・我が国では、権力階級が「国家の財」を自らの見栄や快楽に費やすのではなく、公共のために費やすべきだという意識が古くからあった。

・3年3カ月は「非日本」もしくは「反日本」で、意気地のない弱腰外交や御皇室に対する非礼の数々など、日本を日本でなくそうとした事例は枚挙にいとまがない。 正直と勤勉で世界に知られる我が国の精神文化に、嘘と無責任をばらまいた。
東日本大震災原発事故後の無為無策は、殆ど犯罪レベルと言っていい。
民主党政権の3年3カ月を顧みれば、誰がどうみても後退に次ぐ後退であった。
・苛酷な政策に反対する百姓一揆もあったが、その大半は直訴や逃散といった非暴力的手段であり、訴えが認められて百姓側が勝訴することもたびたびあった。
・我が国では、権力階級が「国家の財」を自らの見栄や快楽に費やすのではなく、公共のために費やすべきだという意識が古くからあった。  
・大小様々な暴力デモが連日繰り返されている中国より、或いは歴代大統領の不正が次々に暴かれる韓国より、遥かに安定した、清潔な統治体制であった。





〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
「新春ワイド」再興か没落か 2013年 国家の明暗
2013.1.16 03:00 [月刊正論]
 嘘つきたちはいなくなったが…(精神科医 ナチュラルクリニック代々木院長・銀谷翠 月刊正論2月号)
蔓延した「非日本」
 民主党が政権の座にあった、この忌々しい3年3カ月をひと言で表すなら、「非日本」もしくは「反日本」ではないだろうか。  意気地のない弱腰外交や御皇室に対する非礼の数々など、日本を日本でなくそうとした事例は枚挙にいとまがない。
 だが、より根源的な民主党政権の「非日本(反日本)」は、正直と勤勉で世界に知られる我が国の精神文化に、嘘と無責任をばらまいたことだ。
 その典型が、大半が詐欺に終わった前回マニフェストである。 武士に二言は無いと言われるよう、為政者たるもの、いったん約束したことを守らなければ死をもってしてでも責任を取らんとするのが我が国の美風である。  だが、このマニフェスト詐欺により、嘘をついても当選すればいい、いや、政治家とは嘘をつくものだ、といった非日本的な意識が国民に根付くことになった。
 また、我が国の“顔”や“声”となるべき首相や閣僚たちの嘘と無責任も、破廉恥な政治風土を海外にまで晒したという意味で、将来に大きな禍根を残すこととなった。
 例えば鳩山由紀夫元首相の「トラストミー」発言。朝令暮改を地でいく彼の虚言癖には呆れるほかないが、せめてそれは国内に留めておくべきで、外国に向けて、しかも同盟国の大統領に向けて、真顔で発した罪はあまりに大きい。
 続く菅直人元首相の堂々たるペテンぶりにも唖然とさせられる。  退陣にあたり醜態を晒した往生際の悪さもさることながら、東日本大震災原発事故後の無為無策は、殆ど犯罪レベルと言っていいだろう。  大震災後に、世界中から沈着冷静だと賞賛された一般国民の声価も、彼と彼の閣僚たちの醜態によって消し飛んでしまった。
 野田佳彦首相(本誌が店頭に並ぶ頃は前首相か)も、虚言にかけては二人の先輩に引けを取らない。  いや、当初は保守と見られていた分、「がっかりさせられた」感が一層強いのではないか。  事実、この人物ほど言葉と現実のギャップが大きい政治家を私は知らない。  彼は選挙の最中、自信満々に「(民主党で)前に進むのか、(自民党で)後戻りするのか」と訴えたが、民主党政権の3年3カ月を顧みれば、誰がどうみても後退に次ぐ後退であった。「後退」を「前進」と認識するのは唯の妄想である。
消えた「お上意識」:
 閣僚たちもまた、事ある毎に虚言を弄したのは周知の通りである。 そして最大の問題は、こうした永田町の非日本的な嘘と無責任が常態化し、それに対して国民が最初は憤慨しても、やがて諦念し、最後は順応してしまうことだ。 それはシロアリのように国民精神を蝕み、国家そのものをも倒壊させる危険性を孕んでいる。
 我が国において、一般国民の政治に向き合う姿勢は古来、いわゆる「お上意識」に象徴される従順と無批判であった。  この「お上意識」は、戦後左翼が蔓延させた階級闘争史観的な概念(お上イコール悪)によってマイナスイメージで語られることが多いが、実際には効率的かつ平和的に機能していたと言える。  何故なら近世以降、我が国の「お上」即ち権力階級(武士)は、田沼時代など一時期を除いて概ね質素倹約を旨としており、裁きも公平であったからだ。   少なくとも西洋のように、農奴から収奪した富で夜な夜な舞踏会を開いたり、大陸のように、金次第で裁きを変えたりするような、腐敗と汚職が恒常化している権力階級ではなかった。
 何故江戸城天守閣がないかを考えてみよう。  江戸城天守閣は、数万人の死者を出した明暦の大火(1657年)で焼失した。  その後、幕府で再建策が議論されたが、将軍補佐役の保科正之は「いまはかようの儀に国家の財を費すべき時にあらず」として江戸市中の復興を優先し、ついに再建されることはなかったのである。
 このように我が国では、権力階級が「国家の財」を自らの見栄や快楽に費やすのではなく、公共のために費やすべきだという意識が古くからあった。
 仁徳天皇の御世を思い出して戴きたい。  庶民の「お上のすることに間違いはない」という意識は、決して上から押し付けられたものではないのだ。
 それゆえ庶民は、政(まつりごと)はお上に任せ、安心して自らの仕事に専念することが出来た。   苛酷な政策に反対する百姓一揆もあったが、その大半は直訴や逃散といった非暴力的手段であり、訴えが認められて百姓側が勝訴することもたびたびあった。  大小様々な暴力デモが連日繰り返されている中国より、或いは歴代大統領の不正が次々に暴かれる韓国より、遥かに安定した、清潔な統治体制であったと言えよう。