・韓国がおかしなことを言い出すと、かえって哀れを誘う!

・『チャングム』とかいう番組を見た経験がある。なんとNHKだった。
  十五分ほど見て、これがでっち上げの劇であることはすぐに分かる。
時代考証を無視した衣装、貧民街がきれいで宮中は御殿のように美しく、また喋る台詞の気障なこと、五分もみていたら吹き出すだけだ!
・十六世紀の医学、とりわけ漢方医の状態だった韓国で、メスが登場したり、時代考証的にも出鱈目だった。
・宮脇さんは、『チャングム』、『冬のソナタ』、『朱蒙』、『太王四神記』、『善?女王』、『龍の涙』、『遺産』等々韓流ドラマをDVDで全部、みた。
朝鮮半島の古代の言葉は全く残っていない。どんな言葉かわからない。じつは、それが朝鮮半島の人は悔しくてしようがない。
李明博前大統領の竹島上陸直後から、韓流ドラムのブームは日本では、ぴたりと終わった。
・朝鮮の民が戦争につよいという韓流ドラマで誇張されていたような史実はない。
・「高麗がモンゴルに攻められたときも、王様と軍隊は民を見捨ててスタコラサッサと江華島へ逃げ込んだし、豊臣秀吉の慶長・文禄の役のときの李氏朝鮮軍にしても、明軍がでてくるまで連戦連敗でした。明らかになっている史実では、朝鮮半島にあった国はほとんど負け戦」だった。
李舜臣の活躍で日本の水軍が逃げ帰ったという事実はない。
李氏朝鮮をひらいた李成桂満州族女真)だったこと、ハングルを庶民に徹底普及させたのは福沢諭吉だった。
・金泌鐘首相も完璧な日本語を喋った。 夜の宴会で驚いたのは参加者の多くが「日本時代は好かった」といった。
・当時の韓国は「反共」である。在韓米軍は最新の武装、38度線は緊張感がただよい、秘密のトンネルも次々と発見され、国民全体が反共ゆえに日本への依存も高かった。 いや、国を挙げて親日ムードに溢れていた。
・日本重視政策が突如変わったのは、金大中政権からだ。
・日本に出鱈目なことをやってのけるのは、その体内に染みついた事大主義、媚中の体質だ!
・韓国がおかしなことを言い出すと、かえって哀れを誘う。






〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
書評『韓流時代劇と朝鮮史の真実』  
宮崎正弘  2013.08.14
 嘘に嘘を重ねて架空の歴史を描くのは歪んだコンプレックスが源泉。しかし疑問なのは何故「韓流ドラマ」が日本で流行したか、である。
<<宮脇淳子『韓流時代劇と朝鮮史の真実』(扶桑社)>>
 これはとてつもなく面白く、且つ痛快な本である。 なにしろ韓流ドラマが「すべて嘘である」ことをやさしい文章で、説き諭すように証明しているのである。
  保守論壇においてさえ、こうした試みがあまりなされなかったから、珍しい時代考証本でもあり、しかも分析が世界史的展望の基本に立脚しているので、韓国の『愛国者』も本書に対して反論は出来ないだろう。
 最近はあまりに理不尽な韓国の主張に完膚無きまでの反論がなされるようになり、古田筑波大教授、室谷克実氏、呉善花氏の活躍がある。
  宮脇さんは一度しゃべり出すと、モンゴル語満州語、シナ語の基礎があるから、史実考証は独壇場となる。
  評者(宮崎)はあいにく韓流ドラマに関心が薄く、というより一切興味がないので見たことがないのだが、唯一例外的に一回だけ旅先のホテルで『チャングム』とかいう番組を見た経験がある。なんとNHKだった。
  十五分ほど見て、これがでっち上げの劇であることはすぐに分かる。 その時代考証を無視した衣装やら、貧民街がきれいで宮中は御殿のように美しく、また喋る台詞の気障なこと、五分もみていたら吹き出すだけで、なんでこんな嘘が世界的ブームになるのか、おそらく想像できるのは、時代考証とか歴史的考察を度外視してのキレイゴト、わすれていたピュアな恋愛、その絵に描いたような慕情と悲恋に自らを感情移入してセンチメンタルになりたいからではないか、と思った。
 ともかく偶然みた場面はなにかの事件で済州島島流しになっていた主人公の医師が復活し宮廷で手術をほどこして貴人を助けるという所だが、十六世紀の医学、とりわけ漢方医の状態だった韓国で、メスが登場したり、時代考証的にも出鱈目だった。
 ところが日本ばかりか、韓流ドラマをバングラデシュとかミャンマーへ行ったときもガイド氏らが一様に『見ている』と言うのである。
「え?」。帰国後、調べたら、これは韓国の国策、外務省予算がたっぷりついて対外宣伝、各国の外交プロパガンダの一環であることが分かって妙に納得した。
 さて、 著者の宮脇さんは、これら韓流ドラマをDVDで全部、みたのである。
チャングム』、『冬のソナタ』、『朱蒙』、『太王四神記』、『善?女王』、『龍の涙』、『遺産』等々。嗚呼、ご苦労様でした。
 そして例証のひとつとして次の記述がある。
新羅語というのは、習俗から考えてもおそらくはアルタイ語族の系列だろうと推測できますが、現在では知る術がありません。古代の日本語は『万葉集』に残されましたが、朝鮮半島の古代の言葉は全く残っていないのです。人の名前が漢字でいくつか残っているだけで、どんな言葉かわからない。じつは、それが朝鮮半島の人は悔しくてしようがない」のである。
 だからなんでもかんでも柔道から漢字まで「韓国が日本に教えてやった」という作り事を本気で言う。これがウリジナル(ウリとオリジナルを引っかけた揶揄語)。
▼日本で韓流ブームはぴたりと終演した
  そして李明博前大統領の竹島上陸直後から、韓流ドラムのブームは日本では、ぴたりと終わった。
 かわって嫌韓反韓ムードがたかまり、政治的思想的には時代考証が深化し、韓国の主張していることが全てまったくの嘘であることも分かった。
 その錯誤への悔恨が国民の多くに浸透し、北朝鮮弾劾、拉致問題のデモから、反韓デモへと色彩が変わり、日本各地で組織化され、とくに大久保のコリアンタウンでは毎週日曜、夥しいデモが行進がある。コリアンタウンに韓国人俳優のプロマイドを買いに来ているご婦人には「韓流ばばぁ」と非難するそうな。
  現象的なことはともかくとして、本書で展開されているなかで、とくに興味を引かれた記述がいくつかある。そのうちから二つ、三つを紹介しておきたい。
  朝鮮の民が戦争につよいという韓流ドラマで誇張されていたような史実はない。
「高麗がモンゴルに攻められたときも、王様と軍隊は民を見捨ててスタコラサッサと江華島へ逃げ込んだし、豊臣秀吉の慶長・文禄の役のときの李氏朝鮮軍にしても、明軍がでてくるまで連戦連敗でした。明らかになっている史実では、朝鮮半島にあった国はほとんど負け戦」だった。
李舜臣は韓国内では大英雄として扱われている」うえ、この法螺話伝記を翻訳したおっちょこちょいも日本にいるが、まったくの「大嘘」で李舜臣の活躍で日本の水軍が逃げ帰ったという事実はない。
李舜臣は初期においてこそ補給部隊を襲撃して戦果を上げましたが、日本が対策を講じた後は何も出来なかった。 連戦連敗の朝鮮軍にあっては、李舜臣が比較的奮闘したことは確かでしょう。(中略)明軍がやってきてようやく和睦交渉に漕ぎ着けますが、その交渉は明と日本との間におこなわれ、朝鮮は『蚊帳の外』だった」。
 「小中華主義で文明国を気取っていても、コピーするだけだから独自の文化が育たなかった。 よく韓国は『自分たちが日本に文化を教えてやった』などと世迷い言をのたまうのですが、実際にはシナ文化が朝鮮半島を通り過ぎただけです。 それを取り入れた日本の鵬が、はるかに確(しっか)りした文化の土台ができていたので、シナ文化を真似るだけのようなことはなかった」
 こうなると先方は立つ瀬もない。
 まだある。たとえば「漢に滅ぼされた王国『古朝鮮』は史実ではない」し、李氏朝鮮をひらいた李成桂満州族女真)だったこと、ハングルを庶民に徹底普及させたのは福沢諭吉だったことなど、是非本書に当たられない。
▼嘗て韓国が反共を国是とした時代は過去の物語になった
 蛇足だが、個人的体験を書く。
  評者(宮崎)が最初に韓国へ行ったのは1973年、まだ朴正煕大統領のころで、一週間ソウルに滞在してあちこちを取材したが、大歓迎され、とくに有力閣僚がインタビューに応じてくれた。
  彼らは一様に流ちょうな日本語、些細で微妙な表現も日本語でなした。 金泌鐘首相も完璧な日本語を喋ったのだ。 夜の宴会で驚いたのは参加者の多くが「日本時代は好かった」というのである。 かれらはまた日本の『中央公論』『文藝春秋』などを仔細に読んでいた。
 なにしろ当時の韓国は「反共」である。在韓米軍は最新の武装、38度線は緊張感がただよい、秘密のトンネルも次々と発見され、国民全体が反共ゆえに日本への依存も高かった。 いや、国を挙げて親日ムードに溢れていた。いまとなっては考えられない状況がそこにあった。
  日本の保守知識人はほとんどが韓国贔屓でもあった。
  爾後、何回か韓国へ行った。 儒城温泉にも、古墳群にも、釜山にも済州島にも行った。 或るシンポジウムでは高坂正堯氏と一緒だった。その懇親会には現代グループの鄭会長も金大中も、金泳三も出席した。
  或る年の国際シンポジウムでは88年ソウル五輪を前に世界のジャーナリストが集まり、米国から来ていたボルシェグレーブ(NEWSWEEK元編集長)らとも知り合った。 日本からは竹村健一日高義樹氏らも出席していた。
 そうした日本重視政策が突如変わったのは、金大中政権からだろう。
  金大中は、朴政権時代に日本に亡命し、高田馬場にオフィスをかまえて岩波、朝日などと交流し、左翼に染まっていった時代でもある。
 彼が誘拐され、それがKCIAの仕業とわかったときに、日本のマスコミは韓国を痛罵攻撃しはじめた。
  凄まじい韓国批判が日本で本格化したのも、背後に米国の情報操作があった。
 そして日本の論調の変化とともに韓国は北朝鮮に理解を示すようになり、中国と国交を開くや、反共路線を弊履の如く捨てた。  米国と距離を置く、日本のこととなるとぼろくそに批判し、反対に北京に靡いた。
 すなわち韓国は国を挙げて基本姿勢を中国へなびくことに決めたのだ。

 だから日本軽視は、中国重視への転換とパラレルに起きた。
 外交儀礼や国際常識を度外視しても、日本に出鱈目なことをやってのけるのは、その体内に染みついた事大主義、媚中の体質。
 強気に媚び、弱気を虐めるというDNAである。逆に言えば韓国がおかしなことを言い出すと、かえって哀れを誘う。