・日露間の国境は戦争ではなく平和的交渉で最初に取り決めた、1855年の日露和親条約における国境になるべく近づけるようにしよう、と主張してはどうか。

・ロシアの最高実力者が「引き分け」と言い出した以上、今後は日本としても、何が日本にとって望ましい「引き分け」なのかを明確にすべきだ! そうでないと国際世論の目には、ロシアは問題解決に意欲的だが、日本は違う、と映りかねない。
・日露間に「引き分け」があるとすれば、第二次世界大戦だけでなく、日露戦争と冷戦も含めた近代における日露間の戦争すべてをまとめて「引き分け」にするものであるべきだ!
・日露間の国境は戦争ではなく平和的交渉で最初に取り決めた、1855年の日露和親条約における国境になるべく近づけるようにしよう、と主張してはどうか。 和親条約では、国後、択捉、歯舞、色丹はすべて日本領とされた。
・過去の対立を乗り越え、未来志向で日露関係をリセットするには、まず「はじめ」に戻って、そこから考えるのが一番だという主張なら、国際世論はもちろん、ロシア国民に対しても一定の説得力を持つのではないか。




〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
北方領土 理想の「引き分け」
大阪大教授・坂元一哉
2012.3.17 03:01
 学生との卒業旅行で、松山市に出かけた。
 市内にある「坂の上の雲ミュージアム」では、日露戦争を終わらせたポーツマス講和会議に関する特設展示が行われていた。  会議で使用されたテーブルなどゆかりの品々とともに、当時の映像、新聞記事、風刺画、そして司馬遼太郎の文章を使って、会議の意義をわかりやすく教えてくれる展示である。  日露戦争とジャーナリズムについて考える企画の第3弾だという。
 講和会議中、ロシア全権代表のセルゲイ・ウィッテは、寡黙な日本全権、小村寿太郎とは違って、新聞記者につとめて愛想よく接し、国際世論の同情をロシアに引きつけた。   司馬はウィッテが新聞記者を相手に、演劇作家、演出家、俳優を兼ね、世界に流れる彼らの記事をロシアびいきにしたと書いている。
 今月1日、ロシアのプーチン首相は外国新聞記者との会見に応じた。  その中で首相は、朝日新聞若宮啓文主筆に対して、柔道を通じた日本への愛着を語るとともに、北方領土問題を「引き分け」で解決したいとの希望を述べている。
 長く日露関係の障害になっている同問題の解決にプーチン首相(次期大統領)が意欲を示したことは歓迎できる。 ただ第三国の記者もいる中で「引き分け」という言葉が使われたことには警戒が必要だろう。
 若宮氏はすかさず「2島返還」では「引き分け」にならないと切り返した。 それはよかったが、ロシアの最高実力者が「引き分け」と言い出した以上、今後は日本としても、何が日本にとって望ましい「引き分け」なのかを明確にすべきだろう。そうでないと国際世論の目には、ロシアは問題解決に意欲的だが、日本は違う、と映りかねない。
 私は、この問題で日露間に「引き分け」があるとすれば、第二次世界大戦だけでなく、日露戦争と冷戦も含めた近代における日露間の戦争すべてをまとめて「引き分け」にするようなものであるべきだと思う。   そういう「引き分け」を前提に日本は、日露間の国境は戦争ではなく平和的交渉で最初に取り決めた、1855年の日露和親条約における国境になるべく近づけるようにしよう、と主張してはどうだろうか。和親条約では、国後、択捉、歯舞、色丹はすべて日本領とされたので、四島の主権は日本にあるという従来の日本側の立場にも合う。
 むろんロシア側は、それは日本に都合のよい「引き分け」だと反論するだろう。また条約締結後の長い経緯を全く無視するというわけにもいかない。だが、過去の対立を乗り越え、未来志向で日露関係をリセットするには、まず「はじめ」に戻って、そこから考えるのが一番だという主張なら、国際世論はもちろん、ロシア国民に対しても一定の説得力を持つのではないか。

 旅行の帰り道、松山市の近郊にある坊っちゃん劇場で「誓いのコイン」を見た。  日露戦争中、松山市の収容所に収容されたロシア兵捕虜と松山市民の交流を題材にした評判のミュージカル。  国境を超えた心のつながりの大切さを訴える。   日露両国民の気持ちのよい交流のためにも、双方が納得する「引き分け」での国境問題解決を望みたいとあらためて思った。(さかもと かずや)