・一時的な感情の吐露だけではなく、われわれが将来に向けてより賢明になるためにも、こうした事件や災害を「なぜこんなことになったのか?」「記録する精神」を改めて学ぶべきだ!

・われわれの「記録する精神」がなぜこれほど弱く、その記録がなぜ一般国民への情報として流れないのか。日本人が(ユダヤ人とは異なり)「記録する精神」ではなく、潔く「忘れ去る精神」を高く評価するからではなかろうか。
・「なぜこんなことになったのか?」、その原因や理由を(俗説に惑わされず)究明する米国人学者たちの姿勢である。
・もし貧困と不十分な教育がテロリズムの原因だとすると、世界はテロリストで溢(あふ)れているはずではないか!
・多くのテロリストは、生きる目的を失った貧しい人々ではなく、むしろ、そのためなら命を投げ出してもいいと考えるほどの政治目標をもち、その達成に強烈な関心を懐(いだ)いている人たちではないか!
・一時的な感情の吐露だけではなく、われわれが将来に向けてより賢明になるためにも、こうした事件や災害を「なぜこんなことになったのか?」「記録する精神」を改めて学ぶべきだ!




〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
≪なぜ「記録する精神」は弱いのか≫
国際日本文化研究センター所長・猪木武徳
2011.9.19 03:09

 従来、戦争は武力を用いた国家間の紛争を意味した。しかしこの通念は2001年9月11日の米中枢同時テロ事件により再定義を迫られることになる。「国なき民間武装組織」によって超大国の政治・経済の心臓部が外部から想像を絶する形の攻撃を受けたからだ。
 この事件に対する国民感情をテコとしつつ、ブッシュ前政権は自国防衛のための「予防的、あるいは先制の攻撃」という形の軍事展開を始めた。
 大量破壊兵器保持疑惑を理由とするイラクへの戦争は、その後の国際政治を大きくゆり動かす。英国のブレア首相が退陣に追い込まれたのも、イラク戦争に同調する姿勢を鮮明にしたことに原因があったことは明らかであろう。

≪米特有の9・11現象、学問にも≫:
 実は学問、特に社会科学の分野でも、この事件を契機に米国特有の現象が表れたことに注目したい。われわれが学ぶべき例をふたつほど挙げておこう。

 ひとつは、米国の一部の学者たちが発揮した、事件の原因と経緯の真実を「知り」、「記録する」という精神である。9/11委員会(9/11 Commission)、自然科学系学者と人文社会科学系の学者たちが共同で創刊したJournal of 9/11 Studiesにおける専門的な論究、「9/11の真実と正義を求める研究者」の活動などはその例である。もちろんこうした活動には政治的イデオロギーが入り込む。しかし「真理の追求」にのみ価値があるという点を見失わなければ、その研究で明らかになる真実は必ず将来役に立つはずだ。
 こうした米国の研究者の姿勢は、日本とはかなり異なるように思う。筆者は1923年の関東大震災の記録を調べようとしたとき、震災から50年後に書かれた吉村昭関東大震災』が最も信頼しうる記録だということを知った。
 この「記録する精神」の薄弱さについて若い研究者と話していたら、日本防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」が2006年からまとめている『1923関東大震災』が吉村以来の「正史」とも呼ぶべき報告書だと教えられた。今ではネットで読むことができるが、作成直後は20部ほどしか印刷されなかったと聞く。

≪日本は忘れ去る精神を評価?≫
 われわれの「記録する精神」がなぜこれほど弱く、その記録がなぜ一般国民への情報として流れないのか。日本人が(ユダヤ人とは異なり)「記録する精神」ではなく、潔く「忘れ去る精神」を高く評価するからではなかろうか。
 もうひとつは「なぜこんなことになったのか」、その原因や理由を(俗説に惑わされず)究明する米国人学者たちの姿勢である。
 9・11事件以降、米国をはじめ世界の多くの政治家は、「経済的に貧しく教育を十分受けていない人々が、極端な考えに囚(とら)われ、テロに走る」と繰り返し発言してきた。それに対して経済学者アラン・クルーガーは改めて、「何がテロリストを生み出すのか」という問いに正面から向き合った。
 世界人口の半分は1日2ドル以下の生活をし、10億を上回る人々が無教育、ないしは小学校教育しか受けておらず、7億8500万の成人が読み書きができないのが現実だ。もし貧困と不十分な教育がテロリズムの原因だとすると、世界はテロリストで溢(あふ)れているはずではないかと。
 クルーガーは世界各地域からテロ関連の膨大なデータを収集して次のような事実を見いだした。

≪テロリスト像の通説覆す研究≫:
 テロリストは、母国の人口全体からみて教育水準が高く、貧困家庭の出身者は少ない。国際テロリストは、市民的自由が抑圧され政治的権利が十分与えられていない国の出身者が多い。テロリストの攻撃対象となるのは、市民的自由と政治的権利を享受している裕福な国の可能性が高い。所得や識字率は、その国出身の国際テロリストの人数とは無関係である等々。
 多くのテロリストは、生きる目的を失った貧しい人々ではなく、むしろ、そのためなら命を投げ出してもいいと考えるほどの政治目標をもち、その達成に強烈な関心を懐(いだ)いている人たちではないか、とクルーガーは推理している。
 単に繰り返し言われてきたというだけで、真実であるかのようにみなされる「通説」を疑い、新しい問題点と分析の枠組みを提示する研究者たちの姿勢にはまことに感心する。

 9・11のあと、日本の関東大震災の直後のように、流言が横行し、社会的少数派グループへの差別が強まったこともこうした研究で明らかにされている。
 世界貿易センタービルの残骸に埋もれた1000人を超す犠牲者の遺体は、身元が判別不能のまま長く放置されていたと聞く。災害や事件で大切な人を失った人々には、忘れようにも忘れられない事実を、世間は無邪気にも忘れ去るものだ。一時的な感情の吐露だけではなく、われわれが将来に向けてより賢明になるためにも、こうした事件や災害を「記録する精神」を改めて学ぶべきであろう。(いのき たけのり)