・太古の昔から周辺の国々を恒にトラブルと紛争に巻き込み、多大な迷惑を掛けまくってきたのは、他ならぬ半島に住む韓民族だ!

元寇も、もともとは韓民族の事大主義、告げ口外交が膨らんで、自爆するかのように、自らが日本侵略の先兵となりますとフビライに媚びた結果だった。
・千年不変の「トラブルメーカー」は千年不変の「加害者」だった!
・太古の昔から、朝鮮半島周辺諸国に、おなじことを繰り返してきた。
・連綿として続く事大主義の国民性が、まったく面妖な、あやふやな半島の歴史を築いた。
・太古の昔から周辺の国々を恒にトラブルと紛争に巻き込み、多大な迷惑を掛けまくってきたのは、他ならぬ半島に住む韓民族だ!









〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
書評『漢民族こそ歴史の加害者である』   
宮崎正広   2016.05.05
■東アジア最悪の「トラブルメーカー」は、あの国だ 千年不変の「被害者」って、千年不変への「加害者」じゃないのか

<石平『漢民族こそ歴史の加害者である』(飛鳥新社)>
  事大主義、裏切り、告げ口外交。酷薄な身内の勢力争い、残酷な処刑、そして壮大な裏切りの数々。
 なにも、これは戦後の韓国が日本に対してなしてきた「歴史の業績」ではない。太古の昔から、朝鮮半島周辺諸国に、おなじことを繰り返してきた。数千年にわたって民族に染みこんだDNAなのである。

  石平氏が初めて、この裏切り半島の歴史に挑んだ。新分野の開拓とも言えるが、みごとに成功した。わかりやすく、重要文献をうまく選択したうえで、こまかく消化しながら、大事なポイントをすばやく拾い、そして連綿として続く事大主義の国民性が、まったく面妖な、あやふやな半島の歴史を築いたとする。

 もとより、中国人から聞かした石平氏には日本人のチャイナウォッチャーが感知してない微妙な中国人の心性が判るがゆえに視点が新鮮かつ独自的である。
彼はこう言う。
「東アジアの歴史の中で、周辺の国々を恒にトラブルと紛争に巻き込み、多大な迷惑を掛けまくってきたのは、他ならぬ半島に住む韓民族なのである。時に自らが侵略者となった、他国に大きな被害を与えたのも半島国家の真実である」。

私事ながら評者(宮崎正広)は遼寧省瀋陽から吉林省集安という街へ行ったことがある。詳しい行程を思い出せないが、ともかく瀋陽からまずバスで五時間。通化へ着いた。この「通化事件」の現場は、日本人三千名が虐殺された場所で、カメラ片手に市内を歩き回った。通化事件を再現する目的だったが、いまはそのことは措く。
  通化で宿泊した翌朝、またバスで二時間ほどかけて北朝鮮との国境のまち、集安に入った。 むろん、北朝鮮との国境を視察したが、もう一つ歴史的に重要な場所がある。 高句麗の王朝跡が集安のあちこちに残るのである。
高句麗平壌へ遷都するまでの二百年間、この地に王城があって、城が築かれていたのだ。
高句麗は現在の中国東北部にどっかと居座り、数百年つづいた王朝である。 いまや世界遺産にも登録されたのが「好太王碑」である。
 そして将軍塚や丸都山城も残骸が残るが、市内には国内城跡が、石が積まれただけで残っている。
 この場所を探すのに地元の運転手さんも知らない。 何度も付近の人に道を聞きながら一時間ほどあっちこっち行ったり来たり、ようやく見つけたが、田圃の真ん中。 看板が小さく、しかも、「これが歴史的遺物か?」と思われるほどに目立たない石碑と石を積み重ねただけの遺物があった。
付近の住民はだれも、この遺跡の由来を知らないのだ。
 つまり、現在中国吉林省にある高句麗王朝の跡など、中国にとっては邪魔な遺物、かつて朝鮮王朝がこの地を治めていた事実など知られたくないから観光資源にしないのである。
白村江は石平氏によれば、「日本が二階にあがっているうちに梯子を外されてしまった」という典型の事件だった。そして日本が闘った相手は、この高句麗だった。
 この経緯に関して、日本人の多くが知らなかった歴史的事実の開陳が本書にある。
平氏は、まず「白村江」の闘いの時代背景を克明に追求し、助けをもとめにきた百済は、二枚舌、三毎舌を駆使したあげくに、日本の高僧と、当時日本に人質としてきていた豊章王子との縁戚関係を利用して、ついに中大兄皇子は王子を百済に送還するとともに多数の援軍を送った。
 しかし日本は敗北し、逃げ帰ってくるのだが、こともあろうに裏切ったのが、日本に援軍を求めてきた王子だった。

 この基本構図はまったくそっくり、何かに似ている。
 そう、日本をこっぴどく批判し、「千年の恨みは消えない」と言ったかの国の大統領は中国に媚びてハルビンにも伊藤博文を暗殺したテロリストの記念館を作りたいと言い、認めて貰うが、米国から厳重に北朝鮮問題での攻撃をうけると、さっと身を翻す。
  米軍のミサイル防衛体制に加盟するかといえば、在韓米軍の指揮権は継続して欲しいと米国に懇願する。くるりくるりと立場がひっくり返る。 その矛盾を矛盾だと感知できないあたりも、過去の指導者のメンタリティにそっくりだ。
  似ている。ほんとに朴権恵大統領は、突然の反日家、変わり者ではなく、過去のパターンをそっくり繰り返していたに過ぎない。
 
 元寇も、もともとは韓民族の事大主義、告げ口外交が膨らんで、自爆するかのように、自らが日本侵略の先兵となりますとフビライに媚びた結果だった。
日本の時の執権、北条時宗は弱冠二十代の指導者だったが、フビライの遣いで日本にやってきた朝鮮人使者の口上を聞きながら、そこに大嘘、矛盾をたちまちにして捉えた。
時宗は、太宰府を中心に当時博多に多くいた南宋の逃亡者、亡命者から広く情報を集め、じつは元の皇帝の動きと、半島の反応、華南へ落ち延びた南宋の人々の認識の齟齬、情報の乖離を分析するインテリジャンスがあった。
 ところが十年ほど前だったか、大河ドラマとなった『北条時宗』を偶然みていたときに「世界秩序」を築こうとするフビライハーンに逆らう時宗の行為は「日本の国益に反する」などと言う登場人物の台詞を聞いた。
戦後の自虐史観の象徴、後智恵を滔々と喋る日本人がいたことにたいそう驚いた。史観の逆転がおきて、時宗を批判する勢力がまた頭をもたげていたからである。
 さて本書を通読して、石さんが中国問題を国内的な視点からばかりではなく朝鮮半島の厄介で複雑な歴史の扉を強引に大胆にこじ開け、広範なパースペックティブに立脚した世界史を語り始めて、新しい地平を拓かれたことを認識した。新地平の開拓の成功を祝したい。