・エジプトに限らず、アラブの中東諸国が今後、どういう国になるのか?イスラム過激派支配か、軍事政権国家か、民主主義国家か?

・中東が多数の部族と民族と宗教宗派とが対立する流血の絶えない世界の火薬庫である。
・人口八千万人のアラブの大国エジプトがイスラム過激派の支配する国になるのではないか?と、はらはらして事態を見守っている。
・この先、第三の選択(民主主義国家)の可能性が開かれるのか否か固唾を飲んで見ている。
・エジプトに限らず、アラブの中東諸国が今後、どういう国になるのか?イスラム過激派支配か、軍事政権国家か、民主主義国家か? 

〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
エジプトそして中東情勢について
西村眞悟
2011.02.16 Wednesday

 作家の故村松 剛氏に、「中東戦記」、「湾岸戦記」そして「血と砂と祈り」という戦争を中心にした中東の動乱の歴史を扱った労作がある。
 村松さんが、著書の題名に「・・・戦記」とつけたのは、紀元六十六年から七十年のローマとユダヤの戦争においてユダヤ軍の指揮官であったヨセフスが敗戦後に書き残した「ユダヤ戦記」と銘々された貴重な記録に由来するのだろう。
 村松さんの「中東戦記」は、第三次中東戦争つまり六日間戦争と呼ばれるエジプトを中心としたアラブ諸国イスラエルの戦争の記録であり、「湾岸戦記」は、イラクサダム・フセインのクエート侵攻から始まったアメリカを中心とする多国籍軍イラクの戦争の記録である。そして、「血と砂と祈り」は、建国と戦争の中東現代史といえる。
 これらは、日本人によって書かれた中東の貴重な歴史である。私は、その一部を読んだだけで全てを読んではいない。
 従って、この度のエジプトの反政府デモとムバラク大統領退陣の事態を注視していて、頻りに村松 剛さんの中東に関する本を三冊とも熟読しておったらよかったと思う。
 また私は、中東における現地体験は乏しいのであるが、中東が多数の部族と民族と宗教宗派とが対立する流血の絶えない世界の火薬庫であることは確かだと思う。

 今世界は、「Global War On Terrorism」(テロとの世界大戦)を戦っている。そして、このテロリズムの発祥の地、発源地が中東である。 
 ところで、我が国では、このテロとの世界大戦を「テロとの戦い」と訳している。これでは、各自治体や警察で行われている「覚醒剤との戦い」やら「路上ひったくりをなくす戦い」やら「ゴミとの戦い」などのキャンペーンと同じようなイメージに矮小化されて、本来の「Global War」という事態の深刻さが伝わらない。
 世界は、テロとの「Global War」を戦っているのであって、今、人口八千万人のアラブの大国エジプトがイスラム過激派の支配する国になるのではないかと、はらはらして事態を見守っているのだ。 
 エジプトをイスラム過激派が押さえたならば、イスラエルとの衝突は不可避となり、当然そこにイランが加わる。そして、核を使用し合う戦争が勃発しかねない。その時には、我が国を含む世界の主要先進国の首都及び主要都市においてテロが頻発する。
 まさに、世界は、Other Than War、つまり世界戦争でないようで世界戦争であるという動乱・恐慌のルツボに陥りかねない。

 報道によると、退任したムバラク大統領は、シナイ半島の要衝であるシャルム・エル・シェイク中東戦争で何時も攻防の焦点となる都市)で意識不明の状況にあるらしい。
 また、大統領から権限の委譲を受けた軍がエジプトの秩序を維持しているので、今までは中東の独裁政権が倒れれば、過激派の支配するイスラム原理主義国家になると信じられてきたが、民主主義国家になるという第三の選択が可能ではないか、との見方も現れ始めたという。
 また、イランにも民主化を求めるデモが起こり始めたらしい。いずれにしても、中東の情勢は、何が起こるか分からない。

 此処でエジプトの権力移譲の歴史を概観しておきたい。一九四八年の第一次中東戦争イスラエル建国戦争)の敗北後、三十四歳のナセルを中心とする自由将校団が軍事クーデターによって権力を掌握する(一九五二年)。
 ナセルは大統領として第二次中東戦争スエズ戦争)と第三次中東戦争(六日間戦争)を戦い、一九七〇年に、五十二歳で急死する。
 ナセルの後を継いだのが軍人のサダトであり、第四次中東戦争を戦う。しかし、その戦勝記念観閲式において過激派の中尉に射殺される(一九八一年十月六日)。
 そのサダトの後を第四次中東戦争の電撃作戦の英雄である空軍元帥のムバラクが継ぎ大統領となって以後三十年君臨する。

 彼はサダトの暗殺後直ちに非常事態宣言を出し、以後三十年間それを継続した。独裁政権といわれる由縁だ。
 そして、この度、世界注視のなかでムバラクが軍に権限を委譲した。従って、この軍のエジプト統治権の掌握は、エジプトが一九五二年のナセルと自由将校団によるクーデター成功の原初に還ったことを意味する。

 この先、第三の選択(民主主義国家)の可能性が開かれるのか否か固唾を飲むというところだ。ゆめゆめ、アメリカがミャンマーでアウン・サン・スーチーに悪乗りして行ってきたような「軍事政権には支援しない」というような馬鹿げた偽善を繰り返してはならない。

 ところで、イスラエルアメリカの一番の心配事は、ムバラク前大統領のイスラエルとの友好路線を軍が踏襲するのか否かである。今のところ、軍は対イスラエル友好路線を変更することはないことを示すために、エジプトのあらゆる外交関係に変更をもたらさないと公表している。
 従って、そもそも、このエジプトとイスラエルの友好関係は如何にして作られたのかを述べて、この地域が我が国と全く違う発想で動いていると言うことに触れておきたいと思う。
 イスラエルとの友好路線を造って中東平和の基礎を作りノーベル平和賞を受賞したのはエジプトのサダト大統領であった。
 では、サダト大統領は、如何にしてイスラエルとの平和路線を造ったのか。それは、イスラエルに対する第4次中東戦争を引き起こすことによってである。
 サダトは、一九七三年十月六日、突然イスラエルを攻撃して第4次中東戦争が勃発する。エジプト軍は緒戦において奇襲に成功しイスラエル軍に壊滅的な打撃を与えた。この時の空軍の英雄がムバラクである。
 この戦争は十月二十三日まで続くが、後半はイスラエルが強烈に巻き返し、決してエジプトが最終的に勝利した訳ではない。
 しかし、緒戦の圧倒的なエジプト軍の勝利は、エジプト国民に誇りと自信を与えたのだ。そして、このエジプト国民のイスラエルに勝利したという自信と誇りが、その後現在まで続くイスラエルとの平和の基礎になった。

 それまでのエジプトは、イスラエルと三回の戦争をしていたが、ことごとく緒戦で壊滅させられていた。そのままでは、決してイスラエルとエジプトの長期の平和は築けなかったであろう。
 サダトは、イスラエルとの和平に至る為にあえて戦争に打って出た。そして、イスラエルとエジプトの平和は、サダト戦勝記念日に射殺されても、対イスラエル電撃戦の英雄ムバラクに引き継がれて今まで続いてきた。

 これが、中東の思考プロセスである。従って、我が国から見て、これからも、予想できない事態が起こるのが中東である。