・中国の海上民兵のシミュレーションを漁船の台風避難を口実に実施訓練していたのが2012年7月18日の福江島だった!

・台風避難を目的に、2012年7月18日、玉之浦港に突如、「元寇」を思わせるほど夥しい106隻の中国船が、整然と隊列を組むかのように入港した。
・百六隻の漁船に対して、海上保安船は150トンクラスが一隻と巡視艇というボートが一隻の計二隻だけだ!
・魚群探知機を装備している漁船はすべて中国海軍の管轄下にある。漁船は海上民兵だ!
・中国の海上民兵のシミュレーションを漁船の台風避難を口実に実施訓練していたのが2012年7月18日の福江島だった!
・2010年8月には「270隻もの漁船団が日中中間海域に出没」し、しかも「そのうちの海上民兵一隻が海上保安庁の巡視船に体当たりした」
・中国の「海上民兵」を駆使した海洋軍事作戦とは、「百メートルおきに横に並ぶと10キロ、二列で間を埋めて50メートルおきに並んでも5キロのエリアで海底を詮索できまる。だから漁船団が動き出すと(日本と米軍の)潜水艦は動けなくなる」









〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
五島列島玉之浦港に、ある日突然、中国漁船106隻が集結した   
宮崎正弘   2014.06.19
■もっとも警備の弱い海上防衛のアキレス腱めがけ中国海軍は何を狙ったか
 それは2012年7月18日のことだった。
  五島列島の南端・福江島の南のはずれに位置する玉之浦港に突如、「元寇」を思わせるほど夥しい中国船が、整然と隊列を組むかのように入港した。
  台風避難が目的であるとされた。合計106隻。
  日中漁業協定で確認された避難ポイントは、この玉乃浦港から100キロ先であり、台風を名目にわざわざ福江島の南端、警備の薄い日本の港を狙っての集団避難は異様な光景、なにか軍事的目的があると考えられた。
  玉之浦は緯度的には長崎と佐世保の中間、大村飛行場と同一線上にある。
「入港後日本の海上保安庁の巡視船が監視にあたりましたが、百六隻の漁船に対して、海上保安線は150トンクラスが一隻と巡視艇というボートが一隻の計二隻だけ」((遠藤浩一編『日本文明の肖像2』所載、山田吉彦論文)
 おもわず背筋が寒くなる光景だった。
  玉之浦の人口は1800人、中国側は各船に20人から50人が乗っていたと推定すると、合計3000名となる。
 つまり台風避難を名目に玉之浦港は中国に占領された格好だった。漁船といっても遠洋航海の船は魚群探知機を装備している。 こうした漁船はすべて中国海軍の管轄下にある。
  山田吉彦(東海大学教授)は、「この漁船は海上民兵」と推測し、第一列島線の内側を「中国は海洋領土とすることを目指してきた」から、こうした行為に及んだとする。
 すでにそのときまでに中国は西沙諸島ミスチーフを占領し、2010年8月には「270隻もの漁船団が日中中間海域に出没」し、しかも「そのうちの一隻が海上保安庁の巡視船に体当たりした」
 
 そして推定される中国の「海上民兵」を駆使した海洋軍事作戦とは、「百メートルおきに横に並ぶと10キロ、二列で間を埋めて50メートルおきに並んでも5キロのエリアで海底を詮索できまる。だから漁船団が動き出すと(日本と米軍の)潜水艦は動けなくなる」(同前掲書)。
 そうしたシミュレーションを漁船の台風避難を口実に実施訓練していたのが、当該の事件ではなかったかと山田教授は言うのである。