・真の改革とは、政治がこの惰眠から醒めて国家の自主防衛体制を確立することだ!

・中東の石油地帯からインド洋、マラッカ海峡ロンボク海峡南シナ海を経て台湾近海から沖縄県近海に至る海の航行の自由こそ我が国の生命線である。
・中国は、南シナ海アメリカの撤退による力の空白が生まれるや、直ちに躊躇することなく力を行使して、南沙、西沙を我がものとしている。
・中国は、着々と既成事実を積み重ねて、南沙、西沙を軍事基地化して、終に、南シナ海全域を「中国の海」と言い始めたのである。
・「南シナ海の航行の自由はアメリカの国益」というアメリカの姿勢転換は 西太平洋における中国とアメリカの対決を物語っている!
・南沙、西沙の南シナ海の各島嶼は、戦前、日本人が開拓した島嶼である。之が南シナ海の諸島が、南太平洋の島々のように、フランスやアメリカやイギリスという欧米のものにならなかった理由である。
・中国は南シナ海の南沙や西沙を奪ったように、東シナ海の北から奄美、沖縄、八重山そして尖閣という南北千キロの海域に浮かぶ我が国の島々、領土を奪おうとしている。
・真の改革とは、政治がこの惰眠から醒めて国家の自主防衛体制を確立することだ!


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
内憂外患、南シナ海  
西村眞悟
2011.06.17 Friday

 我が国内の状況は、目を覆うばかり。本通信の表題を内憂外患としたが、内は既に憂ではなく患であり、事態は、内患外患である。
 そして、この内患は外患と連動して起こっている。内患は外患に通じ、それにそそのかされて我が国内に存在している。
 つまり、患は菅であり菅は患である。先に、菅総理とその内閣は、福島第一原発から半径二十キロ圏内で人に見捨てられても自力で生きてきた牛や馬や豚を殺処分すると決めた。私はその時、その冷酷かつ無法な措置に怒り本通信で「殺すな」と書き込んだ。
 そこで、今言う。「殺処分」の対象は、そのけなげな牛や馬ではない、彼らを殺処分した患こそ「殺処分」の対象なのだ、と。
 内憂内患ばかりに関心を集中して、それと通じている外患に無関心であってはならない。南シナ海の風雲が、またおかしくなってきた。またとは、昨年に続いてという意味である。
 昨年は、中国漁船の我が尖閣周辺領海侵入で、東シナ海が緊張したと思われるかも知れないが、実は東シナ海の前に、何時も緊張しているのは南シナ海だ。この南シナ海の兆候に無関心なままで、東シナ海の我が領海という狭い海域のことだけを考えていてはならない。
 
 我が国は、海洋国家である。従って、シーレーンは我が国家の存立に係わる。つまり、中東の石油地帯からインド洋、マラッカ海峡ロンボク海峡南シナ海を経て台湾近海から沖縄県近海に至る海の航行の自由こそ我が国の生命線である。
 海洋国家とは何かといえば、この国家の存立に係わるシーレーンの航行の自由を守る力がある国のことを言う。このシーレーンを守るということを意識しない国は、単なる原住民が住んでいる島である。十九世紀に、外国から何か良いものはないかと探検に来られた太平洋に点在する島々と変わらない。
 従って、我が国の防衛白書も海洋国家のあるべき防衛という視点から見れば不十分である。何故なら、防衛白書では、中国海軍の動向に関して、東シナ海のことだけが図を示して説明されているのみで南シナ海の説明は為されていないからである。もちろん、白書にはシーレーンの図もない。
 我が国の民主党馬鹿内閣は、昨年九月、中国漁船の尖閣侵入で驚いて腰を抜かしたが、それ以前に、南シナ海には重大な国際的関心が注がれていた。中国が南シナ海を中国の領海にしようとしていたからである。
 それに対して、アメリカのゲーツ国防長官は昨年四月、シンガポールで「アメリカはアジアに帰ってきた」と演説して中国を牽制した。さらに昨年七月、アメリカのクリントン国務長官は、ハノイで「南シナ海の航行の自由はアメリカの国益である」とさらに直接的な対中牽制をしたのである。当然、中国は反発した。
 しかし、我が国が海洋国家なら、南シナ海シンガポールマラッカ海峡に関しては、アメリカではなく我が国こそ、「その海域の航行の自由は日本の国益である」と中国に対し重大な牽制をしなければならなかったのである。

 しかしながら、鳩山、菅と続いていた我が内閣は、全く南シナ海の事態に関心を示さなかった。
 それどころか、鳩山は「友愛の海」とか「東アジア共同体」という妄想を繰り返す痴呆状態で、続く菅は七月一日、さっそく中国人の観光ビザ取得条件を十倍緩和し、年収約八十万円の約一六〇〇万世帯、約四八〇〇万人(一世帯三人として)に観光客としての日本入国を許すことにした(年収八〇万円の世帯が、我が国に観光客として入国してくるのではないことくらい見え見えではないか。)。
 さらに菅は、八月十日に、中国共産党歴史観に迎合して「日韓併合百年記念謝罪談話」を発表し、八月十五日には靖国神社を無視して対中完全恭順姿勢を鮮明にした。
 中国は、この時、南シナ海で攻勢を強めながら我が国の鳩山、菅と続く国防に関する痴呆的無関心と対中迎合姿勢を観察した上で、翌九月、東シナ海で攻勢に出てきたのだ。
 即ち、尖閣領海侵犯と、船長逮捕に対する対日恫喝である。そして、菅が屈服。之が昨年の南シナ海から東シナ海への連動である。
 そして、今、やはり南シナ海の緊張が始まった。南沙、西沙という南シナ海島嶼を巡るベトナムと中国の軍事的緊張である。
 菅内閣は内患内閣なのであるから、昨年同様、この南シナ海の事態に反応し得ないだろう。従って、日本国民こそ強く反応しなくてはならない。南シナ海は、我が国のシーレーンだからである。
 もともと中国は、南シナ海で力の空白が生まれるや、直ちに躊躇することなく力を行使して、南沙、西沙を我がものとしている。力の空白とは全てアメリカの撤退によって生まれた。

 一九七二年、アメリカ軍がベトナムから撤退すると中国軍は直ちに西沙に駐留するベトナム軍を追い払って西沙は中国のものだと言った。
 一九九二年、アメリカ軍がフィリピンのスービック及びクラーク基地から撤退すると、中国軍は直ちに南沙を奪って中国のものと言った。

 以後、中国は、着々と既成事実を積み重ねて、南沙、西沙を軍事基地化して、終に、南シナ海全域を「中国の海」と言い始めたのである。之に対する、昨年のゲーツ国防長官とクリントン国務長官の反応と日本の鳩山、菅の無反応は既に述べた通りだ。

 また、中国から見れば、南シナ海東シナ海は共に左右に広がる「中国の海」にするつもりであるから、今までも之からも、南シナ海を固めれば必ず東シナ海に出てくる。
 従って、我が国が内患を抱えながらこの外患を克服して国家を守るためには、日本国民自身が各々明治維新以来の草莽となって、南シナ海関心を高めながら、この外患に通ずる国内の内患を除去する両面攻勢が必要となっている。
 来る七月二十三日午後、大阪に於いて「頑張れ日本全国行動委員会」による、日本再興!中国の覇権糾弾!の御堂筋「日の丸街頭デモ」を計画している。集合場所、時間、デモコースなどの詳細が決まり次第、またお知らせします。ふるって、ご参加ください。

 次に、現在の南シナ海におけるベトナムと中国の状況を概観しておきたい。
 五月二十六日、ベトナム中南部の岸から百二十キロ北東の南シナ海ベトナムの石油ガス探査船が敷設したケーブルを中国の巡視船が切断した。以後、両国は、互いに「口論」を続けてきた。
 六月九日、中国が太平洋で海軍の定期演習を行うと発表した。
 六月十二日、アメリカ海軍の空母ジョージ・ワシントンが西太平洋の警戒に当たるため、横須賀を出航した。
 六月十三日、ベトナム海軍は、ベトナム中部の沖合で実弾軍事演習を実施した。同日、台湾国防部は、南シナ海の状況監視と情報収集のためタスクフォースを設置したと発表。
 六月十五日、中国海軍が、南シナ海経由で大型巡視船をシンガポールに向けて派遣したと発表。またアメリカ軍とフィリピン軍、また、ベトナム軍とアメリカ軍が合同軍事演習をする予定だという。 
 以上のベトナム、フィリピンそして台湾の動きは、昨年アメリカが表明した、「アメリカはアジアに帰った」、「南シナ海の航行の自由はアメリカの国益」という姿勢転換と連動したものである。

 従って、この度の事態は、軍事大国中国とベトナムやフィリピンという小国の紛争に留まらず、西太平洋における中国とアメリカの対決を背景にもっている。
 ベトナムは、カムラン湾アメリカ海軍艦艇を招いて合同軍事演習をすると聞いているが、ベトナム戦争当時を思えば、中国の覇権主義帝国主義は斯くも東アジアの状況を変えたのかと思はざるを得ない。

 そこで、絶望的なのが菅の居座りである。

 アメリカ軍は横須賀や嘉手納などの沖縄基地から動くのである。その目指す海域は、我が国のシーレーンである。
 従って、この我が国の国益がかかった事態に対応して、我が国は他人事ではなく自国のこととして自衛隊を如何に運用するか決定を迫られている。
 これに反応しない、菅、患内閣とそれを作り出した民主党、さらにそれを作り出した戦後政治と一昨年の「生活第一選挙」を、痛恨の思いをもって、「亡国の面々」、「亡国の政治」そして「亡国の選挙」として認識しておかなくてはならない。

 なお、歴史に関し、日本人なら、知っておくべきことに触れたい。南沙、西沙の南シナ海の各島嶼は、戦前、日本人が開拓した島嶼である。之が南シナ海の諸島が、南太平洋の島々のように、フランスやアメリカやイギリスという欧米のものにならなかった理由である。
 また、ベトナムカムラン湾は、我が国の安全にとって重要な港である。明治三十八年、ロシアのバルチック艦隊はこのカムラン湾に停泊して燃料と食糧を補給し、ここから日本撃滅の為に出航したのだ。
 現在に於いても、このカムラン湾を中国海軍が支配すれば、我が国のシーレーンは危機に瀕する。

以上書き込んでから、さらに書き込みたいことが頭に湧いた。

 今朝、朝日新聞の報道したアメリカの外交文書の内容を知ったからである。 その外交文書は、クラスター弾禁止条約に我が国が参加してクラスター弾を放棄すれば在日米軍の能力が削減されアメリカの日本防衛に影響が出るという内容だという。

 我が国は一九九八年、対人地雷禁止条約に署名して対人地雷を廃棄した。次に我が国は、二〇一〇年、クラスター弾禁止条約にも署名してクラスター弾も放棄したのである。しかし私は、両条約の批准に反対した。

 その理由は、先日の時事通信にも書いたが、次の三つである。
アメリカも中国も北朝鮮もロシアも、両条約に反対して署名せず、地雷もクラスター弾も今も保有していること。
②我が国が地雷もクラスター弾も禁止すれば、地雷とクラスター弾をもつアメリカ軍ともたない自衛隊とが共同防衛行動を実施することができなくなる。
③また、中国や北朝鮮やロシアという敵が持っているものを、わざわざ放棄する馬鹿がどこにいるのか。
 
 対人地雷禁止条約批准の国会審議で答弁に立った政府は、地雷を廃棄してもクラスター弾があるから日本防衛に影響はないと答弁していた。そうであるのに、今度は、そのクラスター弾まで放棄したのである。これで我が国の海岸線は、有事になっても全く無防備のままだ。

 先日の拉致現場視察の報告として述べたように、敵の部隊は我が国に海から侵入するが、その敵が侵入する我が国の広大な海岸を守るのには地雷とクラスター弾がどうしても必要である。
 アメリカ軍は、地雷とクラスター弾を禁じられて我が国を防衛することは、アメリカ兵の犠牲を増大さすことになるので、日本防衛はイヤだと言うだろう。
 案の定、アメリカは公開された外交文書で、日本のクラスター弾廃止はアメリカの友邦防衛に影響を与える、有事の際、日本防衛のためにアメリカ軍戦闘機を日本に持ってこられない、と日本側に伝えている。

 この我が国のクラスター弾禁止と同じように、約十年前の我が国の地雷放棄の際も、アメリカは同じ懸念を我が国に伝えていたはずだ。その時、日本政府は、国会答弁と同じようにクラスター爆弾があるから影響ないとアメリカに弁解していたのだろう。

 さて、中国は、南シナ海でしてきたことを、これから東シナ海でしようとしている。つまり、南シナ海の南沙や西沙を奪ったように、東シナ海の北から奄美、沖縄、八重山そして尖閣という南北千キロの海域に浮かぶ我が国の島々、領土を奪おうとしている。
 その時、地雷、クラスター爆弾がなくてどうしてその領土を守るのか。
 また、九州から台湾までの海域に並ぶ島々を守るには、その東に広がる沖ノ鳥島を中心として時計回りに、房総沖、小笠原、北マリアナ諸島、グァム島、フィリピン東岸そして台湾東岸から尖閣諸島に至る広大な西太平洋を我が国の海域としておかねばならない。そうしなければ、奄美から八重山までの島々へ補給・輸送活動ができない。補給・輸送ができなければ島々は奪われる。

 そこで中国海軍は、先日も仕掛けてきたように、昨年の四月以来、度々第二列島線を突破して盛んにこの海域へ艦隊を繰り出してきているのだ。中国海軍は戦術通り着々と要点を突いてきている。そして、来年には空母を就航させるという。

 従って、我が国は、九州南岸から台湾までの間の海域に並ぶ領土を守るためには、北マリアナ諸島、グァム島以西の広大な西太平洋において我が国の補給路に脅威を与える外国の艦船を排除することができる能力を持つ海軍、空軍を保持しておかねばならない。

 しかし、このままでは年々驚異的な増強を続ける中国海軍に対抗できなくなる。ここにおいて、我が国政治が、陸海空自衛隊の速やかな大増強が為せるか否かが、我が国の存亡を分けることになる。

 以上、抹殺すべきは、菅、患、民主党内閣だけではなく、地雷廃棄、クラスター弾廃棄に典型的に見られる戦後政治の惰性そのものである。

 真の改革とは、政治がこの惰眠から醒めて国家の自主防衛体制を確立することである。