・いままでの「防衛駐在官」を、これからは各国と同じ「駐在武官」として海外に出すべきだ!

・情報は、「盗む」か「買う」か「交換する」かの三つの手段により収集できる。
・政府はイナメナスの時とそっくり同じ台詞、「ただいま、情報を収集しています」と繰り返していた。
・「軍事情報は同じ軍人にしか渡さない慣習がある」
防衛駐在官自衛隊発足後に始まった制度であり、自衛官が、外務事務官になって外務省と在外公館の指揮下に入って在外公館で勤務して主に軍事防衛関係の情報を収集する制度である。
・外国の彼らに、軍服を着用している防衛駐在官が、百%外務省の指揮下にあると言えば、日本とは何と奇妙な国かとびっくりするであろう。
・いままでの「防衛駐在官」を、これからは各国と同じ「駐在武官」として海外に出すべきだ!
・軍事を毛嫌いする外務省による防衛駐在官特有の手かせ足かせを外して、軍事情報の分析能力がないくせに有職故実だけには長けて気位の高い公家集団の外務省への情報一元化を廃するということだ。
日露戦争前にフランスやロシアに出た陸軍の秋山好古や海軍の広瀬武夫のように、現在の我が駐在武官も、明治の先人と同じように、「我、日本を背負えり」という気概を持って海外での仕事に邁進できるようにするのが、我が国益に適うと確信する。












〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
駐在武官の情報収集について    
西村眞悟  2015.02.03
 前回、情報は、「盗む」か「買う」か「交換する」かの三つの手段により収集できると書いた。
 そのうえで、この度の「イスラム国」の日本人人質に関する情報を、日本国政府は、如何にして集めていたのか。
 これが非常に心もとない。
 というのも、この度も、二年前のアルジェリアイナメナスにおけるイスラム過激派の邦人十名の殺害テロ事件の時と同様だったからだ。
  何が同様だったのか。この度も、政府はイナメナスの時とそっくり同じ台詞、「ただいま、情報を収集しています」と繰り返していたからである。
  従って私は、この度もイナメナス同様に、日本政府には全く情報が入っていないと推測していた。
 しかし同時に、駐在武官の世界からは情報が獲れるのではないか、我が国の防衛駐在官連中は、的確な有意義な情報を掴む可能性がある、と期待した。
 そして、防衛駐在官に関して書き込んだのだが、私の操作の誤りで(多分そうなんだろう)、書いたものが総て一瞬のうちに消えてしまった(虚脱感に襲われ再び書き込まなかった)。
 すると今日、総理がヨルダンに防衛駐在官を新たに置くことを明らかにしたと報道されている。
  従って、やはり、防衛駐在官に関して書いておくことにする。
  総理が、防衛駐在官をヨルダンに置くことにしたこと、およびその理由は正しい。
  総理が言うように、「軍事情報は同じ軍人にしか渡さない慣習がある」からである。従って、ヨルダンに防衛駐在官を置けば、ヨルダンにて有益な軍事情報を得ることができる可能性が高まる。
  一九八一年(昭和五十六年)十月六日、エジプトのサダト大統領が、軍事パレードを観閲中に、こともあろうにパレード車両から銃を持って飛び降りた兵士によって銃撃された。
 大統領は、直ちに現場から運び出され病院施設に収容される。しかし、その容態は発表されなかった。
  従って、各国の間では、サダトが生きているのか死亡したのかが重大問題になった。
 その時、我が国の防衛駐在官が、他国の駐在武官から、「サダトは既に死亡している」との他国が知らない重要情報を得る。
 この事例のように、軍人は軍人に重要情報を渡す慣習がある。
 問題は、「サダト既に死亡」という情報を防衛駐在官からいち早く得た外務省が、この情報を生かし得たのか否かであるが、このことに関しては(案の定)よく分からない。
 さて、防衛駐在官であるが、これは自衛隊発足後に始まった制度であり、自衛官が、外務事務官になって外務省と在外公館の指揮下に入って在外公館で勤務して主に軍事防衛関係の情報を収集する制度である。
 この時、防衛駐在官は、自衛官の身分を併せ持つが、あくまで外務省の指揮下にあり、得た情報も外務省に伝達しなければならず、外務省経由でなければ防衛省にも情報は届かない。
 さらに、防衛駐在官には、一般の外務事務官より厳しい規制が課される。
 言うまでもなく、また、既にお分かりのように、この防衛駐在官制度は、「戦後特有の制度」であり、自衛官を徹底的に「軍人」として扱わない制度である。
 しかし、防衛駐在官も制服(軍服)を着用できるので、外国の駐在武官防衛駐在官を同じ「軍人仲間」として扱い、情報を渡してくれるという訳だ。
  外国の彼らに、軍服を着用している防衛駐在官が、百%外務省の指揮下にあると言えば、日本とは何と奇妙な国かとびっくりするであろう。
 そこで、安倍総理が、この防衛駐在官をヨルダンに置くという判断は適切と思うのだが、この際、この「戦後特有の制度」としての百%外務省指揮下の「防衛駐在官」を止めて、いままでの「防衛駐在官」を、これからは各国と同じ「駐在武官」として海外に出してはどうか。
 ということは、軍事を毛嫌いする外務省による防衛駐在官特有の手かせ足かせを外して、軍事情報の分析能力がないくせに有職故実だけには長けて気位の高い公家集団の外務省への情報一元化を廃するということだ。
 その上で我が国の駐在武官が各国の駐在武官と「軍人同士」としての交際を深めていけるようにする。
 
 あたかも、日露戦争前にフランスやロシアに出た陸軍の秋山好古や海軍の広瀬武夫のように、現在の我が駐在武官も、明治の先人と同じように、「我、日本を背負えり」という気概を持って海外での仕事に邁進できるようにするのが、我が国益に適うと確信するのである。