・日本近海にきた米空母ホーネット、エンタープライズなどから発進した「ドーリットル空襲」が飛来

・ジミー・ドーリットル中佐に率いられたB25爆撃機は16機。やすやすと「ドーリットル空襲」を許した海軍・連合艦隊に対する非難が陸軍内部から起こった。
・日本近海にきた米空母ホーネット、エンタープライズなどから発進した「ドーリットル空襲」が飛来した。
爆撃機の後方で高射砲弾が炸裂するだけで命中弾を見ることはなかった。
・これが日米戦争の帰趨を決めるミッドウェー海戦の遠因になったといわれる。
・日本陸海軍の不仲は緒戦から内包されていた。これでは国家の命運を決める大戦争に勝てる筈はない。









〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
帝都に初空襲を行った「ドーリットル空襲」   
古沢襄  2016.04.16
 戦時中のことだが、昭和十七年(1943)四月十八日、帝都に初空襲を行った「ドーリットル空襲」のことが忘れられない。
当時、小学校(国民学校)の四年生だった私は、帝都に飛来した爆撃機を後楽園の高射砲陣地から砲撃した光景を鮮明に覚えている。
 しかし爆撃機の後方で高射砲弾が炸裂するだけで命中弾を見ることはなかった。 当時は高射砲陣地の守備には不慣れな学徒兵だったとの噂さえ流れた。 まさか米爆撃機が帝都爆撃を敢行するとは思ってもみなかったのであろう。
日米戦争の緒戦において、日本軍はハワイのパールハーバー真珠湾)を攻撃、山下兵団はシンガポールを攻略、本間兵団はフィリッピンに上陸作戦を行い、コレヒドール島要塞を攻撃。
今村兵団がジャワに敵前上陸。  さらに今村兵団はスマトラに落下傘部隊を降下させて、パレンバンの飛行場や大油田・製油所を制圧して、まさに破竹の勢いだった。
日本国中がカッタカッタの下駄の音。その最中に日本近海にきた米空母ホーネット、エンタープライズなどから発進した「ドーリットル空襲」が飛来した。
 ジミー・ドーリットル中佐に率いられたB25爆撃機は16機。やすやすと「ドーリットル空襲」を許した海軍・連合艦隊に対する非難が陸軍内部から起こった。これが日米戦争の帰趨を決めるミッドウェー海戦の遠因になったといわれる。
日本陸海軍の不仲は緒戦から内包されていた。これでは国家の命運を決める大戦争に勝てる筈はない。