渡辺喜美もポンスケだった!

・遠藤論文は橋下氏の慰安婦についての発言を「大筋は正しい」としている。
・啖呵(たんか)を切るからには、渡辺氏及(およ)びみんなの党は、自らの価値観ないし歴史観を明らかにする責任がある。
みんなの党の「方針・理念」とは何か?「アジェンダ」なるものは政策の断片的羅列にすぎず、その背骨(バックボーン)たる理念を読み取るのは困難である。
みんなの党は、強制連行があったと主張したいのか。 その証拠を示す用意があるのか。 国際的に日本の慰安婦問題だけが非難されている異様な事態を是とするのか。 だとすると、みんなの党はおかしな政党だ!
・支持率の低下に焦った橋下氏が暴走したように、渡辺氏も焦って見当違いの発言をしているように見える。
・維新の会もみんなの党も存在感を低下させ、なんとかアピールしようとあがいてはみたものの、的外れの言動に終始し、結果として「一強多弱」状態になってしまった。
・かつての社会党のごとく「反自民」、すなわち自民党と反対のことを叫べば票をとれると思い込んでしまったか?  渡辺喜美もポンスケだった!
・旧態依然としたレッテル貼りに甘んじ、国際的な反日宣伝への対抗策一つ示せないような野党に、自民党を超える存在感は到底期待できない。




〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
橋下発言の正しい部分
古森義久  2013.06.02
 気鋭の政治評論家の遠藤浩一氏の一文に強い関心を惹かれました。
 橋下発言に反発する形で「みんなの党」の渡辺喜美代表が述べた言葉に奇異な感じを受けたのは私だけではないとわかったことがひとつの理由です。
  橋下批判の啖呵を切るからには、自分自身の「価値観」を言ってみろ、という感じでした。 遠藤氏はまずその点を突いています。
 そして遠藤論文は橋下氏の慰安婦についての発言を「大筋は正しい」としています。
<<【正論】評論家、拓殖大学大学院教授・遠藤浩一>>
 ■こんな「一強多弱」にだれがした
 橋下徹日本維新の会共同代表(大阪市長)の発言を受けて、みんなの党渡辺喜美代表は「価値観の乖離(かいり)」を理由に、維新との選挙協力を白紙撤回した。
≪「みんな」も歴史観明かせ≫
 そこまで啖呵(たんか)を切るからには、渡辺氏及(およ)びみんなの党は、自らの価値観ないし歴史観を明らかにする責任がある。
 同党の浅尾慶一郎選対委員長は24日、「戦時体制を美化すると見られかねない政治勢力とは一線を画す。くれぐれも党の方針・理念から外れた行動をしないように」とのメールを党所属国会議員に一斉送信したという(27日付産経新聞)。
 ならばこの党の「方針・理念」とは何か。「アジェンダ」なるものは政策の断片的羅列にすぎず、その背骨(バックボーン)たる理念を読み取るのは困難である。
 5月3日に発表された「憲法記念日に当たっての代表所感」に記されている「改憲を目指すが、我々(われわれ)は戦時体制を賛美し、復古調の古色蒼然(こしょくそうぜん)たるレトリックを駆使する勢力とは異なる」「占領時代に温存された国家社会主義のDNAを一掃することなくして、戦後レジームの転換はありえない」、どうやらこのあたりに、みんなの党の「方針・理念」があるらしい。
 しかし、橋下氏は戦時体制を賛美しているわけではない。 むしろ「侵略と受け止め、反省とお詫(わ)びが必要」と、「村山談話」のようなことを言っている。 「復古調の古色蒼然たるレトリック」ではなく、まさに「戦後レジームのレトリック」そのものではないか。
 いわゆる従軍慰安婦問題について橋下氏は、
(1)軍や日本政府が強制連行した事実は今のところ証拠で裏付けられていない
(2)当時慰安婦制度は世界各国の軍が持っていたのに、なぜ日本だけが非難されるのか、
と主張した。
 これは事実認識をめぐる問題提起であり、橋下氏の認識は秦郁彦氏が断言したように「大筋は正しい」(23日付同紙)。
 みんなの党は、強制連行があったと主張したいのか。 その証拠を示す用意があるのか。 国際的に日本の慰安婦問題だけが非難されている異様な事態を是とするのか。
≪不当なレッテル貼り情けない≫
 もっとも、米軍は風俗店を活用すべきとの橋下発言はいかにも軽率かつ粗雑で、政治家として致命的失言だった。 ただ、橋下氏の場当たり的な物言いは、いまに始まったことではない。 選挙協力を進めてきた“友党”の党首として、もっと早くから気付き、対処すべきではなかったか。  いまさら「価値観の乖離」を持ち出すのは空々しい。
 大方が感づいているように、「価値観」云々(うんぬん)は、維新の会との連携にブレーキを踏むための方便でしかない。 それによって参院選を少しでも有利にしようとの計算があるのだろう。
 しかし支持率の低下に焦った橋下氏が暴走したように、渡辺氏も焦って見当違いの発言をしているように見える。
 現在の日本の政界に「戦時体制を賛美し、復古調の古色蒼然たるレトリックを駆使する勢力」は存在しない。  内外から不当なレッテル貼りをされている安倍晋三首相にしても戦時体制を賛美したことなど、筆者が知る限り一度もない。 ないものをあるかのごとく言いつのり、差別化をはかろうとするのは、幽霊を相手に相撲を取るようなもので、見物客(有権者)は ソッポをむく。
 なるほど、反日的な主張を是とする有権者も一定程度は存在するだろう。  「価値観」にまで踏み込んだ渡辺氏及びみんなの党は、そうした層からの得票を見込んでいるのかもしれない。 が、「反日」は一般有権者の間では結局マジョリティーたり得ない。 声高な少数派の票を、民主党社民党共産党その他と分け合うだけの選挙戦術は、悪手というほかない。
≪「反自民」でなく「超自民」で≫
 安倍内閣が発足して以来、維新の会もみんなの党も存在感を低下させ、なんとかアピールしようとあがいてはみたものの、的外れの言動に終始し、結果として「一強多弱」状態になってしまった。
 なぜそうなったのか、そこのところをよく考えなければならない。安倍自民党だけが高い支持を得ているのは、大方の有権者にとって、自民党以外に支持すべき政党が見当たらないからである。
 参院選自民党に独り勝ちさせないことが野党にとっての目標だとするならば、そのためには、自民党から票を奪わなければならない。
 ところが、ここで多くの 人が勘違いする。 かつての社会党のごとく「反自民」、すなわち自民党と反対のことを叫べば票をとれると思い込んでしまうのである。
 そうではない。「反自民」票などたかが知れている。 訴えるべきは「反自民」ではなく「超自民」、すなわち是々非々に立った上で自己の比較優位性を主張するしかないのである。
 旧態依然としたレッテル貼りに甘んじ、国際的な反日宣伝への対抗策一つ示せないような野党に、自民党を超える存在感を期待することはできない。(えんどう こういち)