日本は感謝しあう、美しい国なのだ!日本人らしさを、失ってはなるまい!

・イエスは生涯にわたって、清貧を説いた。
新約聖書はイエスが神殿の前の屋台を襲って、つぎつぎと倒したことを記している。
・日本国民はサンタクロース教によって、誑(たぶら)かされている。
・日本が西洋化という病(やまい)によって蝕まれて、内から崩壊しつつある。
・私は「相撲の神様」「天皇陛下に感謝します」という言葉を、久し振りに聞いた。
・日本人は、太古の昔から八百万(やおろず)の神々に囲まれて、生きてきた。
・力士が足を高くあげて、土俵を踏みつける四股(しこ)は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って大地から地中の悪霊を払う意味がある。
・日本のあらゆる信仰は、神道をはじめとして、感謝に基いている。感謝の念が、日本人を日本人たらしめてきた。
・日本を特徴づけてきた「和」の精神は、感謝の心がつくってきた。日本は感謝しあう、美しい国なのだ!日本人らしさを、失ってはなるまい!












〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
日本人を蝕む西洋化という病    
加荑英明  2015.02.12
 新年が巡ってくるたびに、毎年、日本らしさが、失われてゆく。嘆かわしい。
家の近くを通ると、クリスマスツリーや、樅(もみ)の枝輪や、ポインセチアが飾られて、まるでアメリカの街にいるような錯覚にとらわれる。クリスマスが近づくと、テレビがサンタクロースや、クリスマスの曲(キャロル)で満たされる。
 もしイエスが生きていたとしたら、百貨店のクリスマスの飾りを、壊すにちがいない。イエスは生涯にわたって、清貧を説いた。
新約聖書はイエスが神殿の前の屋台を襲って、つぎつぎと倒したことを記している。日本国民はサンタクロース教によって、誑(たぶら)かされている。日本が西洋化という病(やまい)によって蝕まれて、内から崩壊しつつある。
昨年も、天皇誕生日に3万人以上の善男善女が日の丸の小旗を振って、聖寿を寿(ことほ)いだ。
 11月に大相撲の九州場所の千秋楽で、白鵬関が鶴竜関に勝って、32回目の優勝を果した。私は白鵬関が賜杯を手にした後に、土俵の下でNHKの優勝インタビューにこたえた言葉に、深く感動した。
白鵬関はそのなかで、「相撲の神様に感謝します」といい、声を張りあげて、「天皇陛下に感謝します!」と述べた。私は「相撲の神様」「天皇陛下に感謝します」という言葉を、久し振りに聞いた。

私たち日本人は、太古の昔から八百万(やおろず)の神々に囲まれて、生きてきた。
今日では、相撲は日本語に入った英語を借りて、「スポーツ」と呼ばれているが、本来は神を祭る神事(かみごと)である。私はテレビで大相撲を観る時には、敬虔(けいけん)な思いにとらわれる。
土俵はリングではない。神聖な場だ。力士は土俵を踏む前に、力水(ちからみず)と呼ばれる清(きよ)めの水で口をすすぐ。神社にお参りする前に、口をすすぐのと同じことだ。
土俵を造る時には、神主を招いて厳粛な神事が行われる。真ん中に10センチ4方ほどの穴が掘られて、米、勝ち栗、昆布などを埋めて供え、お祓(はら)いをしたうえで、四隅にお神酒(みき)と塩が撒かれる。
力士が足を高くあげて、土俵を踏みつける四股(しこ)は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って大地から地中の悪霊を払う意味がある。
 このような形を、過ぎ去った昔のものとして、捨ててはならない。日本の宝である。
私は白鵬関が「相撲の神様に感謝します」と述べたのに、胸が熱くなった。 白鵬関は「ちょっと、モンゴル語で話をさせて下さい」といって、モンゴルで観ている両親と国民に向かって、「親と母国の人々に、深く感謝します」と述べた。
日本のあらゆる信仰は、神道をはじめとして、感謝に基いている。感謝の念が、日本人を日本人たらしめてきた。日本を特徴づけてきた「和」の精神は、感謝の心がつくってきた。日本は感謝しあう、美しい国なのだ。
日本語には明治に入るまで、「神話」という言葉が存在しなかった。「ふること」といった。漢字で「古事」と書く。「神話」は英語の「ミソロジー」の明治翻訳語である。
皇居では、天皇陛下が日本の祭主として、秋の新嘗祭(にいなめさい)には、日本民族がまだ文字を持たなかったころから伝わる、古い感謝の神事を行なっておいでになる。 ふることは、現代まで継(つなが)っている。有難いことだ。
5千円札に、いまから120年前に赤貧のなかで、25歳で病死した、樋口一葉の肖像があしらわれている。本名をなつといった。
 なつは、克明な日記を遺している。しばしば、日本のありかたに触れている。
病没した前年に「安(やす)きになれておごりくる人心(ひとごころ)の、あはれ外(と)つ国(くに)(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国(くに)振(ぶり)のふるきを厭(いと)ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせて走るが如(ごと)く、とどまる處(ところ)をしらず。流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と記している。
日本人らしさを、失ってはなるまい。