・「ダプチ刑務所では、腎臓を殴るのが囚人を手っ取り早く苦しめるのによい方法だとして、囚人の多くが殴られた」

・1994年、チベットで中国政府への抗議活動に参加して、逮捕され拷問された
ツェリンの証言が中国政府の狂っている姿を現している。
・「チベットはかつては自由な独立国家でした。しかし、中国の侵略を受け、今のような地獄の状況になってしまっている。  中国人一般市民の中にはいい人もいますが、中国政府は本当に狂っている。」
・「 私はチベットで最も悪名高いダプチ刑務所に入れられました。その当時、ダプチ刑務所には600人の政治犯がいました。12人が1つの房に入れられました。食事は、朝晩の2回、朝はモモ(団子のようなもので、通常、中に野菜や肉を入れる。)1つ、夜はモモ2つでした。モモの中身はありませんでした。」
・「ダプチ刑務所では、腎臓を殴るのが囚人を手っ取り早く苦しめるのによい方法だとして、囚人の多くが殴られた」


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
2011年05月26日(木) 06時06分03秒
不当に逮捕・拷問されたチベット人へのインタビュー
テーマ:チベット人の証言

私の名前はツェリンといいます。
1994年、私はチベットで中国政府への抗議活動に参加して、逮捕されました。

1993年、私はラサのジョカン寺の僧侶になろうとしていました。しかし、当時、ジョカン寺で仏教の修行を行うことは中国政府により禁止されていました。また、この政策に意を唱えることも禁じられていました。
これに抗議して、1994年、私は仲間と抗議活動を行ったのです。平和的なデモでした。デモのスローガンは、「チベットに自由を!」、「チベットに人権を!」、「ダライ・ラマ法王に長寿を!」といったものでした。

デモを開始してから5分ほどして、中国警察が約30人やって来て、私たちは全員逮捕されました。みな後ろ手に手錠をかけられました。そして、拘留センターに連れて行かれ、尋問を受けました。
主な尋問の内容は、「デモの首謀者は誰だ?」、「デモで使ったチベット国旗は誰がつくったのだ?」というものでした。警察は、私たちを全裸にして、警棒や電気棒(訳注:高圧電流を発生する棒)で殴り、尋問しました。

数ヶ月尋問が続いた後、裁判になりました。裁判は非公開で、誰も傍聴することはできませんでした。そして、私は懲役6年の判決を受けました。

私はチベットで最も悪名高いダプチ刑務所に入れられました。その当時、ダプチ刑務所には600人の政治犯がいました。12人が1つの房に入れられました。食事は、朝晩の2回、朝はモモ(訳注:代表的なチベット料理。団子のようなもので、通常、中に野菜や肉を入れる。)1つ、夜はモモ2つでした。モモの中身はありませんでした。昼間は野菜畑で働かされました。ノルマが達成できなかったときは、激しく殴られました。また、尋問も行われました。しばしば拷問も伴いました。例えば、冬、地面に水をまき、凍った後、その上に立たされたりしました。
 1997年、同胞が1人病気で亡くなりました。病気にもかかわらず、適切な治療が受けられなかったのです。刑務所では、どんな症状であれ、痛み止めの薬しか出されません。私も殴られた傷がひどくなったことがありましたが、「お前たちの後ろにはダライがいるのだろう?  ダライが祈ればお前たちの傷はよくなるのだろう?」などと言われ、痛み止めしかもらえませんでした。    刑務所では腎臓を悪くする人が大勢います。腎臓を殴るのが囚人を手っ取り早く苦しめるのによい方法だからです。
 また、ダプチ刑務所では、囚人の血が大量に抜かれます。私は、「なぜ血を抜くのだ?」と監守に尋ねたところ、監守は「食べ物を毎日与えている見返りに血をもらっているのだ。」と言いました。
 1998年5月1日、このような扱いに抗議して、刑務所内の囚人全員が抗議活動を起こしました。刑務所の環境の改善、刑務所に掲げてある中国国旗を降ろすよう求めたのです。しかし、警察官の暴行により、抗議は鎮圧されました。私の友人の1人は警察官に激しく殴られ、5月6日に亡くなりました。この後、しばらく、自分の房から外に出ることが認められなくなりました。トイレも自分の房ですることになったため、房はひどい匂いで充満しました。
 私は刑務所に6年間いましたが、その間、計8人の同胞を亡くしました。2人は治療が受けられず病死、6人は暴行死でした。
 2000年、私は刑期を終えて出所しましたが、3年間は政治活動に関与しないことという条件付きでした。この間、仕事に就くのは非常に難しかったです。就職が決まると、中国警察が雇い主のところに行き、「こいつを雇ったら、お前の職場を潰す。」と脅迫したのです。  結局、私は自分の故郷で小さなレストランを始めました。  しかし、中国警察がやって来て、「こんな店を出す金がどこにあったのだ?」と言って、店を破壊したのです。

私はこのような生活に耐えられず、2005年に亡命しました。

チベットはかつては自由な独立国家でした。しかし、中国の侵略を受け、今のような状況になってしまっているのです。  中国人一般市民の中にはいい人もいますが、中国政府は狂っています。

中国の情報統制は目をみはるものがあります。しかし、情報統制の中でこのようなことが実際に起きているのです。少しでも多くの人にこういった問題を知ってもらうことが問題解決の第一歩だと思います。