・台風被害救援で、米軍の展開は迅速だ!

・台風被害救援で、米軍の展開は迅速だ! 10日には沖縄駐留海兵隊約90人がタクロバン空港に飛び、被害状況から判断し、すぐC130輸送機と新型輸送機MV22オスプレイの来援を海兵隊本部に要請した。
・危機に際して、海兵隊オスプレイがいかに人道的な活動をするか、沖縄で反基地闘争にかまけている活動家は、自分の目で学習したらいい。
・5000人の要員や災害救助などに当たるヘリコプター部隊を搭載した原子力空母ジョージ・ワシントンは、巡洋艦駆逐艦を従えて現場に直行した。
・安倍政権も手際の良い対応を実施した。1000万ドルの緊急無償資金協力は米英豪と見劣りしない。自衛隊から国際緊急援助の先遣隊として、医療チームを中心とした要員約50人を送った。  
・次いで、小野寺五典防衛相は最大1000人という過去最大規模の派遣準備に入った。







〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
台風被害救援で日米比の連帯を
杏林大学名誉教授・田久保忠衛  2013.11.15 03:05 [正論]
 フィリピンのアキノ大統領は、「死者は2000人ないし2500人」と米CNNテレビに答えていたから、犠牲者数は当初伝えられた1万人に達しないですむかもしれない。
 直撃されたレイテ島のタクロバン市に降り立ったガスミン国防相は、「電気も水も何もない。人々は死に物狂いだ」と語った、と米紙は伝えている。  現地に入れず隣のセブ島で書いている記事だから、惨状が伝えられてくるのはこれからに違いない。
≪迅速な米軍、オスプレイも≫
 東日本大震災でお世話になったフィリピンが、異例の大規模台風「ハイエン」で受けた人的、物的被害に対しては言うべき言葉もない。亡くなった方々には衷心からお悔やみを申し上げたい。
 「世界の警察官になるべきではない」などとのオバマ大統領の発言があったから、余計に新鮮だったのかもしれないが、米軍の展開は迅速だった。10日には沖縄駐留海兵隊約90人がタクロバン空港に飛び、被害状況から判断して、すぐC130輸送機と新型輸送機MV22オスプレイの来援を海兵隊本部に要請している。危機に際して海兵隊オスプレイがいかに人道的な活動をするか、沖縄で反基地闘争にかまけている活動家は、自分の目で学習したらいい。
 5000人の要員や災害救助などに当たるヘリコプター部隊を搭載した原子力空母ジョージ・ワシントンは、巡洋艦駆逐艦を従えて現場に直行している。2年半前に発生した東日本大震災の際にわれわれが目の当たりにした「トモダチ作戦」が今、フィリピンでも展開されようとしている。
 米軍の行動が含んでいる政治、安全保障面での意味合いは小さくない。日本もフィリピンも、それぞれ東シナ海南シナ海で隣の大国からいわれのない難癖を付けられている。
 アキノ大統領は、フィリピンの戦略的パートナーは米国と日本だと明言し、デルロサリオ外相は毎日新聞に、「防衛力の正常化など(日本の)憲法が改正されれば、日本との防衛条約締結を前向きに検討する」(今年3月13日付)とまで述べている。
 日米、米比関係が軍事同盟で結ばれている事実を考えれば、今後も日比のつながりは強まることはあっても弱まることは考えにくい。
≪手際良い援助、自衛隊派遣≫
 自民党を含む戦後の政治家たちの国際情勢音痴と軍事アレルギーには何度も絶望的になった私が関心を持ったのは、安倍晋三政権の手際の良い対応だった。
 第1は、菅義偉官房長官が発表した1000万ドルの緊急無償資金協力だ。米英豪と見劣りしない。追加支援策も検討しているというから、日本の真心は理解してもらえよう。ニューヨーク・タイムズ紙社説は4カ国の額を示し、フィリピンと対立する中国は「わずか20万ドル」と批判した。
 第2は、官房長官が岩崎茂統合幕僚長自衛隊派遣について協議した後、自衛隊から国際緊急援助の先遣隊として、医療チームを中心とした要員約50人を送ったことだ。  次いで、小野寺五典防衛相は最大1000人という過去最大規模の派遣準備に入った、と発表した。
 これこそまさにシビリアンコントロールではないか。
 個々の官僚に優秀な人材は多いが、重要な政治判断を歪(ゆが)めてきたのは、「先例はどうだったか検討する必要がある」「物事には順序がある」といった役所特有の遁辞(とんじ)である。
 昨年3月の東日本大震災追悼式で、多額の支援をしてくれた台湾の代表に献花させない無礼があり、野田佳彦首相が謝った後で藤村修官房長官が「あれで問題はなかった」と述べた大失態は、政治主導を口先だけで叫んできた政治家が事務方に手玉に取られた好例ではなかったか。
 今回の対比支援は、明らかに政治の判断で動いているように見受ける。
≪独立支援にさかのぼる関係≫
 フィリピンは先の戦争で日本の犠牲になったとの見方をことさら強調する向きは、フィリピンよりむしろ日本に多い。
 しかし、歴史のうねりの中で観察すれば、19世紀末にスペインによる過酷な支配から独立を求めた人たちを支えたのは日本の志ある人々だった。
 革命軍司令官、エミリオ・アギナルドの要請で民間の有志が布引丸に武器・弾薬を積んでマニラに向かうが、途中で暴風雨に遭って沈没する。秘話、布引丸事件だ。
 独立運動の英雄、ホセ・リサールは1888年に帝国ホテルの前身の東京ホテルに滞在し、日本側関係者と接触した。東京ホテルの跡地、日比谷公園の片隅に戦後、彼の胸像が駐日フィリピン大使によって建てられた。 今でも周辺は清掃され、像は磨かれている。
 アキノ大統領は就任以来3年半にわたって南シナ海では中国の圧力に対抗、国内では腐敗一掃政策を推進し、反政府勢力との戦いを続けている。 今回の大災害も克服するだろう。
 ついこの間まで「平和的台頭」を自称していた中国は、「危険な台頭」に変じた。
 次は海洋国家の「平和的台頭」の時代が始まるかもしれない。フィリピンの一日も早い復興を祈りつつ思うのは、このことである。(たくぼ ただえ)