東海、東南海地震は10年以内に発生する確率は高い!

・869年7月9日 貞観三陸地震 –★ M 8.3〜8.6のあと、9年後、
878年10月28日 相模・武蔵地震 -★ M 7.4、死者多数。さらに9年後、
887年8月26日 仁和南海地震 -★ M 8.0〜8.5、
の順序で太平洋側に巨大地震が発生している。
・この傾向はその後の歴史でも同様だ!
1611年 12月2日 慶長三陸地震 - M 8.1後、同様だ!
・従って、東海、東南海地震は10年以内に発生する確率は高い!


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜

869年7月9日 貞観三陸地震 –★ M 8.3〜8.6、貞観三陸津波、死者約1,000人。多賀城損壊。津波堆積物調査から震源域が岩手県沖〜福島県沖(または茨城県沖)の連動型超巨大地震の可能性[1]。
878年10月28日 相模・武蔵地震 -★ M 7.4、死者多数。 京都でも揺れが感じられる。
887年8月26日 仁和南海地震 -★ M 8.0〜8.5、 京都・摂津を中心に死者多数。津波あり。地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。


17世紀前半 津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM 8.6クラスの地震が発生したと推定されている。
1605年2月3日 慶長地震(東海・南海・東南海連動型地震) - M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。

1611年
12月2日 慶長三陸地震 - M 8.1、死者約2,000〜5,000人。
1615年6月26日 江戸地震 - M 6、死者多数。
1616年9月9日 宮城県沖地震 - M 7.0、仙台城が破損。
1633年3月1日 相模・駿河・伊豆地震 - M 7.1、死者110〜150人。駿河・熱海に津波
1662年
6月16日 近江・山城地震畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震) - M 7.4〜7.8、死者数千人。
10月31日 日向・大隅地震 - M 7.6、死者多数。

1678年10月2日 宮城県北部沖で地震 - M 7.5、死者1人、東北地方の広範囲で被害。
1703年12月31日 元禄地震(元禄関東地震) - M 8.1、死者5,200人(20万人とも)。関東南部に津波
1707年10月28日 宝永地震(東海・南海・東南海連動型地震) - M 8.4〜8.7、死者2,800〜2万人以上、倒潰・流出家屋6万〜8万軒。関東から九州までの太平洋岸に津波、伊豆・伊勢・紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。地震から49日後に富士山の宝永大噴火道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。

1793年
2月17日 三陸沖で地震(連動型宮城県沖地震) - M 8.0〜8.4、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波
19世紀
1812年12月7日 武蔵・相模地震 - M 6、死者多数。
1819年8月2日 伊勢・美濃・近江地震 - M 7.3、死者多数。

1835年7月20日 仙台地震 - M 7、死者多数。仙台城損壊、津波あり。
1843年4月25日 十勝沖地震 - M 8.0、死者46人。厚岸に津波
1853年3月11日 小田原地震 - M 6.7、死者約20〜100人。
1854年
7月9日 安政伊賀地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M 7.6、死者約1,800人。
12月23日 安政東海地震(東海・東南海地震) - M 8.4、死者2,000〜3,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号沈没。
12月24日 安政南海地震 - M 8.4、死者1,000〜3,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。
安政東海・南海地震は32時間の時間差で発生した。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で3,000回近く。
12月26日 豊予海峡地震 - M7.4。東海・南海と併せ、4日間で3つの巨大地震が発生。
1855年
3月18日 金沢などで地震 - M 6.5、死者少なくとも203人。
11月11日 安政江戸地震 - M 6.9、死者4,700〜1万1,000人。
1857年10月12日 伊予、安芸、今治で城内破損。死者5人。

1896年
6月15日 明治三陸地震 - M 8.2〜8.5、死者・行方不明者2万1,959人。
8月31日 陸羽地震 - M 7.2、死者209人
1897年
2月20日 宮城県沖地震 - M 7.4、地割れや液状化、家屋に被害。
8月5日 三陸沖で地震 - M 7.7、宮城県岩手県津波により浸水被害。
1898年4月23日 宮城県沖で地震 - M 7.2、北海道から近畿にかけて有感、岩手県宮城県の県境付近で被害。
1899年
3月7日 紀和地震 - M 7.0、死者7名、三重県を中心に近畿地方南部で被害。
11月25日 宮崎県沖で地震 3時34分 - M 7.1 / 3時55分 - M 6.9。

1900年5月12日 宮城県北部で地震 - M 7.0、死傷者17人、家屋などに被害。
20世紀
1900年代 (1901年以降)
1901年8月9日、8月10日 青森県東方沖で地震 - M 7.2・7.4、死者18人。
1909年
3月13日 千葉県房総半島沖で地震 8時19分 - M 6.5 / 23時29分 - M7.5。
8月14日 姉川地震(江濃地震) - M 6.8、死者41人。
8月29日 沖縄本島付近で地震 - M 6.2、死者2人。
11月10日 宮崎県西部で地震 - M 7.6。
1910年代
1911年6月15日 喜界島地震 - M 8.0、死者12人。

1915年
11月1日 宮城県沖で地震 - M 7.5、岩手県宮城県の沿岸に小津波
1921年12月8日 竜ヶ崎地震 - 千葉県・茨城県県境付近で発生。M 7.0。家屋倒壊、道路亀裂。
1923年9月1日 関東地震(大正関東地震。被害については関東大震災に記述) - M 7.9、死者・行方不明者10万5,385人(日本災害史上最大)。
1924年1月15日 丹沢地震 - M 7.3、死者19人。関東地震の余震だと見られている。

1930年代
1933年
3月3日 昭和三陸地震 - M 8.1、大津波発生、死者・行方不明者3,064人。
1935年7月11日 静岡地震 - M 6.4、死者9人。
1936年  2月21日 河内大和地震 - M 6.4、死者9人。

1937年7月27日 宮城県沖で地震 - M 7.1。
1938年
11月5・6日 福島県東方沖地震 - M 7.5 / 7.4、福島県宮城県で震度5、福島県で死者1人、東北〜関東に津波
1939年
3月20日 日向灘地震 - M6.5、死者1人。
1941年
7月15日 長野地震 - M 6.1、死者5人。
11月19日 日向灘地震 - M 7.2、九州東岸、四国沿岸で津波1m。死者2人。
1944年12月7日 東南海地震 - 三重県沖、M 7.9、死者・行方不明者1,223人、伊豆から紀伊にかけて津波
1946年12月21日 南海地震 - 和歌山県沖〜四国沖、M 8.0、死者・行方不明者1,443人、房総から九州にかけて津波
1947年9月27日 与那国島近海で地震 - M 7.4、死者5人。
1948年
4月18日 和歌山県南方沖で地震 - M 7.0。

2011年
3月9日 三陸沖で地震 - M 7.3。宮城県登米市美里町栗原市震度5弱。3月11日 東北地方太平洋沖地震の前震。
3月11日 東北地方太平洋沖地震 - Mw 9.0(日本の地震観測史上最大)。宮城県栗原市で最大震度 7。北海道から関東地方にかけて大津波。潮位計によって観測された最大波高は岩手県宮古港の8m50cm以上[7]、実際は各地で10m以上に到達[8]。福島第一原子力発電所事故をはじめ、岩手県宮城県福島県を中心に甚大な被害。死者・行方不明者2万人以上。戦後最悪の震災となった。3月9日に前震(M 7.3、最大震度5弱、最大60cmの津波を観測)があり、11日の本震以降も余震が広範囲において多数発生。また、11日以降の数日間に震源域から離れた場所で発生した地震についても、この地震に誘発された可能性が指摘されている[9]。
3月11日 茨城県沖で地震 - M 7.4。茨城県鉾田市震度6弱。この地震については東北地方太平洋沖地震の広範囲に及ぶ震源域で起きたものであり、余震に含まれる。
3月12日 長野県北部で地震 - M 6.7。長野県栄村で震度6強
3月15日 静岡県東部で地震 - M 6.4。静岡県富士宮市震度6強