大原先生の心配には共鳴しますが、大丈夫です。日本には土壇場では挙国一致を計れます。

・三条 健です。 大原康男先生は朝鮮半島情勢の有事をかなり心配しておられます。  緊迫感が無いとされるのは私も同感です。 朝鮮半島に対する緊張感が無くなったのは、やはり大戦に負けてアメリカに占領され、占領憲法によって日本は「牙を抜かれた」からであろう。日本は抜く刀を持っていないため、朝鮮半島アメリカに預けた形になっていて、武器で戦争を戦おうとする人間は居なくなって今日に至っている。
・ただ、私は先生の感覚には共鳴できますが、先生ほどの心配はしていません。 日本は本当の有事においては、90%以上の挙国一致度で対処できる素地があると信じています。農耕民族の魂があるからではないかと考えています。


〜〜〜メディア報道の一部<参考>〜〜〜

【正論】国学院大学教授・大原康男 半島危機と民主党政権の鈍感さ
2010.6.16 02:57
 北朝鮮潜水艦の魚雷攻撃による韓国哨戒艦沈没事件が契機となって、朝鮮半島情勢が風雲急を告げている。緊張は日ごとに高まり、前途は予断を許さない。時あたかも今月25日には、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)60年という節目を迎える。

 万が一にも北と韓国との本格的な軍事衝突に発展するようなことになれば、わが国にとっても極めて憂慮すべき非常事態である。

 ≪国内政治にかまけ鈍い対応≫

 言うまでもないことだが、地図を見れば明らかなように、朝鮮半島は日本列島の脇腹に突きつけられた匕首(あいくち)のような地位を占めていて、この地域が政治的に不安定になったり、強国の支配下に入ったりすれば、日本の安全保障にとって重大な危機が現出する。

 この地政学的な認識−それは遠くは白村江の敗戦によって唐の侵攻に怯(おび)えた古代、高麗を先兵とした二度にわたる蒙古襲来に見舞われた中世から、日清・日露という宿命的な二つの戦争をやむなく戦った近代日本を経て、北朝鮮の暴発を恐れる今日に至るまで、歴史を貫く日本人の共通感覚といってよいものである。

 にもかかわらず、先の大戦に敗北し、占領終結後は米国の軍事力の庇護(ひご)下におかれ、朝鮮半島の安定に直接かかわることがなくなったという状況の変化から、わが国では半島情勢がいくら緊迫化しても危機感が乏しく、国内政治にかまけて鈍い対応に終始するということがしばしば起こった。

 ≪騒乱を横目に「連立」が迷走≫

 たとえば、韓国の近代化に強い指導力を発揮した朴正煕大統領が昭和54(1979)年に側近に暗殺され、韓国に深刻な政治的空白状態が生じたときのこと。自民党内では派閥抗争が激化し、あまつさえ国会での首相指名に、福田赳夫氏、大平正芳氏という二人の派閥領袖が立候補して争うという前代未聞の椿事(ちんじ)が出来(しゅったい)した。

 世にこれを“40日抗争”というが、両者の確執が尾を引き、翌55年には自民党の一部が加担して大平内閣不信任案が可決され、衆議院の“ハプニング解散”となった。その結果、初めての衆参同日選挙が実施されることになったが、韓国では戒厳令下の光州で大暴動が発生し、多数の死傷者が出るという騒乱状態に陥っていた。

 その3年後の昭和58年にはビルマ(現ミャンマー)を訪問していた全斗煥韓国大統領を北朝鮮工作員が暗殺しようとした、いわゆる“ラングーン事件”が起こっている。全大統領は辛うじて難を逃れたが、閣僚ら17人が犠牲となり、韓国軍部がこれに強く反発する一方、北朝鮮は韓国の自作自演だと主張し、朝鮮半島は一触即発の状態になった。

 この同じころ、わが国ではロッキード事件で起訴された田中角栄元首相に対する一審の有罪判決が言い渡され、その議員辞職をめぐって国会が1カ月も空転していたのである。

 平成に入ってからも似たような事態が起きた。平成5年に北朝鮮の核開発疑惑が発覚し、NPT(核拡散防止条約)から脱退、韓国では久しぶりの文民政権である金泳三大統領と軍部の間がにわかに緊張し、一部では南北同時クーデター情報さえ流れたほどだが、周知のように、わが国では40年近くも続いた自民党単独政権が崩壊し、政界再編のもたつきと、今日まで続く連立政権の迷走がスタートした時期に当たる。

 ≪もはや「僥倖」には頼れない≫

 このように、不思議なくらい国内政治が混迷している時期に集中して何度か起こった朝鮮半島の危機をわが国がほとんど努力することなく回避できたのは幸運としか言いようがない。だが、あらゆる面でゆきづまっている北朝鮮がさらに暴走する危険性や、普天間飛行場移設問題の長期にわたる膠着(こうちゃく)状態がもたらした日米同盟の脆弱(ぜいじゃく)化に加え、首相が交代したものの、民主党政権が本来的に抱える内部の不調和と安全保障への鈍感さが重なった今日の危機はただごとではない。

 しかも6月24日−奇(く)しくも朝鮮戦争開戦の日の前日に当たる−には参議院選挙が公示され、7月11日に投票される。その間は与野党とも選挙活動に追われ、日常の政務に滞りが出ざるを得なくなる政治スケジュールが既に決定しているのである。これまでのように、ただ僥倖(ぎょうこう)に頼っていてよいわけではないだろう。

 ここでふと想起するのが日清戦争をめぐる一つの挿話である。帝国議会が開設してからまだ4年もたっておらず、開戦直前まで政府と野党は熾烈(しれつ)な政争を続けていた。清国は開戦を目前にして日本国内の不和に少なからず期待したようだが、一旦宣戦の詔書が発せられるや、政党各派はこぞって政府攻撃を中止し、議会はわずか2日間で臨時軍事費を全会一致で可決したのである。

 たしかに、当時とは事情は異なる。しかし、朝鮮戦争勃発60年に加え、日米安保改定50年という年に迎えた現下の危機を前にして、われわれの父祖たちが成し遂げた「挙国一致」という事実に深い感慨をいだくのは私だけではあるまい。(おおはら やすお)