・外国製の歴史観に則って過去の日本を一方的に断罪し、それを誤って“歴史の教訓”とすることと、強大なミサイル戦力を見せつけられても、なお「非武装」の理想にしがみつこうとするのは、国家観の喪失であり、これは「恐ろしい自虐史観病」だ!

・中国軍の最新鋭のミサイル戦力は、日米安全保障に与える深刻な脅威。
・現行の日本の安全保障体制は根底から揺らいでいる。 安保法案は最低限の必要を満たすもの。
・中国の「軍事的脅威」を報じていた同じメディアが、安保法案報道になると、まるで手のひらを返したように旧態依然の非武装的平和主義の議論を繰り返している。
・現代世界は、国民の安全を守る最重要手段は依然として軍事力をはじめとする国家のもつ力(パワー)に依存せざるを得ず、今のところその各国家の力を互いに均衡させることによってしか平和は保てない。
・しかしこの世界認識が戦後日本では極端に希薄なのだ!
・「歴史認識の誤り」から、日本の軍隊は、他のどの国の軍隊よりも「悪い存在」「特に警戒すべき存在」と日本人自身がととらえてしまう。
・「異次元の悪」として忌避すべきものとする自虐史観は GHQWGIP戦争犯罪情報洗脳計画)による洗脳教育は効果があったことを示す。
・「21世紀構想懇談会」報告書は東アジアの冷戦も含め、過去100年間の共産主義による大規模な虐殺や主権・人権侵害をまったく捨象しているのだ!
・「中西輝政氏は懇談会で繰り返し提起したが、中国共産党への迎合からか、報告書では取り上げられることはなかった」のが真相。
・歴史問題での無原則な譲歩がやがて国の安全保障を根底から危うくすることを知るべきだ!
・外国製の歴史観に則って過去の日本を一方的に断罪し、それを誤って“歴史の教訓”とすることと、強大なミサイル戦力を見せつけられても、なお「非武装」の理想にしがみつこうとするのは、国家観の喪失であり、これは「恐ろしい自虐史観病」だ!









〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
2015.9.15 05:01更新 【正論】
国の安保危うくする歴史の譲歩 京都大学名誉教授・中西輝政

 これだけ見せつけられれば、もはや国会で審議中の安全保障関連法案の成立に反対する人はいなくなるだろう。9月3日の中国・北京での「抗日戦争勝利70年」を記念した軍事パレードを見て強くそう思った。
≪メディアの際立った二面性≫
 実際、日本のテレビ各局の報道も、中国のこの「戦後70年」記念行事の本質をこぞって、膨張する中国による「強大な軍事力の誇示」と大々的に報じた。特に軍事パレードで登場した、米海軍の空母、日本列島やグアムにある米軍基地さらには米本土を直撃する中国軍の最新鋭のミサイル戦力が、日本の安全保障やアメリカによる日本への「核の傘」に与える深刻な脅威を、各メディアは専門家の解説入りで詳しく報道していた。
 当然、こうした認識を踏まえれば、現行の日本の安全保障体制は根底から揺らいでいることがわかり、安保法案は最低限の必要を満たすもの、ということもわかるだろうと思ったのである。
 ところが、あれほど差し迫った調子で膨張する中国の「軍事的脅威」を報じていた当の同じメディアが、安保法案の報道になると、まるで手のひらを返したように旧態依然の非武装的平和主義の議論を繰り返している。あたかも「あれはあれ、これはこれ」とまったく無関係の話題として扱っているかのようだ。この際立った二面性は一体、どこから来るのか。
 それには大略、2つの理由があろう。1つは「世界認識の誤り」である。
 現代の世界では、国民の安全を守るための最も重要な手段は依然として軍事力をはじめとする国家のもつ力(パワー)に依存せざるを得ず、今のところその各国家の力を互いに均衡させることによってしか平和は保てない。しかしこの認識が戦後日本では極端に希薄なのであり、その根底に2つ目の理由、すなわち「歴史認識の誤り」がある。
 つまり、かつてのあの「邪悪な侵略戦争」をしたこの日本の軍隊(自衛隊のこと)は、他のどの国の軍隊よりも「悪い存在」「特に警戒すべき存在」と日本人自身がとらえてしまうのである。
≪終わっていない東アジアの冷戦≫
 そうすると、たとえ外界にどれほど深刻な変化があっても、それに対して日本が軍事的な抑止力を高めようとすると、むしろそれこそが平和を壊す「異次元の悪」として忌避すべきものとなる。ここに、いつまでも自虐史観に囚(とら)われることの恐ろしさがあるのである。

 あの日、天安門の上に並んで軍事パレードを閲兵していたのは、クリミアの侵略者となったロシアのプーチン大統領と、南シナ海東シナ海で現に侵略を進める中国の習近平主席の両首脳であり、この巨頭たちの姿は、かつて多くの衛星国の首脳を従えクレムリンの台上に並んでいたスターリン毛沢東の姿にまさに二重写しであった。
 それゆえ9月3日付の本欄で西岡力氏は、今こそ「冷戦は終わっていなかった」という認識の大切さを強調しておられた。
 氏はそこで私も委員の一人として関係した安倍晋三首相の戦後70年談話のための「21世紀構想懇談会」の報告書を取り上げ、「安倍談話とは違って(同報告書には)納得できない部分が多い」と指摘している。(実は私も同意見だが)その理由の一つとして、同報告書がこの東アジアの冷戦も含め、過去100年間の共産主義による大規模な虐殺や主権・人権侵害をまったく捨象している点を挙げ、報告書を厳しく批判する。

≪問題多い有識者懇談会の報告書≫
 正鵠(せいこく)を射た意見と思うが、関係者の一人として(すでに多くの委員が私の名前も含め懇談会での議論の内容を明らかにしておられるので)信義則に反しない範囲で言及すれば、実は私は西岡氏の指摘する諸点についても懇談会で繰り返し提起したが、中国共産党への迎合からか、報告書では取り上げられることはなかった。
 これ以外にも、同報告書の当初案には中国との和解に必要な具体策の提言として、靖国神社のいわゆる「A級戦犯分祀(ぶんし)の推進ないし「代替施設」建設の必要性を謳(うた)った個所があり、さらに慰安婦に対する日本政府の一層の謝罪と補償ないし賠償のための新たな基金を日本政府が設けるよう求める趣旨の提言もあった。
 これらは私を含む複数の委員の反対によってかろうじて最終的には削除されたが、もはや表面上、痕跡をとどめていなくとも、こういった際どい個所が他にも多数あったのである。これ以上詳しいことは時が来るまで語れないが、歴史問題での無原則な譲歩がやがて国の安全保障を根底から危うくすることを知るべきだ。
 外国製の歴史観に則(のっと)って過去の日本を一方的に断罪し、それを誤って“歴史の教訓”とすることと、強大なミサイル戦力を見せつけられても、なお「非武装」の理想にしがみつこうとするのは、国家観の喪失という点で同根の危うさを宿しているのである。(なかにし てるまさ)