張成沢(チャン・ソンテク)・金雪松(キム・ソルソン)・金正男(キム・ジョンナム)の3氏が、親族同士で水面下で本格的な権力闘争を始めた。

張成沢は遊び人だったので金日成主席から疎まれ、それをみた金正日総書記が取りなして地方から中央に復帰したいきさつがある。
・金総書記の長女・金雪松は、金正日総書記の身辺護衛や日程などを管理していたといわれており、現在も労働党の宣伝部門で重要な役割を担っている。
金正日死後の中で金正男が復活することを金正恩の支持グループは一番嫌っている。 金正男は、08年に金総書記が倒れた際には、医師を呼び、金総書記に代わって外国の賓客の応対に当たるなど、少しずつ信頼回復に努めていた。
北朝鮮の次期指導者・金正恩キム・ジョンウン)氏を間に挟み、張成沢チャン・ソンテク)・金雪松(キム・ソルソン)・金正男キム・ジョンナム)の3氏が、親族同士で本格的な権力闘争を始めた。

〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
北新体制:「親族間で権力闘争始まる」と英紙  
古沢襄
2011.12.23 Friday
 英紙「デイリー・テレグラフ」が北朝鮮でロイヤル・ファミリーの親族同士で本格的な権力闘争を始めたと伝えている。デイリー・テレグラフは英国で639,578部を発刊している最大紙。
 それによると金正日総書記の三男・金正恩には、張成沢チャン・ソンテク)が後ろ盾になった。 金正日の妹である金敬姫の夫。  新しい軍指導者・李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長と親しい関係にある。  金正恩と直接親しいのは、金英徹(キム・ヨンチョル)軍偵察総局長といわれているが、いずれにしても金正恩張成沢ラインは軍部の新指導者の支持を得ているという見方が有力である。
 しかし張成沢は遊び人だったので金日成主席から疎まれ、それをみた金正日総書記が取りなして地方から中央に復帰したいきさつがある。  金正日の妹である金敬姫とは大学の同級生だったのがきっかけで結婚したが、また遊び癖が出て、夫婦仲が悪くなり、激怒した金正日によって1978年から2年間、ガンソン製鉄所で思想化教育を受けている。
 またデイリー・テレグラフ紙はこれまで世間にあまり知られていなかった金総書記の長女・金雪松(キム・ソルソン)を、権力闘争の主役の一人として紹介した。 金雪松は、金正日総書記の身辺護衛や日程などを管理していたといわれており、現在も労働党の宣伝部門で重要な役割を担っている。
 二十八歳という若い金正恩が、経験不足から信望を失う事態となれば、金雪松を中心とした新しい権力体制が生まれることを予測している。   金正恩を囲む支持勢力からはじき飛ばされたグループが動く可能性を予測するわけである。
 その一方で中国は金正恩体制が崩壊する場合には、長男の金正男キム・ジョンナム)を最後のカードとして温存しているといわれる。   2001年に偽造パスポートで日本に入国しようとして拘束されたことがきっかけとなり、金正日総書記から見放された金正男だが、儒教国家でもある北朝鮮には長子相続の伝統がある。   金正日死後の中で金正男が復活することを金正恩の支持グループは一番嫌っている。  金正日総書記の葬儀に金正男を呼ばないといわれている。

北朝鮮の次期指導者・金正恩キム・ジョンウン)氏を間に挟み、張成沢チャン・ソンテク)・金雪松(キム・ソルソン)・金正男キム・ジョンナム)の3氏が、親族同士で本格的な権力闘争を始めたという分析が出ている。
 英国の日刊紙『デーリーテレグラフ』は20日金正日キム・ジョンイル)死亡、3派間で権力闘争始まる」と題する記事で、正恩氏の経験不足により、正恩氏周辺の老練なやり手たちが立場を強化する余地が生まれたと報じた。  ここでいう3派とは、正恩氏のおじで国防委員会の副委員長を務める張成沢氏(65)、異母兄の金正男氏(40)、同じく異母姉の金雪松氏(36)のことを指す。  いわゆる「宮廷闘争」になるわけだ。
 英国チャタム・ハウス(王立国際問題研究所)のアジア担当首席研究員、ケリー・ブラウン氏は「全知全能の権力を握ると予想されていた金正恩氏の立場からすると、このような状況は、父の金正日総書記も望んでいなかった継承構図」と語った。
 現在最も有利な位置にあるのは、国防委員会の副委員長を務める張成沢氏だ。   ブラウン研究員は「金正恩政権の初期には、張成沢氏が摂政を務めるというコンセンサスが形成されている」と語った。
 続いてテレグラフ紙は、これまで世間にあまり知られていなかった金総書記の長女・金雪松氏を、権力闘争の主役の一人として紹介した。  金雪松氏は、金総書記の身辺護衛や日程などを管理していたといわれており、現在も労働党の宣伝部門で重要な役割を担っている。
 金総書記の長男・金正男氏も、正恩氏の下で影響力強化に乗り出すものとみられる。  正男氏は、2001年に偽造パスポートで日本に入国しようとして拘束されたことがきっかけとなり、金総書記から見放されたといわれている。  しかし08年に金総書記が倒れた際には、医師を呼び、金総書記に代わって外国の賓客の応対に当たるなど、少しずつ信頼回復に努めていたと評価されている。(朝鮮日報