・テロ(サイバー含む)による取り返しのつかない不幸を最小限に食い止めるテロ防備システム制定を国民的に論議すべきだ!

・政治テロやカルト犯罪にわが国は裸同然。
・大きな惨劇を初期の段階で抑止する装置は極めて乏しい。
破壊活動防止法はあるが、要件が厳しく、事案の初期段階で効果的監視を期待できない。
・カルト集団の非政治的犯罪については、破防法は適用できず、オウム新法も無差別大量殺人が行われた後でなければ、団体観察すら不可能である。事後観察では抑止できない。
・テロによる取り返しのつかない不幸を最小限に食い止めるテロ防備システム制定を国民的に論議すべきだ!
・「道を守るは官を守るに如(し)かず」(官の職務をなおざりにして、道を守ることなどできない)という孔子の言(春秋左氏伝)もある。


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
テロに無防備な日本
検事総長但木敬一 2011.11.30 02:55

 11月21日、遠藤誠一被告に対する最高裁の上告棄却の判決が下され、一連のオウム裁判は終結を迎えた。29人もの尊い生命が奪われ、6千人を超える人々が負傷するという大惨事を引き起こした犯罪であった。その規模の大きさと被害の深刻さは、189人起訴、13人に死刑判決という結果にも表れている。
 オウム真理教による犯罪の特徴の第一は、祭政一致の国家を武力によって樹立するという政治的目的のためになされた組織的政治テロであったという点にある。暴力革命を目指して化学兵器、細菌兵器、自動小銃などの兵器が大量に製造され、化学兵器であるサリンが東京という大都会で無差別テロに使用されるという、世界犯罪史上に残る凶悪な犯罪であった。第二の特徴は、教祖による極端なカリスマ的支配が貫徹していたカルト集団による犯行であり、人を殺害することを「ポア」と称して正当化し、冷徹に累次の殺人を繰り返すなど、その犯行態様の異常な残忍性が際立っていたことである。
 これらの政治テロやカルト犯罪にわが国は裸同然である。無論事件が起きた後に犯罪として捜査し、処罰する刑事手続きは存在するが、大きな惨劇を初期の段階で抑止する装置は極めて乏しい。破壊活動防止法はあるが、要件が厳しく、事案の初期段階で効果的監視を期待することはできない。さらにカルト集団の非政治的犯罪については、破防法は適用できず、オウム新法も無差別大量殺人が行われた後でなければ、団体観察すら不可能である。

 格差の拡大と失業、若者の心はすさみつつある。外国のテロ組織の影響も軽視することはできない。被害者とその遺族の悲しみの深さと永さ、犯罪に加わった者の人生のダメージ、いずれの側にとっても取り返しのつかない不幸を最小限に食い止めるシステムを国民的に論議すべき時代はすでに到来している。
 オウムの事件を境に国民の体感治安は極度に悪化した。この事件は、犯罪者と全く関係のない一般市民が、何のいわれもなく犯罪に巻き込まれ殺害されるかもしれない恐怖感を与えた。  池田小事件、秋葉原など各地で発生した無差別殺傷事件はこの国民の感覚をさらに深刻化させ、被害者と国民、刑事裁判と国民の距離を断然近くする結果となった。  裁判員裁判や被害者支援制度はこうした国民の声に支えられているといってよいであろう。
 ところで、裁判は司法権に属し、刑の執行は行政権に属する。  法は死刑を規定し、その法に基づいて裁判が行われ、死刑の判決が下され、確定した以上、法の定めるところに従い、法務大臣は死刑の執行命令をしなければならない。  近代立憲史を顧みれば、立法権司法権が行政権を拘束することに原点があり、これは法の支配の命ずるところでもある。   内閣が憲法上の恩赦の決定をその政治責任において断行するなら別論であるが、法は死刑の執行を法務大臣の裁量に委ねたわけではない。  法務大臣の思想・信条で死刑の執行を恣意(しい)的に放置することは、権力分立制を否定するもので、到底許されるものではない。 「道を守るは官を守るに如(し)かず」(官の職務をなおざりにして、道を守ることなどできない)という孔子の言(春秋左氏伝)もある。(ただき けいいち)