・民主党も自民党も一体どこを向いて政治を行っているのか?

・本格的復興予算といわれた第3次補正が決定されたのは、8カ月以上も時間が経過した11月だった!
・8カ月空費で、数多くの「ふるさと」がさながら壊死(えし)するかのように、二度と回復できない状況にたたき落とされてしまった!
・政府は1日も早く大規模に財政を出動し、被災地住民の復興に向けた意志と活力を徹底的に支援すべきだった!
・災害資本主義の解釈が当たっていれば、復興特区法と、それに基づいて実施される復興事業が、被災者たちに大いなる不幸をもたらすことは避け難い!
民主党自民党も一体どこを向いて政治を行っているのか?



〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
被災地を「壊死」させないために
京都大学大学院教授・藤井聡 2011.12.16 02:53 [正論]
 日本は今、世界大恐慌再来の危機や超巨大地震の連発などの国家的危機に直面している。  だから、今求められているのは、「強くしなやかな強靱(きょうじん)な国」をつくりあげる、あらゆる取り組みである。
≪8カ月空費したふるさと再生≫:
 とりわけ急務となっているのは「震災復興」である。  しかし、恐るべきことに、最高責任者たる我(わ)が国政府は、被災地を見捨てるかのように振る舞い続けている。
 そもそも、本格的復興予算といわれた第3次補正が決定されたのは、8カ月以上も時間が経過した11月だった。この8カ月間、被災地にはカネさえあればできたことが山ほどあった。それなのに、なすべきことの大半が、政府の無為によって差し止められてしまい、その結果、数多くの「ふるさと」がさながら壊死(えし)するかのように、二度と回復できない状況にたたき落とされてしまったのである。
 さらにいえば、第3次補正も十分なものであるという保証などどこにもない。  例えば、わずか2兆円の補正予算が決定された7月段階で野党側が主張していた補正予算は、3次補正の金額をはるかに上回る17兆円だった。  それだけの予算が7月時点で決定されていたなら救えた筈(はず)の「ふるさと」が数多くあったことは間違いない。
 むろん、こうした批判を向けても、政府は「復興に真剣に取り組んでいます!」と声高に反論するだろう。   しかし、政府当局者たちは被災地に赴いて被災者の眼(まなこ)を見据えたときも、そう勇ましくのたまうことができるのだろうか。
≪住民自助への財政出動なし≫:
 我々(われわれ)日本人は、あの大戦後の焦土と化した国土にバラック闇市をつくるところから始めた。  復興において何よりも大切なのは、小ぎれいなアイデアやプランではない。  生き残った人々の復興にかける意志と魂の活力こそが何よりも重要なのだ。  政府は、創造的復興なるものや財源論などを論じている暇があったら、1日も早く大規模に財政を出動し、被災地住民の復興に向けた意志と活力を徹底的に支援すべきだったのである。
 さらなる問題は、政府が被災地を「放置」しているばかりか、天災を「利用」しようとしている側面すらうかがえることである。
 読者の方々は、大災害によって破壊された土地で、大資本家が新しいビジネスを立ち上げるというタイプの資本主義が近年、世界に広がりだしているという指摘があることを、ご存じであろうか。
 例えば、2004年のスマトラ島沖地震インド洋大津波の時には、これを好機と捉えた大資本家の手で被災地に大リゾートが造成された。  05年に米南部を襲ったハリケーンカトリーナの際には、奇貨居くべしと見た大資本家の圧力を受けて、100校以上もの公立学校が廃校にされる一方で、20校以上もの私立学校が大資本家たちによって新設されたという。
 これらは全て、経済はできる限り市場に委ねるというミルトン・フリードマン氏ら「新自由主義」の経済学者たちの理論に基づいており、実際、同氏はカトリーナの時には、前述の「構造改革」を米政府に直言している。   そこには、大資本家たちが天災を商機と捉えて、自らにとって都合の良い学者たちを使いながら、政府に圧力をかけ、新しい商売を始めるという構図も透けてみえるのである。

≪「災害資本主義」の回避を≫:
 そんな観点を世に問うたのが、カナダ人ジャーナリストのナオミ・クライン氏であった。  彼女は、自然災害に便乗する新しいタイプの資本主義という意味で「災害資本主義」という新語を造り、これらの商売の手法を、「ショック・ドクトリン」と名付けている。
 翻って我が国をみれば、野田佳彦民主党政権がこの度、「復興特区法」を国会に提出して、成立させている。  これは、「復興のために被災地に特区を」という趣旨であり、内容は要するに、被災地で構造改革規制緩和を徹底して推進すると同時に、外資も含めた大資本家からのさまざまな投資を呼び込もうとするものである。
 そもそも、この法律は政府の新成長戦略に基づいてもいて、それは震災前に閣議決定されたものであった。  同法には、政府がもともとやりたかった「特区による構造改革」を、災害復興に乗って進めてしまおうという、「災害資本主義」の側面もありはしないか。
 であるならば、その果てにあるのは、「ふるさと再生」などではないだろう。  その代わりに、東日本大震災の被災地に、「外資も含めた資本家たちの営利目的のために好きなようにいじくり回された土地」がつくり上げられてしまうことが、懸念されてくるのだ。
 むろん、読者の中には、それは可能な解釈のひとつに過ぎないとお感じになる方もおられるかもしれない。  しかし、この解釈が当たっていれば、復興特区法と、それに基づいて実施される復興事業が、被災者たちに大いなる不幸をもたらすことは避け難い。
 そのような危惧が現実にある以上、今、求められるのは、その懸念をひとりでも多くの国民が冷静に吟味することではないのか。(ふじい さとし)