・欧米に比べて100年遅れての帝国主義であり、かつ共産党1党独裁という狼が中国だ! したがって、常に牙を剥いて膨張徘徊するので油断はできない!

・三条 健です。
拓殖大学学長・渡辺利夫氏は
「中国の体内に宿る衝動を怜悧(れいり)に分析し、その分析の上に立って断固たる守りの意思を固めなければ、この隣国とは共存することさえ難しい。」
防衛白書が平然と伝えている事実である。白書は惰弱(だじゃく)なる政権中枢部に向かって抗議しているようにも読める。弱者に「生存空間」はない、というのが帝国主義の構えであり、パワーポリティクスの時空を超えた真実である。」
と言っている。 放置できない危機的な状況だから、適切な対応をしろ!ということだ!

・欧米に比べて100年遅れての帝国主義であり、かつ共産党1党独裁という狼が中国だ! したがって、常に牙を剥いて膨張徘徊するので油断はできない!


〜〜〜メディア報道の一部<参考>〜〜〜

【正論】拓殖大学学長・渡辺利夫 
    中国は遅れてきた帝国主義国家
2010.10.20 03:12

≪相応の戦略と意思持たぬ日本≫
 尖閣諸島漁船衝突事件に際して、中国政府の取った行動はまことに強硬であった。ナショナリズム鬱勃(うつぼつ)たる国力増強期の大国であってみれば、そのような行動は至極当然のことだといわねばならない。中国の対応はあからさまではあったものの、それを「理不尽」だとは私は思わない。興隆期の中国がそうした挙に出ることは十分にありうるシナリオとして、相応の戦略を練り上げ国の守りを固める意思を持たない日本の政権中枢部の方が問題なのである。
 勃興(ぼっこう)期の日本もドイツもアメリカも、植民地化であれ属領化であれ保護国化であれ、他国の領土に侵入してこれを自国の支配下においたことはまぎれもない事実であった。
帝国主義の時代、列強として登場したのはそのような行動を取った国のみであり、そうではない国は弱者として安住の地を得られなかったのである。何と古い話を持ち出すのかと思われようが、そうではない。極東アジアの国々はなお国家形成の段階にあって、ナショナリズムは彼らの不可欠の構成要素なのである。中国とは、要するに「遅れてやってきた」帝国主義国家である。
 資本蓄積を強化しつつ実現されたその高成長は、国富を増強する一方、国民の多くを低所得水準のままに置き去りにし、所得分配の不平等が正される見通しは立っていない。チベット、新疆ウイグル内モンゴルなどの自治区は、およそ自治区の名に値しない、漢族支配区の様相を呈している。

≪対外的膨張は歴史の必然≫
 内に厖大(ぼうだい)な貧困層と広大な異民族地域を抱えながら、否(いな)、それゆえにこそ中国は国民的凝集力を求めて「愛国主義」の昂揚(こうよう)を図り、対外的膨張をもってその昂揚に応えんとしている。帝国主義とは、われわれの過去をみても今日の中国においても、そういう内的衝動を抱え持つ時代局面なのである。

 現在の中国の対外的膨張は、もちろん中国固有の相貌(そうぼう)をみせながらも、われわれ自身の古い「自画像」のごときものである。さればこそ、私は中国の東シナ海における行動がいかに強圧的ではあれ、決して理不尽だとは考えない。隣国の行動を理不尽だと捉(とら)えるのであれば、そもそも自国自身の戦略は生まれない。相応の理を想定しなければ、戦略は構想しようがないのである。中国の体内に宿る衝動を怜悧(れいり)に分析し、その分析の上に立って断固たる守りの意思を固めなければ、この隣国とは共存することさえ難しい。

 漁船衝突事件(9月7日)からもう1カ月以上がたつ。この間の日本の政権中枢部の対応は、振り返るのも苦々しいほどに情けないものであった。緊迫の極東アジア地政学をみつめる視線が感じられない。勃興する中国という大国にどう向き合うべきか、日本という国家の意思がまるでみえてこない。一体、日本は主権国家か、という絶望に近い感覚に襲われた国民は少なくないのではないか。

 平成20年10月には中国の4隻の艦船が津軽海峡を通過し、太平洋を南下して日本列島を周回した。同年11月には4隻、平成21年6月には5隻、今年3月には6隻、4月には10隻の中国艦船が、沖縄本島宮古島との間(宮古海峡)を航行して太平洋に進出した。4月に宮古海峡を通過した艦船は沖ノ鳥島に進出して訓練活動を繰り返し、その活動を監視する海自護衛艦に中国の艦載ヘリコプターを数回にわたり異常接近させるという挙に出た。これに前後して、原子力潜水艦の日本領海内での潜没航行という国際法侵犯がしばしば展開されてきた。

≪弱者には「生存空間」なし≫:
 これらはいずれも平成22年度の「防衛白書」に記載されている事例である。そして、今回の尖閣諸島沖での漁船衝突事件である。この事件の背後に中国政府の一貫した戦略を直ちに察知できないのであれば、国防意識のまぎれもない麻痺(まひ)である。というより、中国が衝(つ)いてきたのは日本のこの麻痺状態に違いない。衝突した漁船の拿捕(だほ)、船長の逮捕、身柄拘束期間延長をしたものの、中国政府による幾多の恫喝(どうかつ)を受けて、結局のところは船長を処分保留のまま釈放し、あげくは中国から「謝罪と賠償」を突き付けられるという顛末(てんまつ)となった。

 日本は明らかな主権侵犯をやすやすと許してしまい、法治主義をみずから放擲(ほうてき)してしまったのである。日本の主権はこれを侵犯しても何ごとも起こらない。そういう「学習」を中国にさせてしまった以上、かかる事件の頻度は確実に高まるであろう。侵犯の度ごとに尖閣諸島の命運尽きる日が着々と近づく。尖閣諸島はもとよりだが、宮古島以西、石垣島、西表(いりおもて)島、与那国島には日本の部隊はまったく配備されておらず、防衛上の「空白地帯」となっている。

 防衛白書が平然と伝えている事実である。白書は惰弱(だじゃく)なる政権中枢部に向かって抗議しているようにも読める。弱者に「生存空間」はない、というのが帝国主義の構えであり、パワーポリティクスの時空を超えた真実である。(わたなべ としお)