アメリカの正義を守るために、いざとなれば武器を取り、立ち上がる覚悟のない人間はアメリカ市民にはなれない」
・「正義と平和のどちらかを選ばねばならないとしたら、私は正義を選ぶ」
・「日本という祖国を守るために散った尊い命に私たちは十分、感謝の礼を述べたのか」

東京裁判で「よい戦争というのはなくても、必要な戦争はありうる」と言って処刑された戦犯がいたことを思い浮かぶ。 戦前の日本人は、今の米国人と考え方は一致していたが、GHQの政策によって骨抜きにされたのか?


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
ワシントン駐在編集特別委員・古森義久
2011.6.15 03:09
■日米同盟 「深化」せぬ理由

 東日本大震災での米軍の目覚ましい救援活動は日本国民に日米同盟の効用を痛烈に認識させたようだ。だが両政府間の同盟強化の作業はそのわりに進まない。 わが民主党政権が日米同盟に関して掲げた「対等」「緊密」「深化」という標語は宙に浮いたままにみえる。  その理由の水面下部分はやはり日米両国や両国民の間の思考の巨大なギャップだろうと、考えをめぐらせていたら、まさにこれだと、うなずかされる体験記にぶつかった。

 ワシントン近郊に住む日本人女性のジョンソン桜井もよさんが最近、出した「ミリタリー・ワイフの生活」(中公新書ラクレ)という本である。
 もよさんは1983年に慶応大学を卒業し、東京の外資系大手企業でOLとして6年ほど働き、一念発起してワシントンのジョージタウン大学の大学院に留学した。  修士課程を終えるころ、米国人青年と恋をして結婚した。彼も大学院生だったが、米陸軍から送られていた大尉で、卒業後は軍務にもどった。  その後の10年ほど、もよさんは軍人の妻として各地の米軍基地に住んだ。
 当初、彼女は夫の人間性は愛しても、軍人という職業を好ましく思えなかった。 日本の友人からは「なんで軍人なんかと結婚するの」と問われた。自分が育ったころの日本で軍は戦争と結びつけられ、触れてはならない存在だと教わったことが大きかったという。だから悩みは深かった。
 「だが夫の異動に伴い、アメリカ各地の米軍基地でミリタリー・ワイフたちと親交を持つようになり、私の考えは少しずつ変わった。彼女たちは国のために命をかけて戦う軍人と結婚したことを心から誇りに思っていることがわかったからだ」
 そして、もよさんは「よい戦争というのはなくても、必要な戦争はありうるというのがアメリカ人の一般的な考え方」と認識するにいたる。「アメリカや、アメリカの正義を守るために、いざとなれば武器を取り、立ち上がる覚悟のない人間はアメリカ市民にはなれない」という考察をも述べる。ポトマック川の島でセオドア・ルーズベルト大統領の有名な石碑の「正義と平和のどちらかを選ばねばならないとしたら、私は正義を選ぶ」という言葉を読んで共感を覚えたともいう。

 しかし、もよさんのこうした認識を日本にそのまま当てはめれば、まだまだ「軍国主義的」だとか「危険な右寄り」というレッテルを貼られかねない。米国でなら自明の自国の防衛や抑止、そのための軍事、さらに場合によっては戦争の不可避性の認知という諸概念には顔をそむける傾向が根強いといえよう。日米両国間には軍事や防衛に関する対応の溝がそれほど深いということである。
 だが同盟はつまるところ軍事の絆である。相手が軍事的な攻撃や威嚇を受けた際の共同対処の誓いなのだ。 その前提の軍事や戦争を全否定すれば、同盟は宙に浮き、崩れかねない。  日米同盟はそんな危険を思わされるほどの認識の断層を抱えているのだ。  大震災の惨禍からの復興に改めて国家という有機体の意義を感じさせられるいま、その国家を守る同盟を考え直す好機でもあろう。

 いまは4人の子の母となり、軍を退役した夫と幸せに暮らすもよさんは日本側をみて、「日本という祖国を守るために散った尊い命に私たちは十分、感謝の礼を述べたのか」ともいぶかるのだった。