定住外国人への地方参政権付与、選択的夫婦別姓、人権侵害救済機関設置などに関する反国家的な民主党の法案は、断固として粉砕しなければならない

・三条 健です。
・戦後65年、漂流をつづけてきた政治思想の帰結が「国家解体の思想だ」というのであれば、日本の再生を願う者は「維新」を唱導し始めるかもしれない。 つまり、黙ってはいないということだ!
国家解体の思想とは、定住外国人への地方参政権付与、選択的夫婦別姓、人権侵害救済機関設置などに関する法案のことだ。
この法案が民主党により準備されている。「日本の厳たる与党がなぜこのような反国家的法案に手を染めようというのか?」と渡辺学長が嘆くのは当然だ!
定住外国人への地方参政権付与、選択的夫婦別姓、人権侵害救済機関設置などに関する反国家的な民主党の法案は、断固として粉砕しなければならない。



〜〜〜メディア報道の一部<参考>〜〜〜

【正論】終戦から65年   拓殖大学学長・渡辺利夫
2010.8.4 03:04

■自虐でなく敗北への自省が必要

 定住外国人への地方参政権付与、選択的夫婦別姓、人権侵害救済機関設置などに関する法案が民主党により準備されている。日本の厳たる与党がなぜこのような反国家的法案に手を染めようというのか。

 私の青春時代、日本の知的状況は不思議なほどまでに自虐的であった。第二次大戦は正義と人道の戦いであり、これに敗れたのが日本であるかのごとくに論じられて、東京裁判史観が日本人の心を縛り付けてしまっていた。

 国益というものがある以上、戦争が絶えることはない。戦争を倫理で語れるか。戦争には必ず勝者と敗者がある。敗者に必要なことは敗北への自省であって自虐ではない。旧ソ連軍の侵略により満州で辛酸を嘗(な)めさせられた父の無念への思いもあって、私は日本の敗戦を貶(おとし)める気にはなれなかった。

 東京裁判とは何か。勝者が正統性を主張するには、敗者を非道なる存在に仕立て非を徹底的に認めさせねばならない。戦争は勝者にも心的外傷を遺(のこ)す。原子爆弾や焼夷(しょうい)弾によってあれほど大量の民間人を殺傷した米国人の心を鎮めるには、日本は邪悪な存在でなければならない。日本兵が残虐の限りを尽くしたと主張しなければ、抗日戦争勝利をみずからの正統性の根拠とする中国共産党には立つ瀬がない。またそうでなければ、南北分断の悲劇をかこつ韓国と北朝鮮は憤懣(ふんまん)のもって行き所がない。

≪「反米」も庇護者への甘え≫

 東京裁判とは、勝者の敗者に対する、そうしなければ自分の身がもたない心理的報復であった。しかし日本人は報復を報復とも考えずに、これを受け入れて自虐心理の中に蟄居(ちっきょ)してしまった。敗戦を初めて余儀なくされた日本人の未熟な戦争観の表れである。

 私は安保闘争を大学時代に経験した。片務的な旧安保条約を少しでも双務的なものにしようというのが1960(昭和35)年安保改定であった。しかし不思議にも日本人はこれに強い反対の声を上げた。実は安保闘争が隠しもっていたのは反米ナショナリズムであった。ナショナリズムとは、他者に投影して自己を確認する国民心理である。

 戦後日本にとって他者とは何よりも米国であった。他者が比類なき強者であり、しかもかつて自己を圧した存在であってみれば、自己を訴える対象としては申し分がない。少年はぶつけても毀(こわ)れることのない父親に自分をぶつけながら青年へと成長していくのである。人間の成長過程を心的深層から捉(とら)える発達心理学の示唆する通りであり、つまり戦後日本の反米ナショナリズムは所詮(しょせん)は庇護(ひご)者米国への甘えであった。

 それゆえであろう、改定安保が成立するや、安保闘争のエネルギーはいちどきに萎(しな)びてしまった。米軍による日本防衛義務と日本による米軍基地貸与義務がバランスして冷戦下の日本の安全保障が担保されるや、反米ナショナリズムは一挙に沈静化した。70年安保とは、日米の一方が1年前の事前通告により条約の自動廃棄を可能とする改定であったが、この時には安保闘争らしきことは何も起こらなかった。60年安保闘争が反米ナショナリズムの一時の甘えでしかなかったことの証左である。

 慚愧(ざんき)に耐えないのは、反米ナショナリズムの沈静化と同時に第9条改正をめざす自主憲法制定へのエネルギーもまた萎縮(いしゅく)してしまったことである。安保改定の成功が憲法改正への意気をも阻喪(そそう)させて、自立への構えは保守陣営からもふうと消え去ってしまった。

≪漂流のすえの反国家思想≫

 この間、昭和40年を前後する頃からベトナム反戦運動が多少の高まりをみせたが、日本は戦争の当事者ではない。戦争の惨禍が自国に及ぶことなどありえないという無意識の前提があっての安逸なる反戦運動であった。後に北ベトナムの指導者自身がこの戦争は共産勢力による南北統一戦争であったことを証言しても、反戦運動で名をなした知識人のすべてが頬(ほお)かむり、まことに不誠実な反米ナショナリズムであった。

 冷戦崩壊を前後する頃からにわかに頭をもたげてきたのが、歴史教科書、従軍慰安婦南京虐殺靖国参拝などの「歴史認識問題」である。自虐の情念の矢は米国にではなく自国の歴史に向けられ始めた。冷戦崩壊により敵が消滅し安んじて自虐の情念を噴出させることができるようになったのである。恐ろしきかな、情念の噴出はついに国家の指導者をまで巻き込んでしまった。歴史教科書に関する近隣諸国条項従軍慰安婦問題についての河野談話、戦後50周年に際しての村山談話などがその端的な事例であり、自虐史観は「制度化」の段階にいたった。

 そして民主党政権は、冒頭の3つの法案に象徴される反国家思想の「制度化」を開始したのである。戦後65年、漂流をつづけてきた政治思想の帰結が国家解体の思想だというのであれば、日本の再生を願う者は「維新」を唱導し始めるかもしれない。(わたなべ としお)