スパイは軍高官と同等に遇され、高い教育を受ける。

北朝鮮のスパイは日本や韓国、米国に潜入し、毒物を塗ったペンや着火銃などスパイ映画さながらの武器も使っている。
・キム・ドンシク氏は1995年、ソウルで活動中に韓国の警官に撃たれ、自殺はできなかった。同氏が任務を遂行できなかったという理由で、北朝鮮に残してきた家族は全員が処刑された。
・米国に潜入したスパイは数百人に上るとみられ、北朝鮮支持に傾いている韓国・朝鮮系米国人のスカウトを目標の1つとしている。
・「スパイが使う手口は3種類ある」「1つ目は北朝鮮渡航ビザの無料発給。2つ目は北朝鮮と取引させて金儲けをさせること。3つ目は女性を使って誘惑すること。
・「スパイは軍高官と同等に遇され、高い教育を受ける。つまり北朝鮮はスパイを非常に重要な存在と考えている」





〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
北朝鮮 日本にも要員潜入   
古沢襄  2015.05.26
■元スパイが語る活動の実態
 ソウル(CNN) 北朝鮮のスパイは日本や韓国、米国に潜入し、毒物を塗ったペンや着火銃などスパイ映画さながらの武器も使っている――。北朝鮮のスパイだったという男性がCNNのインタビューに応じ、その活動の実態を語った。
 この男性、キム・ドンシク氏は高校時代に抜擢(ばってき)されて専門の大学に4年間通い、武道やスキューバダイビング、爆弾の扱い方などを学んだという。
  自分が選ばれた理由を教えられたのは何年もたってからだった。「おまえはスパイになるんだと言われて愕然(がくぜん)とした」「過去にスパイ絡みの事故はたくさんあった。多くは韓国に送られて殺害された。だから私も死ぬのは確実だった」
  身体訓練だけでなく心構えも重視されたと同氏は振り返り、「金体制のために死ぬ覚悟ができていなければならない。もし捕まった場合、生きて拘束されてはいけないと教えられた」と話す。
 キム氏は1995年、ソウルで活動中に韓国の警官に撃たれ、自殺はできなかった。同氏が任務を遂行できなかったという理由で、北朝鮮に残してきた家族は全員が処刑されたという。CNNではこの証言について、事実関係を確認できていない。
 キム氏の最初の任務は1990年、韓国で活動していた幹部クラスの要員を連れ戻すことだった。2回目は、反政府感情を持っていて北に同情的な人物をスカウトするよう指示された。
  当時、本部とは短波無線で連絡を取っていたという。深夜に北朝鮮から放送される番組の中で司会者が読む番号が、次の任務を告げていた。今ではもっと洗練された通信手段が使われているはずだという。
  北朝鮮の高官だったというカン・ジョンド氏によれば、北朝鮮のスパイは米国を含む世界各国で活動している。米国に潜入したスパイは数百人に上るとみられ、北朝鮮支持に傾いている韓国・朝鮮系米国人のスカウトを目標の1つとしている。
「スパイが使う手口は3種類ある」「1つ目は北朝鮮渡航ビザの無料発給。2つ目は北朝鮮と取引させて金儲けをさせること。3つ目は女性を使って誘惑すること。このやり方は80年代から広く使われてきた」(カン氏)
 カン氏が1984年に勤務していたという「統一開発局」は、米国と韓国、日本にスパイを送り込む役割を担っていた。同氏によれば、同局は今も存在している。
 ここから送り込まれたスパイや要員は、金正恩体制の維持に大きな役割を果たしているとカン氏は言う。
 キム氏も「スパイは軍高官と同等に遇され、高い教育を受ける。つまり北朝鮮はスパイを非常に重要な存在と考えている」と語った。(CNN)