・識字率の高さと日本語教養力の高度成熟度が文化大国としての日本が二千年来の母語を維持継続できた理由である。

・サミュエル・ハンチントンは名著「文明の衝突と世界秩序の再創造」の中で、文明に着目し、日本文明を「一国で成立する、主観的な自己認識を持つ孤立文明」と取り上げている。
・日本文明は、他文明とは共通するものが少なく、極めて独自性の高い特殊な民族文化に由来するものであると定義。
・国連が全く機能しない最大の欠点は、戦勝5カ国の持つ拒否権がブレーキとなって、公平なる裁定が行われないこと、さらには活動経費の負担に問題点が多い。
・日本の数分の1からせいぜい半分足らずしか拠出金を支払っていない露中英仏などが、強力な発言力をキープしている不合理さ、不公平さを、日本人は強く自己主張しなければならない。 政府、外務省は怠慢だ!
母語の多いヒンズー語(7億)や、仏語・アラビア語と差のない日本語、ポルトガル語ベンガル語などの採用が拒絶されてきたことにも、納得がゆきません。 この点も強く主張せよ!
・欧米でもない、アジアでもない、極めてユニークでニュートラルな文化力(欧米とアジア文明を融合させており、科学技術的には先端を担っている上、宗教的にも中立的である)を誇り、かつ、それを支える高度な経済力を備えた日本こそ、混迷するグローバル時代の新たな世界へとリードすべきだ!
識字率の高さと日本語教養力の高度成熟度が文化大国としての日本が二千年来の母語を維持継続できた理由である。
・「大国日本」の伝統と誇りある日本文化を、まずはしっかりと日本語でわが身のモノとし、それを外国語に変換して相手側へ堂々と伝道することで、初めて対等なる外交が始まることを自覚すべきだ。
・奈良平安文芸、安土桃山芸術、江戸文化、明治近代化文明、そして戦後の技術革新など、日本の歴史や実状、日本人のモノの考え方、見方などを、もっと外国人にわかりやすく伝えるべきである。 















〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
2015.12.24 10:30更新   【日本千思万考】
日本語は世界で唯一“植民化”されなかった言語 国際人たる前に「立派な日本人」であれ
インドのモディ首相(右)と談笑する安倍晋三首相。積極外交を展開している=12月12日、ニューデリー(ロイター)

日本文明は「一国で成立する、主観的な自己認識を持つ孤立文明」:
 米国の国際政治学者・サミュエル・ハンチントンは名著「文明の衝突と世界秩序の再創造」の中で、国民国家の視点ではなく文明に着目し、世界秩序を分析しました。前世紀末における世界の文明圏を8つ上げ、その一つとして、日本文明を「一国で成立する、主観的な自己認識を持つ孤立文明」と取り上げております。ほかにも、フィリップ・バグビーの世界九大文明論にも、マシュー・メルコの五大文明論にも、日本文明が列挙されています。いずれにしても、日本文明は、他文明とは共通するものが少なく、極めて独自性の高い特殊な民族文化に由来するものであると定義されています。その根源的なるものはと言えば、「日本語の特殊性」にあると考えられます。
欧米でもアジアでもない、ユニークでニュートラルな文化力:
 ご存じのように、国力の三大要素とは、「軍事力」「経済力」「文化力」であります。17世紀のウェストファリア条約以降、20世紀前半の第二次世界大戦までは、国際紛争の最後の外交的解決手段として戦争が許容されてきたので軍事力闘争が続きました。
 その後、経済貿易の自由化を経てグローバル経済競争に突入すると、国境や民族間の貧富格差の抗争をめぐって、局地戦、宗派闘争、テロ事件が頻発するようになっております。
 今こそ、世界が取り組むべきは、国境なきソフトパワーの典型である文化力によるフェアな折衝、相互理解による互助精神の発露ではないでしょうか。
 もっとも、こうした活動が第一に期待されていたはずの国連が全く機能しておりません。その最大の欠点は、戦勝5カ国の持つ拒否権がブレーキとなって、公平なる裁定が行われないこと、さらには活動経費の負担に問題点が多いことだと思われます。
 最大の負担比率を持つ米国が、自国に不利な裁定があるとして、支払いを留保した際、負担第2位の日本が最大20%強から少なくても11%もの大金(加盟国の最高額)を長期にわたって負担させられながら、常任理事国にさえなれず、日本の数分の1からせいぜい半分足らずしか拠出金を支払っていない露中英仏などが、強力な発言力をキープしている不合理さ、不公平さは、日本人としては看過していいものではありません。
 また、国連公用語として、英語(10億)仏語(1.5億)露語(3億)中国語(13億)スペイン語(4億)アラビア語(1.5億)の6言語のみが採用され、母語の多いヒンズー語(7億)や、仏語・アラビア語と差のない日本語、ポルトガル語ベンガル語などの採用が拒絶されてきたことにも、納得がゆきません。
 さもありながら、やはり文化力を発揮し、世界平和への貢献、相互理解には、言語力の重要性は避けて通れません。しかも、これまで近代世界を武力で、財力で、文化力で独占的にリードしてきた白人・キリスト教・米欧語族が、ここへ来て、主として経済力で陰りを見せ、軍事力でも露中の台頭に怯え、イスラム族の相次ぐテロに脅かされる事態が常在化し始めて居るのです。
 今この状況下で、欧米でもない、アジアでもない、極めてユニークでニュートラルな文化力(欧米とアジア文明を融合させており、科学技術的には先端を担っている上、宗教的にも中立的である)を誇り、かつ、それを支える高度な経済力を備えた日本こそ、混迷するグローバル時代の新たな世界へとリードすべきであろうかと思量致します。

日本が二千年来の母語を維持継続できた理由:
 日本の文化力が、なぜ世界中で図抜けているかと問われれば、「人類史を通じて、日本語が唯一、植民化されなかった言語であり、そこに独自の客観的世界観が凝縮されているから」と答えられるでしょう。
 いま世界で一番普及している言語は英語ですが、それは七つの海を支配した大英帝国が植民地化してきた地域が60数カ国・地域にも及んだからです。同様に、スペイン語ポルトガル語中南米を席巻し、英語同様、フランス語も植民地化されたアジア、アフリカへ、そしてロシア語もソ連体制下の東欧や中央アジアに広がりました。
 しかしながらわが日本だけは、中世は元寇の役をしのぎ、幕末の英(朝廷側)と仏(幕府側)両国の植民地化狙いを退け、内輪揉めは自らの手で“維新”したことで、中国語・モンゴル語や英仏語による置き換えを逃れてきました。
 戦後のアメリカ占領下でも、ヘボン式ローマ字化を通じた英語への誘導にも乗せられず、(換言すれば、識字率の高さと日本語教養力の高度成熟度が壁となって)文化大国としての日本が二千年来の母語を維持継続できたわけです。

独自外交をしてこなかったことのツケ:
 ただ、残念なのは、戦後世界最強国となったアメリカの傘(日米安保)の下に入ったおかげで、冷戦時代に至っても「独自の外交」をせずに済んだため、未だに“言語力・折衝力”に劣る外務省や政治家首脳による日本外交の弱点が改善されず、それどころか、ますます国益を損ねる事態が続発しています。
 また、結果として、対ソ(対露)や対北朝鮮国交回復が未だにならず、対中、対韓の国交正常化においても、必ずしも外交的に万全を期したとは言えず、今に至る紛争の種を残してしまってもいます。
 そこで、喫緊となるのは、語学教育の抜本的な改革ではなかろうかと考えます。大切なのは、英語や中国語で相手側の主観の世界に身を委ねることではありません。
 「大国日本」の伝統と誇りある日本文化を、まずはしっかりと日本語でわが身のモノとし、それを英語なり、フランス語やロシア語・中国語に変換して相手側へ堂々と伝道することで、初めて対等なる外交が始まることを自覚すべきだと信じます。
 言語を必要としない世界では、漫画や浮世絵、工芸品を通じて、世界中の人々が日本人の文化的感性を感じ、高く評価してくれているわけですから、奈良平安文芸、安土桃山芸術、江戸文化、明治近代化文明、そして戦後の技術革新など、日本の歴史や実状、日本人のモノの考え方、見方などを、もっと外国人にわかりやすく伝えるべきなのです。
 そのための日本語であり、その正訳・意訳語としての外国語の習得こそ、正しい語学教育のあるべき姿ではないでしょうか。情報受信型を脱して、“情報発信型言語力”への転換が急務なのです。

文科省「一般教育廃止」の衝撃:
 ところが、最近わが国の未来を危うくさせるような、とても困った事態が展開されようとしております。
 この夏、文部科学省から、各国立大学長などへ出された「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」と題された通知には、「人文科学系学部・大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むように努めること」とありました。これは大変由々しき問題ではないかと危惧いたします。
 さっそく、学界や経済界から適切な反論が提起され、言論界からも批判論文が相次いでいます。文科省は文章表現の不備を認めるということで、何とか騒動を収めようとしているようですが、実際には、教養課程の一般教育を廃止し、学部の改廃などに着手しているとの報道がなされております。
 教養と概念を包含する根本的な知的能力こそ「言語力」であるからして、普通教育であれ高等教育であれ、「国語教育と外国語教育の重要性」は、それが実務上に役立つものかどうかというような、表面的、功利的なモノであってはなりませんし、単なる促成栽培的な技能教育に終わらせては断じていけないと思います。
 国際人である前に、立派な日本人であり続けるには、人間的器量、すなわち教養としての言語力は必要欠くべからざる素養であると訴求するものです。
国力の一大要素「文化力」を生かすのは言語力:
 目下、慰安婦問題とか南京事件とか、中韓の仕掛ける国際的歴史戦で、わが国はいわれのない屈辱を突き付けられております。これも、戦後の自虐史観蔓延や言語力衰退、外交的失策など、自ら蒔いた種を育ててしまった国策的大ポカであったといえます。ようやく有識者や一部言論界、国際活動家などを通じて、正しい反論攻勢が出始めたことを心強く思っております。
 さらに、日本を愛する複数の外国人も応援歌を送ってくれ始めております。今こそ、言語力の最重要性に、多くの国民と政治家、官僚、実業界、特に言論界が覚醒し、公正な外交と国際交流に尽力すべきときだと信じます。文科省や外務省の猛省を促すとともに、国民一人一人の発信力を強め、政治の軌道をただし、世界から認知される、文化大国日本のリーダーシップを確立すべきだと提言する次第です。

(上田和男)