・綱領の無い根無し草の民主党政権自体が悪化要因となっている!

・純理論というのは政治家にとって一番大切なもので、人情義理を超えて考えるべきである。 理念は何にもまして優先されなければならない。
増税を否定し、財源の見通しも立たないまま極端な再分配政策を提示して政権を獲得した民主党に、増税を提起する資格があるのかという素朴な疑問だ!
・綱領の無い根無し草の民主党政権自体が悪化要因となっている!   2年半前の政権交代時からわが国の財政状況は同一方向で悪化が進行!
・綱領ひとつ制定できない民主党には、そもそも基本理念というものが存在しないので、猫の目のように政策を変更することが可能なのだ!
「理念なき民主党」に切実な不信感がある!


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
基本理念なき改造に空しさ漂う
拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 2012.1.16 03:05 [正論]
 「政治家の行動を支配する動機は、第一に理論、第二にそろばん、第三が人情と極言してもよい」と、三木武吉は喝破した。
三木武吉も第一に掲げた大義≫:
 「機略縦横の政治家」らしい言い回しだが、その三木にして、「純理論というのは政治家にとって一番大切なもので、人情義理を超えて考えるべきである」と強調している。
 昭和29年、吉田茂相手の政争を繰り広げていたさなかに、雑誌に発表した手記の一節である。  奪権闘争といえども、大義(純理論)を見失えば失敗すると言いたかったのだと思う。
 情念におぼれた情実政治は行き詰まること必至である。政治家個人の損得勘定が前面に出れば、政治の信頼性が損なわれる。   理念の正しさを強調するだけでは政局は膠着(こうちゃく)するが、それでもやはり理念は何にもまして優先されなければならない−。  これは、政治なる営為の基本中の基本といっていいだろう。
 「社会保障と税の一体改革」に“不退転の決意”を示す野田佳彦首相の姿を見ながら、さて、この政治家を衝(つ)き動かす動機はいったい何なのか、と考えている。
 閣僚人事は解散権行使とともに、内閣総理大臣にとって最も使いでのある“武器”である。   それを効果的に使うことができるかどうかで指導者としての“器”が決まる。  自らが重大と位置づける政策を推進するために内閣改造を断行し、それに関連して解散の可能性も示唆するのは結構なことである。 指導者たるもの、かくあらねばならない。
 が、ご本人の乾坤一擲(けんこんいってき)、反転攻勢に出ようという意気込みとは裏腹に、市場も世論も冷淡である。  13日夜のニュース番組では、「内閣改造」は「中国人脱獄囚逮捕」に主役の座を奪われた。  いうまでもなく、増税は最も困難な政策課題の一つである。  その実現のために「不退転」という言葉まで持ち出して首相が決意を示したとなれば、もっと関心を集めてもよさそうなものだが、なんだか白けた雰囲気が漂っている。

≪民主に増税提起の資格ありや≫:
 それはやはり、こうした重要にして困難な政策を進めていく当事者能力および適格性が野田・民主党政権にあるのかという不信が払拭されていないからだろう。
 散々指摘されてきたことだが、増税を否定し、財源の見通しも立たないまま極端な再分配政策を提示して政権を獲得した民主党に、増税を提起する資格があるのかという素朴な疑問は、等閑に付すわけにいかない。
 状況が変われば政策も変わるとは言わせない。2年半前の政権交代時からわが国の財政状況は同一方向で悪化しているのみならず、民主党政権自体が悪化要因となっているからである。
 百歩譲って政策変更を諒(りょう)とするとして、その理念的裏付けは何か? 綱領ひとつ制定できない民主党には、そもそも基本理念(三木の言う「純理論」)というものが存在しない。それゆえに猫の目のように政策を変更することが可能になるのである。
 昨日言っていたことと正反対の政策を持ち出して憚(はばか)らぬ政党や政治家が、明日何を言い出すか知れたものではない。 今日の「不退転の決意」は、明日は「断腸の思いでの撤退」になりかねない。  なんと言っても、いったん政治家を辞めると宣言した元党首が「辞めるの、やーめた」と居座りを決め込む政党なのである。  白けた雰囲気の底に、民主党に対する切実な不信感があることを、首相は、軽視してはならない。
 では、鳩山由紀夫菅直人の両氏から野田氏に交代したことで民主党は生まれ変わったのか。  これも違う。野田氏こそ、「理念なき民主党」を体現した政治家にほかならないのである。

≪首相衝き動かす反自民の情念≫:
 同氏は『民主の敵』という自著で、政治家に求められる「最低限の資質」として、夢、矜恃(きょうじ)、人情の3つを挙げている。
 政治家に夢を語るなとは言わない。  目標の実現を諦めぬ粘り強さという意味ならば、確かにそれは必要不可欠な資質といえるが、夢だけ語って現実から逃避するような政治家は願い下げである。
 彼にとっての矜恃とは、時代小説に出てくる「市井の下級武士」のそれで、必ずしも一国の最高指導者としての覚悟ではなさそうである。  いや、臆面なき政策変更は「二言(にごん)」の繰り返しで、下級武士の矜恃さえうかがえない。
 おそらくこの政治家を衝き動かしている動機は、「反自民」という情念に集約されるのではないか。  それは義理人情といったものではなく、もっとドロドロした怨念である。  歴史観の異なる筈(はず)の菅氏や岡田克也氏を、代表選でいちはやく支持したり内閣で重用したりするのは、理念に情念が優先するからだと理解すれば、合点がいく。
 余りの迷走ぶりに、もはや「民主が敵」という事態は多くの目に明らかだろう。野田氏に期待するのは空(むな)しいということである。(えんどう こういち)