・民主党 細野の犯した基準「1ミリシーベルト」の罪は 大きすぎる!

民主党 細野の犯した基準「1ミリシーベルト」の罪は 大きすぎる!
・1ミリシーベルトには、何の裏付けも科学的根拠もない。
 人体に影響があらわれるとしても、100ミリシーベルト以上だからである。
・年間被曝量1ミリシーベルトの健康リスクは、受動喫煙にもおよばない。
・1ミリシーベルト以下でなければ、安全に居住することができないというのでは、福島県は、避難者の帰還や震災復興どころか、全県が“生活不能地区”となってしまう。
・年間被曝量1ミリシーベルトは、宇宙からの自然被曝量以下で、1回の胸部X線撮影でうける1回の被曝量が最大1ミリシーベルト、CT検査では、被曝線量が約8ミリシーベルトにもなる。
・世界の人々の半数以上が、年間被曝量1.5〜3ミリシーベルトのエリアに住んでいる。
・除染作業が停滞し、帰還問題が行き詰まっているのは、残存放射能の除染目標を1ミリシーベルト、帰還条件を20ミリシーベルトに設定しているからで、この基準値では、何十兆円、何十年かけても、除染が不可能で、元住民は、永遠に、故郷へもどることができない。







〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
福島問題は民主党政権の「負の遺産」①  2013年09月30日
●「1ミリシーベルト」の縛りで“廃県”の危機
  福島の復興と放射能被害からの回復が、年間被曝量「1ミリシーベルト以下」の縛りによって、停滞を余儀なくされている。
 1ミリシーベルト以下でなければ、安全に居住することができないというのでは、福島県は、避難者の帰還や震災復興どころか、全県が“生活不能地区”となってしまう。
 なぜ、福島県は、自分で自分の首を絞める1ミリシーベルトにしがみつくのか。 
 年間被曝量1ミリシーベルトは、宇宙からの自然被曝量以下で、1回の胸部X線撮影でうける1回の被曝量が最大1ミリシーベルト、CT検査では、被曝線量が約8ミリシーベルトにもなる。
 国連科学委員会の報告書(2000年)によると、現在、世界の人々の半数以上が、年間被曝量1.5〜3ミリシーベルトのエリアに住んでいる。
 健康によいとされるラジウム温泉の宿で受ける放射線量は、自然被曝量の7〜10倍である。
 シーベルトは、放射線の被曝による人体への影響をあらわす単位で、4基の原子炉の核燃料が溶融した福島の原発事故では、放出されたセシウムが広島・長崎の168倍におよぶと国会報告された。
 チェルノブイリスリーマイル島に並ぶ原発事故のあと、住民や自治体が、平時でも達成が困難な1ミリシーベルト以下をもとめるのも、管轄官庁が、安易に、同数値を確約するのも、異様で、世界がきびしく批判するのは、当然である。
 海外のメディアは、大量に摂取すると死ぬという理由から、塩分を一切禁じるようなヒステリックな日本の政策を批判する。
 発癌率に影響がないのに、年間1ミリシーベルトの目標を掲げ、そのために兆単位のカネ注ぎ込む真意がわからないというのである。
「除染を考慮しなくても、福島では健康被害の増加の可能性は少ない」(世界保健機関/WHO)、「福島原発事故で差し迫った健康リスクはない」(国連科学委員会)、「避難の長期化は適切ではない」(全米原子力学会)
 国内も、大メディア以外は、「原発事故2年後の段階で、福島県と東日本で、原発事故が原因となった健康被害は確認されていない」とおおむね冷静だ。
 「18歳以下の調査で甲状腺異常は発見されていない」(福島県)、「食事などによる内部被曝はほぼゼロ」(東大)

 すでに、原発周辺の住民は、原発事故時に、自然界からうける被曝量の何倍、何十倍、何百倍のセシウムを被曝している。
 現在、問題にされているのは、環境に残留している放射能だけだが、問題なのは、事故時に周辺住民が浴びた放射線量である。
 したがって、住民の健康診断を徹底させ、被曝放射線由来の疾病予防、対策に、万全を期さなければならない。
 一方、環境に残留する放射能は、事故時に放出された放射線量に比べて、はるかに小さい。
 広島、長崎では、福島とは比較にならないレベルの残留放射能の上に都市を再建したが、人体被害は、ほとんど、報告されていない。

 現在、除染作業が停滞し、帰還問題が行き詰まっているのは、残存放射能の除染目標を1ミリシーベルト、帰還条件を20ミリシーベルトに設定しているからで、この基準値では、何十兆円、何十年かけても、除染が不可能で、元住民は、永遠に、故郷へもどることができない。
 某シンクタンクは、除染の目標を1ミリシーベルトに設定した場合、福島県全域で、28兆円かかると試算している。
 1ミリシーベルトには、何の裏付けも科学的根拠もない。
 人体に影響があらわれるとしても、100ミリシーベルト以上だからである。
 1ミリシーベルト以上が危険とする根拠は、一生のあいだに、100ミリシーベルト以上の放射線を浴びると、発癌率が0.5%上がるという疫学的仮説だけである。
 一生を100年として、100ミリシーベルトを100で割ると、年間の許容被曝量が1ミリシーベルトになるという計算である。
 ちなみに、発癌率の0.5%上昇は、野菜不足や受動喫煙のレベルである。
 200〜500ミリシーベルトの健康リスクは運動不足、高塩分食品で、500〜1000ミリシーベルトは肥満。
 発癌率が1.6倍になる1000ミリシーベルト以上は、毎日3合以上の飲酒や喫煙者が含まれる。
 この数値には、細胞の修復力が考慮されていない。
 福島原発事故では、推計1973人の作業員が、100ミリシーベルトを超える甲状腺被曝をうけたが、健康被害はでていない。
 細胞の修復力がはたらいたためである。
 100〜200ミリシーベルトは、発癌率が1.08倍になるという試算があるが、低線量の被曝は、24時間以内に体内で修復されるので、年間被曝量1ミリシーベルトの健康リスクは、受動喫煙にもおよばない。

 政府は、自治体や住民からの反発によって、住民帰還の目安となる年間被曝線量を20ミリ・シーベルトから1ミリ・シーベルトへ、除染の対象を当初予定の年間5ミリ・シーベルトから1ミリ・シーベルトへ、それぞれ、変更した。
 帰還や除染の目標を1ミリシーベルトに設定すると、福島は、永遠に放射能汚染地区から脱却できず、避難した人々も、故郷に帰還できない。
 反原発プロ市民が、福島に入りこんで、「1ミリシーベルト死守」を叫ぶ理由が、そこにある。
 原発事故で放射能汚染された福島を、短期間で、自然状態の1ミリシーベルトにもどせという、ないものねだりをして、反原発運動を展開するのが、彼らの戦略で、1ミリシーベルトにこだわるかぎり、福島は、廃県への道をたどらざるをえない。
 1ミリ・シーベルト固執すると、以下の事態が想定される。
 ①1ミリ・シーベルトが壁になって、避難者の帰還や生活インフラの再建が停滞する
 ②「分離一時保管」の除染作業が何年もつづき、数十兆円の費用がかかる。
 ③残留放射能を縮減して無害化する中間処理が宙にうき、根本的解決が不能になる
 ④重度汚染物質の梱包袋が無限に増え、保管する仮置き場、仮仮置き場、最終置き場の確保が不可能になる
 ⑤最終的手段となる焼却によって、気化した放射能化合物が大気中に拡散して、広範囲に累積される

 放射性物質は、線量を縮減して、無害化をはかる以外、有効な処理方法がない。
 事実、雨の多い日本では、原発事故から2年半が経過して、残存放射線量が急速に低下している。
 中間処理の過程で、放射線量を縮減・無害化するには、実現が可能な「安全数値」を設定しなければならない。
 実現可能な数値基準を設定することによって、除染と中間処理の作業マニュアルができ、放射能縮減作業が可能となる。
 放射能縮減作業がおこなわれた重度汚染物質は、一般廃棄物となるので、最終置き場、仮置き場、仮仮置き場の必要もなくなる。
 だが、中間処理をゆるさない1ミリシーベルトの目標設定では、残存放射能がゼロになるまで、何十年も待たなければならない。
 次回は、なぜ、当時の民主党政府が、1ミリシーベルトという途方もない数値を掲げ、内閣官房参与東京大学大学院教授が、記者会見で「10ミリシーベルトでは子供たちがかわいそう」と涙を流したのかなど、さらにふみこんで、福島の放射能問題の核心に迫ってみたい。<山本峯章>