・菅政権は賠償の話は『やる』といって遅々として進まない。事故の本質から逃れるようにしているのは本当に不愉快だ!

・事故発生の瞬間、浪江農場にいた約330頭の肉用牛は、商品としての価値がゼロになった。ここにきて、放射性セシウムを含む稲わらを牛が食べた問題も出た。
・「『あきらめる』の意味がわかると、急に力が抜けてしまった。牛飼いとしてたくさんの施設を造ってきたし、さらに大きなものも造ろうとしていた。すべて無意味になったんだ」
・「『経済的価値がない牛をなんで飼い続けるの?』というのが一般的な見方だろうな。しかし、経済的価値がなくなったという理由で牛が殺処分されるのは割り切れない。餓死はもっとさせたくない」
・被曝(ひばく)した牛には、原発事故の「生き証人」になってほしい!
・「浪江では米作りもできないだろう。仮に国が安全だと言っても、誰が買ってくれるだろうか。そういう町に戻る意味があるのだろうか。というか、帰りたくても帰れないのだろう。(1986年に原発事故が起きた)今のチェルノブイリは、25年後の浪江じゃないかって」
・菅政権は賠償の話は『やる』といって遅々として進まない。事故の本質から逃れるようにしているのは本当に不愉快だ!
菅政権は福島のために何をしてきたか、今何をなすべきか!

〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
菅政権は 福島に何をしてきたか(SANKEI EXPRESS)
2011.7.23 01:05

 東日本大震災関連の連載を執筆するため先日、東北へ取材に出かけた。岩手、宮城両県はわずかながらも復興の足音が聞こえそうなところまできたが、東京電力福島第1原発を抱える福島県は事態が深刻であると実感した。
 
「あきらめる」の文字が:
 福島県二本松市に本社を置く「エム牧場」は、自前の農場や提携農場を使った飼育の分業と飼料のコストカットで経営に成功したと紹介されてきた。
 ところが、浪江町南相馬市にまたがる浪江農場に、14キロ先にある第1原発からの放射能が直撃した。事故発生の瞬間、浪江農場にいた約330頭の肉用牛は、商品としての価値がゼロになった。ここにきて、放射性セシウムを含む稲わらを牛が食べた問題も出た。
 村田淳社長(56)と浪江農場の吉沢正己場長(57)に話を聞いたのは、そういう状況下だった。
 吉沢さんは、浪江農場で作業中、第1原発からの2度にわたる爆発音を聞いた。双眼鏡を通して白い噴煙も確認した。「あきらめる」という文字が頭をよぎったという。
 「『あきらめる』の意味がわかると、急に力が抜けてしまった。牛飼いとしてたくさんの施設を造ってきたし、さらに大きなものも造ろうとしていた。すべて無意味になったんだ」と振り返る。
 吉沢さんは、それでも1週間居続けたが、村田さんの指示で浪江農場を離れた。脱力感は東京電力や政府への怒りとなり、その後しばらくは自家用車で上京し、抗議活動を行った。
 しかし、3月は野草がまだ生えない時期だ。放置すると牛が餓死する。餌やりを続けようと、村田さんらとともに、しばらくは警察の検問を振り切ったり、裏道を通ったりして農場に通った。
 警戒区域内の牛を殺処分にするという政府の方針に、村田さんらは激しく抵抗している。
 「『経済的価値がない牛をなんで飼い続けるの?』というのが一般的な見方だろうな。しかし、経済的価値がなくなったという理由で牛が殺処分されるのは割り切れない。餓死はもっとさせたくない」(村田さん)
 「近所の酪農家の牛は全滅した。見殺しにしてはいけないと、飼い続けることを決意した」(吉沢さん)
 村田さんはさらに、被曝(ひばく)した牛には、原発事故の「生き証人」になってほしいという。被曝した牛を研究目的に生かそうとする「ファーム・サンクチュアリ(希望の牧場)構想」に協力する方針だ。
 
「本当に不愉快だ」:
 村田さんの自宅に避難している吉沢さんの浪江町への思いは、悲観論が支配している。
 「浪江では米作りもできないだろう。仮に国が安全だと言っても、誰が買ってくれるだろうか。そういう町に戻る意味があるのだろうか。というか、帰りたくても帰れないのだろう。(1986年に原発事故が起きた)今のチェルノブイリは、25年後の浪江じゃないかって」

 村田さんも「常磐自動車道の工事は放置されたまま。JR常磐線も復活しそうにない。福島全体が産業として成り立たなくなるかもしれない」と厳しい。
 菅直人首相(64)の「脱原発依存」にも、村田さんは厳しい。
 「『個人的な思い』なんでしょ。で、賠償の話は『やる』といって進まない。事故の本質から逃れるようにしているのは本当に不愉快だ」
 村田さんはまた、牛から放射性セシウムが検出された問題に「いかにも出荷した農家が悪いような報道がされているが、ばか言っちゃいけない。牛や農家こそ被害者なんだよ」と訴えた。さらに「東京湾にメガフロートを浮かせて、そこに原発を造ったらどうか。事故になれば遠くへ移せば済むでしょう」とも。
 居座り続ける菅首相に期待や信頼の声はもはやない。ただ、報道する側も、問題の本質を伝えてきたかと突きつけられた思いがした。福島のために何をしてきたか、今何をなすべきか、と問い続けなければならない。
 この取材の後の16日、郡山市で開かれた菅首相と第1原発周辺市町村の首長らとの意見交換会に立ち寄った。
 終了後、首相は記者団に「お互いのコミュニケーションが深まった」と成果を強調したが、首長らは政府の対応への不満や、首相の「個人的な思い」への批判を口にした。首相はやはり「トンチンカン」なのか。意図的に事実を曲げて「成果」を言ったのならば、あまりにもせこい。(政治部 今堀守通)