・中国共産党政権が継続する限り、領土を国益思考の中心に置く、悪い性癖は、今後も治癒しないのだ!

・最終的な詰めの段階にあった平和条約の名称と内容に大きなズレがある。
・平和条約要素とは、両国間の戦争に決着をつける旨の条項で、領土関係の変更と賠償の取り決めだ!
・全5条の新条約にはこの平和条約要素が皆無で、友好条約要素のみがあり、世にも珍しい反覇権条項がある。 平和友好条約では無く、つまり、友好・反覇権誓約条約だ!
・中国側には、1970年代を迎えるまで領有権を主張しなかったという弱みがある。
・日本はこれまでの奥ゆかしさを卒業してプロパガンダ戦にも耐え、且つ勝たなければならない。
・中国は自分の軍事力にある種の自信を持ったとき、周辺諸国との間の国境・領土問題の武力的侵攻を目指すことが多い。
中印国境紛争(59年以降)、中ソ国境戦争(69年)、79年の中越戦争だ! いずれの場合も、中国は自国の国益貫徹のため必要とあらば武力攻撃を躊躇(ちゅうちょ)しなかった!
・中国は世界第2の経済大国そして自信横溢(おういつ)の軍事大国へと変貌したが、領土を国益思考の中心に置く、悪い性癖だけは今も変わっていない!
・「平和なき友好」条約下、日本はプロパガンダ戦に臨み、最悪事態に備える自力の軍事態勢を用意強化し、国民の結束を確保し、日米同盟重視が結局は日本と米国双方の国益に適うとし、ひたすら実行することだ! 
中国共産党政権が継続する限り、領土を国益思考の中心に置く、悪い性癖は、今後も治癒しないのだ!




〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
「平和なき友好」の甘さを教訓に
防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛  2012.10.5 03:10 [正論]
 34年前、私は「『尖閣諸島』への少数意見」と題する雑誌論文を書いた(「諸君」昭和53年6月号)。  同年4月、百隻に上る中国漁船が忽然(こつぜん)と尖閣水域に姿を現し、わが国が大騒ぎしたのが執筆のきっかけだった。  「少数意見」を自認したのは、昭和47年の日中国交正常化(共同声明)から53年8月の平和友好条約調印にかけてわが国を覆った日中友好万々歳ムードに違和感を抱いたからだ。
≪日中間に真の平和条約なし≫ :
 大連に生まれ天津で学童となった私は、昔も今も日中友好に賛成である。
 なのに日中友好礼賛ムードに同調できなかったのは、まさにそのころ最終的な詰めの段階にあった平和条約の名称と内容に大きなズレがある、と判断したからだった。  そのひどいズレを黙許するわけにはいかなかった。
 平和友好条約ならば、平和条約要素と友好条約要素を含んでいるべきだ。
 平和条約要素とは、両国間の戦争に決着をつける旨の条項のこと。教科書風にいえば、領土関係の変更と賠償の取り決めがそれだ。が、全5条の新条約にはこの平和条約要素が皆無。あるのは友好条約要素のみ。おっと待った。
 世にも珍しい反覇権条項ならある。 友好・反覇権誓約条約だ。
 それを平和友好条約と呼ぶのはおかしい。 この不思議が罷(まか)り通ったのは、すでに昭和47年の田中角栄首相訪中段階で領土問題、つまり尖閣帰属につき合意できず、条約交渉でも触れないまま、調印時のトウ小平発言を借りるなら「一時棚上げ」で処理したからだ。
 爾来(じらい)34年、日中間に友好条約はあるが、平和条約は本質的にはないといえる。 ならば、この条約下で尖閣問題が先鋭化するのは不思議でない。 条約規定に照らしても条約違反の有無を判別する仕組みになっていないからだ。 結局、日中双方がそれぞれの「固有の領土」論を振りかざす。
 その際、重要なのはまずは主張の質である。
 主張の質では断然、日本に軍配が上がる。 中国側には、1970年代を迎えるまで領有権を主張しなかったという弱みがある。
 問題は、日中の主張の量だ。 量の面ではとくに最近時、中国が日本を完全に圧倒している。
 国連総会、活字、電波、電子、広告メディアを活用して、中国は釣魚島(尖閣)の領有権を主張するプロパガンダ戦争を辞さない。
プロパガンダ戦に抗する覚悟≫ :
 日本にはプロパガンダ戦争の意識がない。 いや、最近までなかった。
 「尖閣は固有の領土」「日中間に領土問題は存在せず」の主張は日本国内向け、そして中国向けにしか発信されてこなかった。  存在しない問題について「存在せず」と国際的に広報する必要はないと考えたからだ。
 だから、日本の主張は国際場裡に届かない。
 正論は大声を出さずとも傾聴されると考えるのは、奥ゆかしい。
 だが国際音痴気味だ。  国際場裡では、いくら正しい主張でも、周到、賢明、広範に、かつ力強く展開されるのでなければ、聴衆を獲得できない。
 日本はこれまでの奥ゆかしさを卒業してプロパガンダ戦にも耐えなければならない。
 中国がプロパガンダ戦で対日強硬姿勢に出ているのは、政権交代期に絡まる複雑な国内事情も働いてはいるだろうが、基本的には近年の国力、わけても軍事力への自信あってのことだろう。
 時代は違い背景が異なっても、中国は自分の軍事力にある種の自信を持ったとき、周辺諸国との間の国境・領土問題の武力的解決を目指すことが少なくなかった。
≪領土で武力使ってきた中国≫ :
 日中国交樹立以前の中印国境紛争(59年以降)、中ソ国境戦争(69年)、そして79年の中越戦争がそれである。
 「平和なき友好」条約締結に際しては、日本は前二者の戦争にもっと注意を払うべきだったのに、まるで能天気だった。 ソ連ベトナム共産主義国、つまりは兄弟国だったはずだし、ソ連との間には友好・同盟・相互援助条約までもがあった。  インドは非同盟運動の旗手だった。が、いずれの場合も、中国は自国の国益貫徹のため必要とあらば武力攻撃を躊躇(ちゅうちょ)しなかった。
 日本は34年前、中国との「平和なき友好」条約を選択してしまった。いまさら「待った」はきかない。
 中華人民共和国は「はくズボンがなく、おかゆをすすっても、核兵器は持つ」の初期段階から、世界第2の経済大国そして自信横溢(おういつ)の軍事大国へと変貌した。 ただ、領土を国益思考の中心に置く性癖だけは変わっていない。
 日本がインド、旧ソ連ベトナムと違うのは、米国の同盟国である点だ。
 中国が武力で尖閣奪取を意図する場合、日米同盟を考慮外には置けない。
 他方、米国は尖閣日米安保条約第5条の適用対象だとしながらも、その事態に至ることのないよう日中の冷静な対話による危機回避を求めている。

 「平和なき友好」条約下、日本の仕事はこうだ。正論をもってプロパガンダ戦に臨み、最悪事態に備える自力の軍事態勢を用意し、国民の結束を確保し、日米同盟重視が結局は米国の国益に適(かな)うとワシントンを納得させること。(させ まさもり)