「アメリカでは第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で兄弟国のイギリスを助けるため、日本に戦争をしかけて参戦出来るよう、いろいろな策を駆使した」

・「アメリカでは第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で兄弟国のイギリスを助けるため、日本に戦争をしかけて参戦出来るよう、いろいろな策を駆使した」ことが解禁になったアメリカの公文書資料から分かってきた。
・TPPもアメリカがアメリカ体制を環太平洋地域に敷こうとしている。
・いつの時代もアメリカの体制に入らないとアメリカからの嫌がらせが必ずといってよいほどくる。
・ワシントン体制からの脱却がアメリカとの関係を悪くしたのは間違いなさそうである。また大東亜共栄圏はまさに脱アメリカ体制であった。









〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
第四章 陰謀が日本を戦争に追い込んだ(担当:井上雍雄)
見直されるべき近代史

 大東亜戦争、日本占領軍にいわせると太平洋戦争は、いったいどうして起こったのだろうか。そして、どうして避けることができなかったのだろうか。これが本章を書く目的である。

歴史上、正式な日米関係が始まったのは、M・G・ペリー提督が率いるアメリカ合衆国インド洋艦隊が1853年に来日したことによる。これはアメリカ合衆国による強引な日本開国要求で幕府はこれを拒むことはできなかった、さらに薩摩藩はイギリスとの戦いに敗れ、さらに長州藩が下関海峡を通過中のアメリカ、フランスの艦隊を砲撃する事件が起こり、これに対してアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊によって下関が砲撃されるにいたった。
 この戦争にも完敗し、ヨーロッパ諸国の軍事力に兜をぬぎ、これ等の戦争で日本人は徳川幕府の弱さを悟ったのだった。

 これをきっかけに日本は「富国強兵」「殖産興業」をスローガンに国づくりをはじめることになる。
 19世紀後半に国の近代化を促進するために欧米諸国から知識、技術、産業などを徹底的に学び、遂には近代国家の仲間入りを果たした。そして日清戦争日露戦争にまがりなりにも勝利したが、この勝利がアメリカに「日本警戒論」を引き起こさせ、さらに日本を「仮想敵国」とみなす論調が生まれるのである。その後日本人移民排斥運動が発生し、日本人の対米感情が悪化した。井上>

<日米関係はもともとアメリカの圧力によって開かれたことに注目。日露戦争の勝利は白人国家ロシアへの勝利で、アジア諸国の植民地からの解放意識を生み出した。ところが、強くなった日本にアメリカが警戒しだし、日本を仮想敵国にまで考えるようになった。日本はアメリカの圧力によって国を開き、アメリカに従属しているという意識が、日米戦への伏線であったと考えられる。日米戦の回避は可能であったのか、井上氏はどう論じているか注目しよう。木庵>

<1920年代にアメリカが作り上げたワシントン軍縮体制に日本が挑むようになり、またその後中国における日本の武力行動を通して日本が選んだ道はほとんどすべてが孤立化させられる結果を招くことになった。
 しかし、考えてみれば、元々孤立しているのであって、西洋列強に対抗出来る国は他には存在していなかったのであるから、初めから不利な立場であった。
日本としては遅ればせながら、戦前に於いて東亜秩序としての「大東亜共栄圏」構想を立ち上げたが、欧米先進国からはまともに相手にされず、アメリカの経済封鎖によって日本は首根っこを相手で押さえられた形で、戦争に突入したことになっている。しかしアメリカでは第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で兄弟国のイギリスを助けるため、日本に戦争をしかけて参戦出来るよう、いろいろな策を駆使したことが解禁になったアメリカの公文書資料から分かってきた。井上>

<現在進行中のTPPもアメリカがアメリカ体制を環太平洋地域に敷こうとしている。いつの時代もアメリカの体制に入らないとアメリカからの嫌がらせが必ずといってよいほどくる。ワシントン体制からの脱却がアメリカとの関係を悪くしたのは間違いなさそうである。また大東亜共栄圏はまさに脱アメリカ体制であった。新木庵>