・2、3世紀ごろにモンゴル高原で生まれた相撲は、西へ東へと伝わっていく。日本の文献に初めてあらわれるのは、7世紀半ばの飛鳥時代である。

・2、3世紀ごろにモンゴル高原で生まれた相撲は、西へ東へと伝わっていく。日本の文献に初めてあらわれるのは、7世紀半ばの飛鳥時代である。
・平成21年は、どうなっていたか。朝青龍白鵬のモンゴル人力士が東西の両横綱を占め、ブルガリア出身の琴欧洲エストニア出身の把瑠都も活躍していた。
・平成10年の若乃花を最後に、横綱に上り詰めた日本人はいない。それどころか、日本出身力士は、平成18年の栃東以来、10年間も優勝から、遠ざかってきた。






〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
2016.1.25 05:03更新 【産経抄
かくも長き不在 1月25日
 「相撲が国技だなんて、小さい、小さい。ユーラシアにまたがる数千キロの空間と、十数世紀におよぶ時間が背後に横たわっているのが見えないか」。作家の宮本徳蔵さんは、『力士漂泊』のあとがきに書いている。

 ▼宮本さんによると、2、3世紀ごろにモンゴル高原で生まれた相撲は、西へ東へと伝わっていく。日本の文献に初めてあらわれるのは、7世紀半ばの飛鳥時代である。この本が出た昭和60年当時、角界にモンゴル人の姿はなかった。
 ▼講談社文芸文庫として再刊された24年後の平成21年は、どうなっていたか。朝青龍白鵬のモンゴル人力士が東西の両横綱を占め、ブルガリア出身の琴欧洲エストニア出身の把瑠都も活躍していた。広くユーラシアの観点から相撲を論じ、未来を見据えた宮本さんの慧眼(けいがん)には驚くばかりだ。
 ▼宮本さんは、その2年後に亡くなった。さすがに、日本勢の現在にいたる体たらくまでは、予測していなかったはずだ。平成10年の若乃花を最後に、横綱に上り詰めた日本人はいない。それどころか、日本出身力士は、平成18年の栃東以来、10年間も優勝から、遠ざかってきた。
 ▼そんな「かくも長き不在」に、昨日の初場所千秋楽で、ようやく終止符が打たれた。3横綱をなぎ倒した琴奨菊が、豪栄道を退け、悲願の初優勝を成し遂げた。その瞬間、満員の両国国技館では、歓喜の渦が巻き起こった。重圧をはねのけた、大関を大いにたたえたい。
 ▼ちなみに、日本人力士ではなく、日本出身力士と書くのには理由がある。24年の夏場所で初優勝した旭天鵬は、モンゴル出身ではあるが、日本国籍を持つれっきとした日本人力士だったからだ。今後は、表現に気を使う必要もなくなるだろう。本当によかった。