防衛予算を4000kmに対応できるように増大すべきだ!

・日本列島は北から南まで、細長く4000km連なっている。「動的防衛力」とか、「機動運用」といっても、少ない兵力で守れるものではとうていない。 防衛予算を4000kmに対応できるように増大すべきだ!
・巨大地震は、日本国民の大多数が行き過ぎた依頼心を持っていたことに対して、天が誡(いまし)めたのではなかったか。
・天災を乗り越えて、この国を再建することを信じている。われわれには、それだけの力があるはずだ。
・三自衛隊の定員として三十五万人は必要で、そのうえに少なくとも五十万人の予備自衛官を確保しなければならない。
・「動的」抑止力のためには、輸送機、輸送艦をはじめ、空中給油機を増さねばならない。

〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
天の畏怖はさけられない
加瀬英明
2011.04.07 Thursday

 巨大地震津波が、東北地方を襲った。被害の規模の大きさに、愕然とせざるをえない。犠牲者に哀悼の意を捧げるとともに、被災者の支援にできうるかぎり協力したい、私は今回の巨大な震災が、日本に対する天の鞭ではないかと思った。あのような大規模な天災に遭遇した時には、人は自分しか頼れない。

人の絆を考える機会:

 日頃、高度な文明によって守られていると思っても、予想を大きく上回る天災に見舞われると、一人の裸の人間になって、無力であることを知らされる。そして、家族や、一族の絆が、何よりも大切なことを覚らされる。
 日本国民の大多数が公共のサービスや、福祉や、公的なさまざまな援助に依存してきた。国民が国に対して、過剰な依頼心をもつようになっていた。民主党政権が目玉として掲げた、〃子ども手当て〃がそうだった。
 今回の巨大地震は、日本国民の大多数が行き過ぎた依頼心を持っていたことに対して、天が誡(いまし)めたのではなかったか。天が日本に喝を入れたのだと、思いたい。

ノアの方舟が語るもの:

 古来から、東西を問わず、大きな天変地異や、疫病は、人間が正道を踏み外したのに対して、天が誡めを下したと考えられてきた。
 ユダヤキリスト教にとって共通の聖書――キリスト教が「旧約」と呼ぶ――は、ノアの洪水をこう描いている。「主は地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計らっているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。『わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する』」
 しかし、ノアの一家と、あらゆる動物が七番(つがい)づつ、箱舟に乗って助けられた。

立正安国論の真意:

 日蓮上人の『立正安国論』はよく知られているが、「殺生・偸(ちゅう)盗(とう)・邪淫・妄語・綺(き)語(ご)・両舌(りょうぜつ)・悪口(あつく)・貪欲・瞋(しん)恚(に)・邪見の十不善業・貪・瞋(じん)・痴は倍増し、衆生その父母を見ること獣のごとく」になると、「井戸・泉・池の水はことごとく枯れ、土地ことごとく不毛となり、裂けて丘や谷となり、山はみな燃えただれ、天竜雨を降らさず、苗はみな枯死し、はえたものみな枯れつきて、草もはえず、砂塵は雨とふり、天地くらく、日月あらわれず、四方みな干上がり、しばしばもろもろのあしき兆(きざし)あらわれる」と、警告している。
 私は日本社会が放逸になっていたのと、今回の天災のあいだに因果関係があるとは思わない。

日本国民は六十六年前敗戦から立ち上がった:

 日本国民は六十六年前に、敗戦による焦土から雄々しく立ち上がった。私は日本が敗戦の惨禍から、短期間で復興を成し遂げ、世界第二位の経済大国の地位を獲得したように、今回も天災を乗り越えて、この国を再建することを信じている。われわれには、それだけの力があるはずだ。
 私は今回の巨大地震を天の励ましとして、受け止めたいと思う。日本人は天災が多い国土に生きてきたから、そのたびに試されて鍛えられてきた。
 だが、物理面の復興だけであってはなるまい。精神的な再興につとめたい。この機会に、これまで日本を覆ってきた暗雲を払いたい。
 
菅総理は言葉こそ生命を知るべし:

 菅首相が今回の天災を「国難」であるといい、「命懸け」で取り組むと述べたが、言葉を軽く使うのに失望した。
 民主党政権こそ、国難をもたらしていたのではないか。天災はいくら規模が大きいとしても、日本が滅びかねない国難ではない。「国家的な試練」といってほしかった。日本のなかでもっとも安全な首相官邸にいて、生命を懸けるというのは、そらぞらしい。「最善を尽す」というべきだった。
 日本国民の依存症がもっとも目に余るのは、国防をアメリカに委ねていることだ。国防は国家の礎(いしずえ)である。一国の運命を、外国人の手に預けてはならない。日本は自立心を欠いた擬似国家だ。国家の体(てい)をなしていない。
 首相ははじめ五万人の自衛隊員を投入することを決めたが、十万人にまで増した。自民党政権時代から、毎年、予算を遣り繰りするために、防衛予算と自衛隊の定員を削減してきたから、今日では陸海空三自衛隊を合わせて、実質二十四万人しかいない。

新防衛計画の内容はさびしい限り:

 今年、菅内閣は新防衛計画の大綱(23大網)を決定したが、陸上自衛隊をさらに一千人減らすことを決めていた。
 自衛隊の本来の任務が、国防に任じることである。二十四万人のなかから十万人も災害派遣にまわしたら、国防が成り立たない。暴挙としかいえない。
 政府は予備自衛官も、災害派遣に動員することになった。だが、有事に召集できる予備兵力である予備自衛官は、陸上自衛隊が僅かに三万一千人でしかない。信じられないことだが、海上自衛隊が千百人、航空自衛隊が六百六十人しかいない。そのうえ、予備自衛官は、四十、五十代の者が多く、体力に制約がある。
 私は三自衛隊の定員として三十五万人は必要で、そのうえに少なくとも五十万人の予備自衛官を確保しなければならないと、主張してきた。

太平洋の日本列島は防波堤:

 九州の南端から与那国島までの距離は、千四百キロある。本州の長さが千五百キロだ。沖縄本島から与那国島まで配置されている、わが地上兵力といえば、沖縄本島陸上自衛隊が二千人いるだけで、あとは空家だ。宮古島航空自衛隊の戦闘能力のないレーダー基地があり、与那国島に少人数のレーダー監視隊を置くことになったが、戦闘部隊ではない。
 いま、巨大地震によって目を奪われているが、中国の脅威が減じることはない。沖縄本島に二万人近いアメリ海兵隊が駐留しているが、本来であれば、日米の地上兵力量が逆転しているべきだ。
 同盟関係は平時には抑止力として機能するものの、有事になれば、それぞれの国が国益に従って動くものである。アメリカ軍が戦術的な判断から、一時、日本を放棄することもありえよう。
 23防衛大綱はそれまでの「基盤的防衛力の整備」をやめて、「動的防衛力を整備」することに切り替え、沖縄から与那国島に至る南西諸島の防衛に重点を置こうというものだが、言葉の遊びでしかない。
 
防衛の基礎にたちかえれ:

 「基盤的防衛力」も、絵空事だった。ふだんは「必要最小限度」の防衛力を維持して、有事に対応できる防衛基盤を整備しようというものだった。所要防衛力なら論理的だが、「必要最小限の防衛力」も、言葉の遊びだった。ためしに、読者が夫人に「最要最小限度の生活費を渡す」といったら、叱られることだろう。家計の遣り繰りには、「所要」の生活費が必要だ。
 今回の「動的」抑止力は結構なことだが、そのためには、輸送機、輸送艦をはじめ、空中給油機を増さねばならない。防衛予算をさらに削っているから、具体的な裏付けをまったく欠いている。

国を護ることは防衛予算を護ること:

 陸上自衛隊は戦車をかつて一千二百輌を保有していたのが、六百輌まで減っていたのを、四百輌にまで削減することになっている。防衛省の担当者にたずねたら、「戦車の制能が向上しているから、大丈夫です」というが、もしかすると、相手の戦車のほうも性能が向上しているのではないか。火砲も六百門から四百門にまで、減らされる。
 外からの脅威が募っている時に、防衛を疎かにして、防衛予算を減らし続けているのでは、相手の侵略を誘うことになる。人災を招くことになる。
 日本列島は北から南まで、細長く連なっている。「動的防衛力」とか、「機動運用」といっても、少ない兵力で守れるものではとうていない。防衛予算を増すべきだ。