・「日本民族の北方系説とバイカル湖畔起源説」が浮かんでくる。

縄文時代の人骨から採取したDNAとブリヤート人のそれを比較すると九割方一致するというデータが出ている。
・地球が寒冷期に襲われた時にバイカル湖周辺にいたブリヤート人の一部が暖かい土地を求めて、シベリアを東に移動した形跡がある。
沿海州とサハリン、サハリンと北海道が地続きだった頃に、ヒトもマンモスも日本に渡ってきたから、マンモスの骨が日本各地でも発見されている。
・「日本民族の北方系説とバイカル湖畔起源説」が浮かんでくる。
・渡来したブリヤート人は古来の縄文人との同化を繰り返しながら日本列島に広がっていった。








〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
日本民族の故地・バイカル湖(再掲)  
古沢襄 2016.04.29
 暖かくなると、シベリアのバイカル湖をまた訪れたくなる。バイカル湖にはすでに二度訪れている。イルクーツクから車で東へ70キロ、一時間半ほどで「シベリアの真珠」といわれる美しい湖が優雅な姿をみせてくれる。
車がバイカル湖に近づくと、正面の小高い丘に聖ニコライ教会が姿が見える。1846年に建てられたロシア正教の教会だが、教会に近くにはシベリアに抑留され、この地で果てた日本人の墓地がある。
 祖国の土を踏むことなく、異郷に眠っている無念さが心にしみる。
 この日本人墓地には二度、訪れた。最後に訪れてから数年経ったので、厚生労働省の遺骨収集作業が終わったのだろうか。
  私はバイカル湖が北海道や東北の原日本人の故地だと思っている。この地でみかけるブリヤート人は日本人とよく似ている。
 縄文時代の人骨から採取したDNAとブリヤート人のそれを比較すると九割方一致するというデータが出ている。
 ブリヤート人の発祥については、草原を渡ってきた古代トルコ人モンゴル高原に住む高地モンゴル人との混血というのが定説となっている。
 中国の史書には”高車”という言葉が出てくる。
 それがブリヤート人のことだが、トルコ種が入っているから背が高いことを指している。
  地球が寒冷期に襲われた時にバイカル湖周辺にいたブリヤート人の一部が暖かい土地を求めて、シベリアを東に移動した形跡がある。沿海州とサハリン、サハリンと北海道が地続きだった頃である。ヒトだけではない。死滅したマンモスも日本に渡ってきたから、マンモスの骨が日本各地でも発見されている。
私がバイカル湖こそが原日本民族の故地だと信じたのは、日本側の民間古伝承にそれが記録されていたからだ。
 バイカル湖の古称である”ブルハン湖”の名を古文書で発見した時の驚きは筆舌に尽くし難い。ブルハン湖の名は文字がない時代から口伝えで伝えられたのであろう。
■「衣川文書」のブルハン湖はバイカル湖の古称
東北に「衣川文書」という民間伝承の古文書・四〇〇点を集めたものが存在している。 衣川邑は「続日本紀」にも出てくるが、紀古左美が蝦夷攻略に基地となったと記された。
 この古文書の中に
①山靼(ダッタン)にブルハン湖あり
②およそ15万年前に山靼より氷海を渡り、7万年前に奥州に来たりし渡来民をわが祖となす
③ブルハンの神理を神道の知識としアラハバキ神としたり
・・・という言葉があった。

北の王者として奥州に君臨し、京都の朝廷軍によって滅ぼされた安倍一族が信仰したのはアラハバキ神であった。
 こういう事実をつなぎ合わせると「日本民族の北方系説とバイカル湖畔起源説」が浮かんでくる。

■二万年前の日本人口は三千人
受け売りになるが、渡来したブリヤート人の数は七〇〇〇人という説もある。
二万年前の旧石器時代の日本人口は約三〇〇〇人という推定値がある。 また縄文時代の遺跡数の緻密な分析から八〇〇〇年前の縄文早期の人口は東日本で一万七三〇〇人、西日本では二八〇〇人という推定値も出ている。
 この推定値から割り出したのが「ブリヤート人七〇〇〇人」説。
考古学では一万二〇〇〇年前から一万三〇〇〇年前に東日本にクサビ型細石核をもつ細石刃文化を担った人類集団が来たと分析している。
 この細石刃文化はバイカル湖周辺から発掘されたものと「恐ろしいほどの一致といわざるを得ない」と考古学者はいう。
 渡来したブリヤート人は古来の縄文人を征服し、縄文人との同化を繰り返しながら日本列島に広がっていったと考えることが出来る。
 やがて高度の稲作文化を持って、鉄器を使用する大陸からの渡来民がやってきて、北方系の原日本民族と同化を繰り返しながら、日本人の原型となったのではなかろうか。