日本国本来の正々堂々の基本を回復して国家の再興を果たさねばならない。

山鹿素行は、「中朝事実」を書き残し、「中つ国」は支那ではなく万世一系天皇を戴く我が日本であると述べた。
乃木希典大将は、崩御された明治天皇の跡を追うために殉死する前日、皇太子となられた後の昭和天皇に、この山鹿素行の「中朝事実」を読まれるようにと涙を湛えながら渡している。
山鹿素行が用いた兵法は「孫子」ではなく、孫子との対比において、天地自然に存在する生命に武の道があるとする日本の兵法「闘戦経」である。
・「闘戦経」は、我が武道は万物の根源であるから奇策、謀略を主流とする「孫子」を超えるものであり、正々堂々の正攻法を基本とする。
・戦後体制は、我が国から国家存続(サバイバル)のための国家戦略を奪う体制なのだ。
・戦後から脱却し、戦前と戦後の連続性を取り戻して歴史を回復することである。明治維新は国家のサバイバルのために幕藩体制から脱却して近代国家に踏み出した。
日本国本来の正々堂々の基本を回復して国家の再興を果たさねばならない。






〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
サバイバルの為の国家戦略
西村眞悟
2011.09.27 Tuesday

 昨日は、東京の葛西臨海公園内のホテルシーサイド江戸川で、西村塾の秋期勉強会が開かれて、陸上自衛隊元中部方面総監、陸将の松島悠佐閣下そして前仙台市長の梅原克彦氏に続いて講師役を務めてきた。
 この西村塾というのは、私の名をレッテルとして付けているだけで、全て運営は若い人がしており、今回は初めての秋期勉強会となった。普段は、富士山に登ったり、自衛隊体験入隊したり、靖国神社に集まって酒を飲んだりしている。
 来たる十月三十日は、赤穂浪士が討ち入った本所吉良邸から浅野内匠頭が眠る高輪泉岳寺までの十二キロを歩く計画をしている。吉良上野介の首をぶら下げて歩くわけではないから、郷里が岡崎や吉良の人々も参加していただきたい。
 ところで、昨日、勉強会終了後に野外でバーベキューをしながら、この計画に関して塾の仲間と話した。私の問いかけは、吉良邸討ち入りに際して、大石内蔵助は山鹿流の陣太鼓を打ったのか否か。
 打ったという説と、打てば相手が気付くので打たなかったという説がある。なるほど、打てば「奇襲」にならなず、討ち入りは失敗する可能性がある。
 しかし、私は、大石は山鹿流の陣太鼓を打って討ち入りを命じたと確信している。その理由は、淺野家が勤皇の志あつく山鹿素行を招聘して藩として兵学を学んだことである。そして、この山鹿素行は、「中朝事実」を書き残し、「中つ国」は支那ではなく万世一系天皇を戴く我が日本であると述べた。
 後年、学習院院長として学習院初等科に通われる後の昭和天皇の養育にあたった乃木希典大将は、崩御された明治天皇の跡を追うために殉死する前日、皇太子となられた後の昭和天皇に、この山鹿素行の「中朝事実」を読まれるようにと涙を湛えながら渡している。

 そこで、この支那ではなく我が国こそ「中つ国」であるとする山鹿素行兵学は、支那の「孫子」を基礎としたものであろうか。孫子であれば、「兵は詭道なり」という孫子の奇策中心の兵法どおり、大石内蔵助は「奇襲」に徹して陣太鼓など打たずに討ち入るであろう。
 しかし、山鹿素行が用いた兵法は「孫子」ではなく、孫子との対比において、天地自然に存在する生命に武の道があるとする日本の兵法「闘戦経」である。
 「闘戦経」は、我が武道は万物の根源であるから奇策、謀略を主流とする「孫子」を超えるものであり、正々堂々の正攻法を基本とすると主張する。

 「孫子」は遣唐使となった吉備真備(六九二年〜七七五年)が我が国に持ち帰ったと伝えられる。この「孫子」の奇策を中心とする考えに対して、我が国には古来から自然と共に生きる正々堂々の兵法があり、この正々堂々の兵法こそ国を保たしめると説く「戦闘経」が大江維時(八八八年〜九六三年)か大江匡房(一〇四二年〜千百十一年)により書き残された。

 従って、「中朝事実」を遺した山鹿素行兵学は、「孫子」ではなく「闘戦経」である。よって、山鹿流を学んだ大石内蔵助は、正々堂々の兵法を以て、まさに山鹿流陣太鼓を打ち鳴らして吉良邸に討ち入ったのである。
 この艱難辛苦の果ての陣太鼓を打ち鳴らす正々堂々性がなければ、忠臣蔵は国民的叙事詩にはならない。思えば、高倉健さんの昭和残侠伝シリーズも忍耐を重ねた後の正々堂々の戦いだったから人気を博したのだ。日本国民の国民性とはこういうものだ。

 これが、支那や近頃の我が国政治のように、「刺客」を放って闇で吉良上野介を殺していたならば、決して「忠臣蔵」の物語にはならなかっただろう。
 勉強会が終わってからのバーベキューでの話しが先行したが、その前の勉強会では次の話をした。まず、「戦略、戦術、戦闘の区別」をした上で、現在の政治を分析し評価すべきである。この区別が出来ていなければ、現在政治の欠落部分が分からない。
 そこで「国家存続(サバイバル)のための戦略、戦術、戦闘」を具体的に言えば、
①戦略とは、
 何処の国と戦争するかを決めることである。
②戦術とは、戦略が確定した上で、
 何処で如何に戦うかを決めることである。
③戦闘とは、戦術が確定した上で、
 槍か刀か銃か機関銃かミサイルか、いずれで敵を殲滅するかを決めることである。 
 ①戦略が決まらなければ、②戦術が決まらないし③の戦闘もできない。従って、まず、国家は①の戦略を確定しておかねばならない。そして、その確定の役割は政治にある。
 しかし、戦後政治の悪弊が極まった今の民主党内閣は、この戦略を決めることが出来ない。出来ないどころか、反対に政治が、昨年九月のように、「利敵行動」を繰り返している。
 さらに、今の内閣は、無能、臆病、傀儡なのだから、「戦略」が決められないというなら、そこで、ぼーっとしておればまだましなものを、②戦術の領域や③戦闘の領域には嬉しそうに介入する。これでは、戦術も戦闘も崩壊する。

 従って、我が国の、国家を滅ぼす最大の癌は、今の民主党内閣である。とはいえ、だから民主党から自民党に戻せば、良いかと言えばそうではない。理由は、この両党はともに「戦後体制」の申し子だからである。従って、共に、戦略を確定することは出来ない。つまり、戦後という体制は、我が国から国家存続(サバイバル)のための国家戦略を奪う体制なのだ。

 そこで、国家の存続即ちサバイバルの為には何が必要か。
 それは戦後から脱却し、戦前と戦後の連続性を取り戻して歴史を回復することである。明治維新は国家のサバイバルのために幕藩体制から脱却して近代国家に踏み出した。

 この度も、国家のサバイバルの為に、戦後体制から脱却して本来の日本を再興しなければならない。本来の日本とは、戦前と戦後を連続した国家として把握する日本である。

 具体的に言えば、大日本帝国憲法教育勅語を蘇らせ、昭和十六年十二月の「開戦の詔書」から歴史の教訓を得ることの出来る国家である。

 そして、国家も兵法も国民の生き方も、我が国に古来から流れる天地自然とともにある正々堂々の伝統に基づくものであらねばならず、支那の基本とする詭道を弄してはならない。
 
 今の民主党政治は、詭道によって国民を騙して政権にありついた支那の亜流、傀儡そして手下が牛耳る政治である。この支那的政治を排し、我が国本来の正々堂々の基本を回復して国家の再興を果たさねばならない。