・「これは80年代にポーランドで起きたワレサの『連帯』運動と同じ勢いがあり、いずれ共産党を凌駕する組織が広がる可能性が強いと恐れている」(『TIME』,2014年9月15日号)

・全土で数千人が抗議するという異常事態が出現し、警備当局が慌てた。
原因は2009年に、雨後の竹の子のように急設立された「光麟不動産」という会社で、社長の呉重麟がマンションの頭金など10億元をもったまま「蒸発」した!
・抗議活動が起きたのは山西省陝西省内蒙古、河北、河南省吉林省などで、西安、太源、フフホト、赤峰、パオトウ、長春などで政府庁舎を囲んだため警官隊が動員され、一部都市では乱闘騒ぎとなり、負傷者が続出した。
労働争議は毎月平均で60-70件おきており、2011年統計の三倍になった。「自らの権利に目覚め、言うべきことを言うのが自分なりの中国の夢を達成する唯一の手段である」と多くの労働者が自覚したからだ。
・操業ボイコット、生産ライン停止という、企業側のもっとも弱いポイントを突く戦術を選択するようになった。
・「これは80年代にポーランドで起きたワレサの『連帯』運動と同じ勢いがあり、いずれ共産党を凌駕する組織が広がる可能性が強いと恐れている」(『TIME』,2014年9月15日号)












〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
中国の農民暴動は相変わらず、労働運動の質が変わった    
宮崎正弘  2014.09.08
■賃上げ要求はほぼ終了、福祉厚生方面の改善、ドミトリー冷暖房化などを求める
新型暴動 その1 不動産をめぐる民衆の暴動:

  不動産投資ブームがおわり、バブルの崩壊が始まったが、中国の主要都市の90%で不動産価格の値崩れがおきたことは日本経済新聞も伝えた。
 これに伴い
(1)高い値段で買った人は「割引分に戻せ」と騒ぎ出し、デベロッパー企業に抗議。
(2)モデルルームを展示するマンション・ギャララリーを「騙された」と言って打ち壊し活動。
(3)もともと農民はだまし取られた農地の代替地が遠い、補償金をもっと増やせという農民一揆が頻発してきた。
これらが簡単に弾圧されたのは組織がなく、指導者が不在だったからである。
 こうした従来型暴動の列に新しく加わったのが「カネを払ったのに登記が為されていない」という詐欺の頻発事件により監督官庁への抗議活動が立体化したことである。
「9月2日から5日にかけて、中国7省18都市で一斉に抗議活動がおこり、このデモはデベロッパーや不動産業者ビルを取り囲んで抗議したのではなく、なんと地方政府に『なんとかしろ』と抗議したのだ」(『博訊新聞』、2014年9月6日)。

▼工場ストライキや街頭デモではなく、直接、政府庁舎へ抗議:
  詐欺的な業者を放置した責任、そして登記を役所の責任で被害者におこない補填せよという新型要求に官庁側はたじろぐ。
  全土で数千人が抗議するという異常事態が出現し、警備当局が慌てた。
 なぜなら申し合わせたように全土で同時多発、矛先も同じ、要求内容も同じだったからだ。
  原因は2009年に、雨後の竹の子のように急設立された「光麟不動産」という会社で、社長の呉重麟がマンションの頭金など10億元をもったまま「蒸発」したのだ。
  同社は全土に1000店舗、子会社を含め、派手な宣伝でマンションを販売してきた。
  抗議活動が起きたのは山西省陝西省内蒙古、河北、河南省吉林省などで、西安、太源、フフホト、赤峰、パオトウ、長春などで政府庁舎を囲んだため警官隊が動員され、一部都市では乱闘騒ぎとなり、負傷者が続出した。今後、この種の暴動が頻発しそうである。

新型暴動 その2 労働運動の急変、党指導の労組は役に立たず:

 中国に進出した海外企業に限らず、殆どの会社には共産党細胞がある。 国有企業には党委員会があり、お目付役が居る。 これまでの労働争議は党細胞の労組が適当な範囲内で主導したものだった。
  過去三年ほどの暴動に発展する労働抗議は、ほとんどが突発的で、組織されない、リーダー不在の、烏合の衆の不満の爆発だった。
 たとえばipod、スマホ部品などをつくる台湾系のファックスコムでは警備員の態度が横柄だ、勤務時間が長いのに残業手当が少ない、宿舎の停電、設備の悪さなどがその原因とされ、従業員の飛び降り自殺事件が頻発するなどして環境はかなり改善された。
「賃上げ」に関しては、ほぼ全工場で満額回答ではなくとも、それなりに上昇した。
 というのも、賃金が上がらなければ労働者は平気でほかへ移動する。3K現場では、完全な人手不足が起きており、農村にリクリートへ行っても労働者は集まらなくなった。

▼経営側がもっともいやがる生産停止という戦術をとるようになった:
 昨今の労働運動は、従来型と質がまったく異なる。
  福利厚生の拡充、宿舎に冷暖房設備など最新の改善要求は、週二日制の完全実施など、なにやら先進国風になってきたのである。
 このたぐいの労働争議は毎月平均で60-70件おきており、2011年統計の三倍になった。「自らの権利に目覚め、言うべきことを言うのが自分なりの中国の夢を達成する唯一の手段である」と多くの労働者が自覚したからだ。
 しかも単なる暴動、突発的行為とはことなり、操業ボイコット、生産ライン停止という、企業側のもっとも弱いポイントを突く戦術を選択するようになった。
 
▼80年代ポーランドの「連帯」に酷似すると当局の警戒:
 げんにウォルマート成都店は、ストの長期化により閉店を決断、IBM深セン工場では、むしろレノボへの合併に反対するストライキが長期化した。
  東莞の靴工場はナイキ・シューズなどの供給が不能になりアディダスは、ほかの省や国へ生産ラインを委託せざるをえなくなった。
 つまり、新戦術は経営側に要求を呑ませるために、生産計画に支障がでる戦術が多様化されるようになったのだ。
 プロの労組員が混入してはいないが、ネットなどで横の連絡が円滑になされるため、最新の労組の動きや、新しい戦術がすぐに連鎖的に伝わるからである。
 こうした動きを当局はもっとも憂慮し始めた。「これは80年代にポーランドで起きたワレサの『連帯』運動と同じ勢いがあり、いずれ共産党を凌駕する組織が広がる可能性が強いと恐れている」(『TIME』,2014年9月15日号)

(読者の声)貴誌前号書評にあったハミルトン・フィッシュ、渡邊惣樹訳『ルーズベルトの開戦責任』(草思社)ですが、素晴らしい資料で近代史の研究者として期待しています。

修正主義については、米国の歴史家、モーゲンソーは「近代ではあらゆる戦争責任は敗戦国にきせる習わしになっている。だから開戦事情を調べることは喜ばれない」と述べている。

歴史修正反対主義とは政治に屈した独善的な反歴史家イデオロギーであろう。したがって米国では真珠湾以前の日米関係の研究は米国では禁物のようだ。ヘレンミアズ女史が「アメリカの鏡日本」で記しているように、米国の対日圧迫があまりにも明らかだからだ。

奇襲が卑怯というのは、戦争とスポーツをすり替えた詭弁である。敗北者の言い訳に過ぎない。英国の歴史家は、首にナイフを当てらえた日本が振り払っただけであると述べている。正当防衛なのだ。

米国の執拗な反日の動機は何か。それは19世紀以来の満洲狙いであった。

これはポーツマス会議直後の米国ハリマンの南満州鉄道買収を日本政府が断ったことから、排日が始まったことで明らかだ。1920年代のワシントン体制も米国の支那満洲進出体制であり、先行国の既得権を破壊することだった。

だから米国の極東専門家マクマリは、「ワシントン体制を一番守ったのは日本、破壊したのは米国」と批判している。日本人にとって意外だろう。また彼は1935年、国務省の要請に対して極東政策の建言書を作成し、日本を滅ぼしてもソ連が南下するだけ。蒋介石は米国を利用しているだけで米国の自由にならない。日米戦争は双方に大損害。米国は支那から手を引くべきと述べた。

これはホーンベック極東部長に黙殺されたが戦後的中し、Gケナンは激賞している。

ヤルタ会議は意味深い。米ソが満洲支配をめぐって支那処分、日本処分を決めたからだ。

スターリン満洲の代理占領に同意し、代償に支那、日本の領土、米国の兵器80万トンを手に入れた。この席に蒋介石が呼ばれなかったことは、支那事変の黒幕がソ連、米国であり蒋介石が傀儡に過ぎないことを示している。

戦後、チャーチルはこんな世界を作るために戦争をしたのではなかったと嘆いたが後の祭りだった。

ウェデマイヤー将軍は「第二次大戦の勝利者スターリンただ一人。それは彼はルーズベルトチャーチルと違い、戦後世界の構築を考えて戦争をしていたからである」と述べている。

戦後、クレムリンスターリンが、新しい世界地図を最高幹部たちに見せると一同讃嘆して声も出なかったという。まったく恐ろしい敵ながら水際立った手際であった。

米国のソ連スパイは、大統領特別補佐官から原爆研究所、口紅製造にまでおよんだ。米国の油断はロシア皇帝への反感と、キリスト教の終末論のパクリである共産主義にだまされたものと思われる。スターリンはただの冷酷な現実主義者でありマルクス主義は、独裁支配の正当化に利用しただけであった。

ヒトラーとの違いはヒトラーがリベラル主義の虚構性を見抜いて否定したのに対し、スターリンはその虚構性を逆用して独裁に使ったことにあると思う。悪党としてははるかに上手である。今もヒトラー以上の大殺戮をしていながらスターリンの非難は少ない。

ルーズベルトスターリンに魅せられたのは、スターリンを普通の人と思ったからである。大役者スターリンは普通の人の芝居もできた。

また下半身不随の心理的な弱みから強者にあこがれた。それがナチスをまねた青年団体の結成や、日系人強制収容所だった。スターリンはそんなルーズベルトの弱みを見抜いて自由に操った。

ルーズベルトがこだわった無条件降伏の要求は絶滅戦を意味したので、終戦が遅れ米兵を含めて敵味方に無駄な被害を出すことになった。これは欧州の支配圏拡大を目指すスターリンを喜ばせるだけの愚策だった。

スターリン毛沢東を援助したが、支那の統一には確信がなかったようだ。フルシチョフ中共に原子炉を売ったが、スターリンだったら売らなかっただろう。事実中共核武装後に中ソ国境戦争が発生している。

スターリンの敵を滅ぼす方法は漁夫の利作戦であり天才的だった。

敵対するグループを仲間割れさせて、半分を滅ぼし、そのあと残りを片付けた。支那事変も反共同士の蒋介石と日本を戦争させて、東部国境の反共勢力を無力化した。そして両方滅ぼした。彼はいつも地球儀を見ながら戦略を練っていたとフルシチョフは記している。しかしそれを知っていたのはスターリンただ一人であった。

以下ご参考 アマゾン電子本:「日米戦争の真実」ユーチューブ歴史講座:索引語 tkyokinken  29万アクセス更新中。(東海子)

宮崎正弘のコメント)いまとなっては、FDR(フランクリン・D・ルーズベルト)と同世代の政治家のことなど、初耳の人も多いかも知れません。これまでにもハミルトン・フィッシュに関しては岡崎久彦氏のなにかの論文に指摘がありました。