・歴史の推移には非均質性と緩急性がある!

・国が違えば歴史観が違って当然だ!
・敗戦ですべてが一変。連合国軍総司令部(GHQ)推薦の「くにのあゆみ」が歴史教科書となりました。
・すべてが逆転、社会の価値観もまた、おおむねひっくり返りました。
・重要なのはむしろ、短い激動期の中に長い政治安定期のレールが敷かれてしまうことだ!
歴史学の本質を教えよ!
・歴史の推移には非均質性と緩急性があると学ぶ者に納得させることです。
・歩みは国ごとに違い、時代、時代で急流化したり緩慢に流れたりするのが最重要ポイントでしょう。
・歴史事象の個性記述こそが歴史学の本質だと教えなければならない!






〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
2015.8.14 05:00更新 【正論】
戦後70年に思う 無知を生む歴史教育を再考せよ
防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛

 佐伯啓思・京大名誉教授の「ポツダム宣言の呪縛」が、8月7日付の朝日新聞に載っています。 表題どおりの問題が論じられていて、そこに「われわれは、われわれの『戦後』の初発に対して無関心」(傍点引用者)とあります。一読、ハタと膝を打ちました。
 佐伯氏は、日本は敗戦によって米国的歴史観を受容したといっています。 その上で、「しかし、本当に、われわれはその歴史観に納得し、同調できるのだろうか」との自問が続きます。 それは善しあしの問題ではない。 国が違えば歴史観が違って当然ということなのでしょう。私は共鳴します。
≪激動期に敷かれるレール≫
 先の大戦で日本が敗れたとき、私は国民学校5年生。奈良に住んでいたので空襲は免れましたが、当時の「少国民」は誰もが軍国少年で、私も征空鍛錬班なるものに属して、お国のために死ぬのだと自分に言い聞かせました。わが家の前を集団疎開中の学童が、軍歌を高唱しつつ登校していました。
 世間ではヤミがはびこり、私も母の言いつけで幾度も農家へ闇米を買いに行き、庭ではサツマイモをつくり、空腹を満たしました。ところが敗戦ですべてが一変。進駐してきた米軍にチューインガムをせがむ始末。教科書には墨を塗り、連合国軍総司令部(GHQ)推薦の「くにのあゆみ」が歴史教科書となりました。すべてが逆転、社会の価値観もまた、おおむねひっくり返りました。
 特攻志願で予科練帰りの叔父がわが家に同居したものの、いくつもの戦後小説の題材よろしくグレました。  無理もない。はたち前に人生の目標が崩れたとあっては。 叔父とは7つしか年が違いません。が、時代の急旋回のせいで、体験は決定的に違います。私は受益者、叔父は被害者。時代が安定的に推移するなら考えられません。重要なのはむしろ、短い激動期の中に長い政治安定期のレールが敷かれてしまうことです。
 わが国の憲法問題ひとつをとってもそうでしょう。ならば、必要なのは急旋回期、しかも直近のそれを凝視することであり、結局、歴史教育の問題に帰着します。

≪時代を逆転させた講義≫
 かつて防衛大学校で国際政治史を講じていた時期、私は人が聞いたらあきれるような方法をとりました。 歴史の講義は普通、古い時代から現代へと向かいます。 私はあえてそれを逆転、まず第二次大戦末期のヤルタ、ポツダム両会談から始めて戦後政治史を先に扱い、しかるのち、国際政治に主権国家が登場した17世紀中葉のウェストファリア条約に戻り、時代を下ることにしました。
 学生は面食らったでしょうが、これが効果的だと私は確信しています。エピソードを紹介します。
 横須賀には日露戦争日本海海戦で旗艦だった「三笠」が陸上保存されています。あるとき防大生が見学に行きました。一学生いわく。「これじゃあアメリカに負けるよなあ」
 こんな経験もしました。 社会人研修団に同行して旅順に行ったとき。二〇三高地で一人が「どうして乃木将軍はこんな爾霊(にれい)山争奪のために多くの将兵を犠牲にしたのでしょう」と話しかけてきました。
 この高地からは眼下の要衝・旅順港が一望できます。そう説明すると、「そんなこと、機上からやればいいではないですか」と異論。
 正直、驚きました。航空機が第一次大戦で登場したことを知らなかったらしいのです。

歴史学の本質を教えよ≫
 わが国の歴史教育には問題がありすぎます。通常、古代から現代へと下るため、一つは時間不足から、もう一つは大学入試には出題されない傾向があるため、現代は冷遇されます。その結果、佐伯氏が言うように、各時代の「初発に対して無関心」、いや決定的な無知が生まれるのでしょう。
 先ごろ、文部科学省が7年後をめどに、高校課程での日本史と世界史とを融合した上で、それを必修の「歴史総合」科目とし、加えてその際、近現代史を重視するよう考慮中と新聞が一斉に報じました。
 私はこの文科省構想に賛成です。しかし、いくつかのコメントを加えたい衝動に駆られます。
 本当に必要な歴史教育とは、まず歴史には法則性がないと教えること。 換言すれば、あるのは個別事象の記述のみと言うべきです。
 左翼史観の影響でわが国では逆に人間も自然の一部だとし、発展法則の説明、つまり偶然に横道にそれるはずはないと説くのが歴史学の役割だとされました。これを否定し、
 歴史の推移には非均質性と緩急性があると学ぶ者に納得させることです。
 歩みは国ごとに違い、時代、時代で急流化したり緩慢に流れたりするのですから。これが最重要ポイントでしょう。
 換言すると、歴史事象の個性記述こそが歴史学の本質だと教えなければなりません。高校教育の経験のない人間の書生論であることを承知の上で、問題提起する次第です。(させ まさもり)