・2006/10月19日にベトナムのズン新首相が国会演説の際、河野洋平が挨拶で

・2006/10月19日にベトナムのズン新首相(親中派)が国会で演説した際、河野洋平が述べた挨拶で
先の大戦で、わが国の軍政下において(ベトナムに)多数の餓死者を出したことを忘れてはならない」と反省の弁と不当謝罪をした。
・この大量餓死説は単なるプロパガンダだったことを当のベトナム共産党も認めている。日本の軍政下がそもそも誤りだ!
・大昔の捏造ストーリーを衆院議長が改めて口にしたうえで、あろうことか反省の弁を述べたのだ。
皇軍が北部仏印に進駐したのは昭和15年だが、仏ヴィシー政権の影響力を完全に放逐して大日本帝国が統治したのは、昭和20年の3月。
インドシナ地方は伝統的に三期作で、例外的にコメ不足が発生するのは農閑期の9月前後だ。 昭和19年の9月も翌年9月も大日本帝国とは無関係である。 根拠のない捏造ストーリーだ!


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
日時 : 2006/10/27 02:47
  国賊河野洋平がまた国会で妄言を垂れ流した。60年前のベトナム大飢饉で、来日した新首相に陳謝したのだ。そのウソを暴くと同時に、河野衆院議長の証人喚問を要求する。
 慰安婦妄言が未だに我が国に災厄を与え続ける中で、その無責任な発信者、国賊河野洋平がつい一週間前にも、根拠のない捏造ストーリーで他国に陳謝していたことが判明した。
 最早、この真性売国奴を放置しておくことは許されない。
【河野の不当謝罪が判明】
朝日新聞』は最近になって「歴史と向き合う」という中途半端な反日キャンペーンを再開している。26日の紙面には、河野洋平へのインタビューが掲載されていた。 そこに、とんでもない言説があったのだ。
 インタビュー記事には、2006/10月19日にベトナムのズン新首相(親中派)が国会で演説した際、河野洋平が述べた挨拶が取り上げられていた。
 河野は挨拶でこう言及していたのだ。
先の大戦で、わが国の軍政下において(ベトナムに)多数の餓死者を出したことを忘れてはならない」
何のことか判らない日本人が殆どだろう。
これは60年前のホーチミンの独立演説で飛び出した「200万人餓死説」を指している。
結論から言えば、この大量餓死説は単なるプロパガンダだったことを当のベトナム共産党も認めている。
大昔の捏造ストーリーを衆院議長が改めて口にしたうえで、あろうことか反省の弁を述べたのだ。
それが妄言&デマカセであることを示そう。
【妄言を軽く論破する】
 まず河野発言にある「日本の軍政下」という認識が誤りだ。
 北部ベトナムで飢餓状態が発生したと言われるのは昭和19年から昭和20年にかけての「ある時期」だ。
 皇軍が北部仏印に進駐したのは昭和15年だが、仏ヴィシー政権の影響力を完全に放逐して大日本帝国が統治したのは、昭和20年の3月。
 それまでは仏のインドシナ植民地政府が行政の大部分を仕切っていた。
 日本統治と呼べる僅か5ヵ月の間に、当時の総人口の15%が飢え死にしたことはあり得ない。
 専門的な部分で指摘すると、インドシナ地方は伝統的に三期作で、例外的にコメ不足が発生するのは農閑期の9月前後だ。
 昭和19年の9月も翌年9月も大日本帝国とは無関係である。
 この大飢饉の捏造話では、南部の穀倉地帯からの輸送が線路の破壊によって途絶え、北部で起こったとされている。
 線路の分断や列車の破壊があったとしても、それは米軍の爆撃によるものだ。インフラの損傷に我が国の責任は一切ない。
 更に、我が皇軍がコメを横取りして、本土に移送したことが原因とする説もある。
 しかし、フィリピンも奪取され制海権を失っていた大東亜戦争末期、大型輸送船が東シナ海を越えて行くことは現実的に無理だ。
 水害でコメ不足がある程度、発生したのは事実のようだが、これについては高山正之さんが「異見自在」で論破している。何と心優しい皇軍兵士たちは食糧難の市民を救うべく炊き出しもしていたそうだ。
http://zeroplus.sakura.ne.jp/u/1999/0717.html
 そもそもこの餓死日本軍責任説は90年代に亡霊のように甦ったストーリーだ。  しかも、反日キャンペーンの匂いが濃厚である