秒や分で盛り上がるのではなく、時間、日、そして週や月という単位で自分と向き合う生活を取り戻そう!

・三条 健です。 三木氏は「時間をかけた複雑で深い楽しみが沢山ある。週に1日はインターネットなしの日を」と提案している。 これはある意味で賛同できます。
・今や、インターネットは不可欠ではあるが、時間単位が短くなったことは刹那的な「面白さ」だけとなってしまいがちだ!
・人類が築きあげてきた偉大な遺産を深く学び、秒や分で盛り上がるのではなく、時間、日、そして週や月という単位で自分と向き合う生活を取り戻そう!



〜〜〜メディア報道の一部<参考>〜〜〜

【正論】同志社大学教授・三木光範 ネット社会が忘れた深い楽しみ
2010.8.23 03:11

 インターネットはもはや電気・ガス、あるいは水道のように、われわれにとってライフライン(生命線)となり、毎日の生活を送る上でなくてはならないものになりつつある。

 メールで連絡を取り、資料を送る、ホテルやレストランの予約をする、地図や電車の乗り換え時刻を調べる、電気製品のカタログを印刷する、好きな音楽をダウンロードする、旅行先の観光地情報を得る、料理のレシピを見る、上場企業の財務諸表を調べる、政府の新成長戦略を調べるなど、誰もがパソコンやケータイを用いて1日に何度もインターネットに接続している。

≪時間単位が短くなった≫

 そのインターネットに、メールやデジカメの写真など大量のデータを保存し、簡単に検索して表示するサービスや、ブログやツイッターなど、個人があることに関して意見や感想を述べることで情報交換を促進するサービス、あるいは小説などを電子書籍で読むサービスが生まれ、さらには個人が撮影した動画を全世界の人に見せるということさえ、小中学生でも可能な時代になった。

 その結果、何が起こりつつあるのか。

 インターネットにおける新たなサービスの登場で社会やわれわれの生活にいろいろな変化が生じている。その中でひとつの大きな変化は、われわれの時間単位が短くなったことだ。

 ブログで交換する文章は数行以内であり、ツイッターでは1行程度になる。多くの人が頭に浮かんだ脈絡のない印象や感想をケータイで述べ合い、とりとめもないつぶやきが延々と続く。そこでは深く考えることより、瞬間的でインパクトのあるコメントを出す能力が重要だ。因果関係をたどる論理は不要であり、それまでの流れとは無関係で脈絡のない、しかし面白い話が珍重される。何しろ1行で人を引きつけ、1行で話題を盛り上げなければならないのだ。もはや時間は秒単位となる。

≪刹那的な「面白さ」だけ≫

 一方、動画を投稿し、情報交換するユーチューブやニコニコ動画では、数分の動画を無数に見ることができる。動物や人間の驚くべき得意技、普段見ることができない不思議な映像、あるいはなんとも奇妙な創作動画など、人間社会のとんでもない面白さが後から後から出てくる。だが分単位の動画の最初の10秒が面白くなければ、人はすぐに別の動画に移るのだ。そして脈絡のない長い時間だけが過ぎ、気がつけば午前4時となる。

 インターネットの発達は明らかにわれわれの時間単位を大きく短縮し、料理で言えばおいしいところだけをつまみ食いし、歌で言えばサビの部分だけを楽しむ刹那(せつな)的・瞬間的なライフスタイルをもたらした。そのため、自分にとって有用な情報の判断基準は、長い時間をかけて深く思慮する論理ではなくなり、また、自分の五感を研ぎ澄ました感性でもなく、インターネットで表示できる文字と画像だけからの新鮮さ、奇抜さ、そして面白さだけとなる。

 だが、そうした刹那的・瞬間的面白さは表層的なものであり、すぐに消えてしまう。するとまたそれを求めることになる。毎日、1行程度のケータイメールを100通ほどやりとりし、ツイッターで100のつぶやきを確認し、家ではインターネットに数時間接続して楽しい数分動画を100ほど見るという生活をし始めると、それを加速しなければ楽しさが減るという悪循環が始まり、もはや覚醒(かくせい)剤と同じ状況に陥る。

 最近、若者の間では酒やタバコ、そして覚醒剤の使用が減少しているという報告があるが、もしかするとケータイとインターネットという新たな刹那的・瞬間的楽しみを与える道具の発達で、昔の道具の必要性が少なくなったのかもしれない。

≪「昭和ライフ」の実践から≫
 いま必要なことは、われわれの社会には時間をかけた複雑で深い楽しみが沢山あり、そうした楽しみを覚えなければ人生はすぐに退屈なものになってしまうということを理解しなければならない。
悠久の時間を感じる歴史、自然のすばらしさを堪能できる科学、人の心に共鳴を呼び起こして生きる喜びを教えてくれる芸術など、人類が築きあげてきた偉大な遺産を深く学び、秒や分で盛り上がるのではなく、時間、日、そして週や月という単位で自分と向き合う生活を取り戻したい。

 先日、鎌倉で旨(うま)い酒と料理を楽しみながら友人たちと芸術や人生について語り合った。エアコンを止め、戸を開けて涼風を入れ、囲炉裏(いろり)の炭火で焼いたしいたけや地鶏を食べると、仕事にインターネットは不可欠だが、プライベートな時間は50年ぐらい前に戻るのがちょうどいいのかなと感じた。自宅に光ファイバーがあるのは悩ましく、アルコール抜きの休肝日を作ったり、電気を消してキャンドルや暗闇で食事するように、ケータイとインターネット無しで1日を過ごす「昭和ライフ」を実践し、長い時間を取り戻したい。(みき みつのり)