「浩然長存」が混迷を深める2012年「日本の政権」に蘇るだろうか?

・平成二十四年(西暦2012年)は世界大乱の兆しがあり、世界はおおいに乱れ、経済は陥没的大揺れとなって波瀾万丈となりそうです。  そういう気配濃厚です。
・日本はながい歴史のなかで、世が乱れ、戦国の世を閲し、ときおり正気が復活してまともな精神が政治を導く時代が出現します。  正気はふるく宋代の政治家、文天?が歌い上げ、幕末には藤田東胡が愛引し、吉田松陰がもっとも重視しました。
・弟子が孟子に問いました。「浩然の気とはいかなる意味か?」。
 こたえて孟子曰く。「それは簡単に説明できるものではない」。なにごとかをなそうとすると、地から沸き上がるようなエネルギーを体内に感じることがある。  足のつま先からどぉーっと怒濤のように身体の中を吹き抜ける。
孫文がよく揮毫した熟語に、「浩然長存」という言葉があります。
 中国人の知識人が大切にする四字熟語で、かの李登輝閣下も山口県周南市の児玉神社から揮毫を求められた折、「浩然長存」と大書し、この石碑が同社境内に建立されています。  浩然たる気が長く存する。


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
平成二十四年(西暦2012年)は世界大乱の兆し  
宮崎正弘
2012.01.01 Sunday
新連載を開始します!『正気が失われた日本』
 今年前半の小誌では拙論「正気が失われた日本」を随時(週に一回ていど)連載します。  ことし平成二十四年(西暦2012年)は世界大乱の兆しがあり、世界はおおいに乱れ、経済は陥没的大揺れとなって波瀾万丈となりそうです。  そういう気配濃厚です。
 正気は狂気の対語と考えられがちですが、そうではない。  「正気」(せいき)と呼び、「しょうき」と呼ぶのは狭義です。  よく批評文に「正気の沙汰か」などとあるのは二義的意味を広義に通用させて使用しているにすぎません。
 ひろく気の世界では「正気」の対語は「邪気」です。「破邪顕正」は、このことから産まれた日本的熟語です。
 日本はながい歴史のなかで、世が乱れ、戦国の世を閲し、ときおり正気が復活してまともな精神が政治を導く時代が出現します。  正気はふるく宋代の政治家、文天?が歌い上げ、幕末には藤田東胡が愛引し、吉田松陰がもっとも重視しました。
 坂の上の雲にでてくる広瀬武夫も私製の「正気歌」を残しています。  信長、秀吉の狂気とも言える独裁に対して「正気」は建国の理念を追求する清廉なまつりごとを求めました。

正気はなぜ蘇ったのか?
 アイバン・モリスが古典的名著『高貴の敗北』のなかで列挙したのはヤマトタケル聖徳太子和気清麻呂、楠正成、大塩平八郎吉田松陰西郷隆盛乃木希典らで、この列に三島由紀夫を加えました。
 林房雄は、あの三島諫死事件直後のテレビで「正気の狂気」と比喩したことをおもいだします。  これら「正気」を実践した英雄たちの列伝を改めて追求しながらも、本連載では「正気」の「気」のほうの探求も試みたいと思います。
「気」は古く孔子の『論語』にあります。
 ――気をひそめて息をせざる
 ――若きときは血気いまだ定まらず
 それこそ日本語にある『気』は多彩であり、意味が深く、簡単に説明しうるものではありません。(前書きに代えて)  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
連載第一回『正気が失われた日本』(1)
 孟子が残した言葉も夥しいのですが、「浩然の気を養う」という有名な言葉があり、たとえば『浩然の気を養うために海を見に行く』という表現があります。
弟子が孟子に問いました。
    「浩然の気とはいかなる意味か?」。
 こたえて孟子曰く。「それは簡単に説明できるものではない」。なにごとかをなそうとすると、地から沸き上がるようなエネルギーを体内に感じることがある。
 足のつま先からどぉーっと怒濤のように身体の中を吹き抜ける。 「気」はそもそも可視できない、流動的なものであり、とらえどころがないから抽象的である。  ラテン語はSPIRITUS(スピリットの語源、サンスクリット語ではプラーナといわれた。
 孫文がよく揮毫した熟語に、「浩然長存」という言葉があります。
 中国人の知識人が大切にする四字熟語で、かの李登輝閣下も山口県周南市の児玉神社から揮毫を求められた折、「浩然長存」と大書し、この石碑が同社境内に建立されています。
 わたしは岩国から周南市に連続講演旅行で行った折に、早朝宿舎をでて、散歩がてら児玉神社を訪ね、カメラに収めてきましたが、浩然たる気が長く存するという字句の光嚴なる様に、一種の霊気を感じ取りました。
 児玉神社はいうまでもなく日露戦争二百三高地を落とした立役者のひとり、児玉源太郎を祀っています。
 この『気』は日常生活でどのように用いられているか、考えて見ました。「気がつく」「気になる」「「気を揉む」「気取る」とか、あるいは「気があう」「気になる」「気を高める」「気が置けない」などすぐに思いつく。「気が気でない」というのも言い得て妙です。
 『乗り気です』「素っ気ない」という表現もあれば『気脈を通じる』と言う。「気が利かないやつ」「気の付く女性」「気が合わない、いやなやつ」「気がない」「気がある」「気が強い」「気が弱い」「気が薄い」などの表現で、とくに意識しないでも夥しく使われています。  「気が散る」「気が抜けない」という表現もあります。
 或いは「その気」「やる気」あるいは「気働き」もそういう範疇にはいる。「気色ばむ」「毒気にあたる」など変調的表現にも用いられる。
 
可視できない「気」の二文字には、
 士気
 志気
 香気
 生気
 精気
 清気
 浩気
 暢気
 好気
 活気
 強気
 弱気
 覇気
 勇気
 神気
 熱気
 内気
 平気
 運気
 空気
 霊気
 天気
 妖気
 殺気
 血気
 客気
 怒気
 悋気
 男気
 狂気
 侠気
 運気
 雅気
 鬼気
 症気

 これらのなかで病気と元気が対比されますが、「気の病が病気になる」というのは古来からの真実です。 「短気は損気」も「気」が後ろにつく。「味気ない」「艶気が薄い」とか、「浮気」「色気」「女気がない」など艶聞に関係する言葉もあります。  しかし「景気」の「気」は、この場合、どういうカテゴリィに入れるべきでしょう?

 やや物理学的に言えば下記などは軽量化が可能です。
 電気
 蒸気
 磁気
 天気
 気圧
 気象
 気流
 気温  
 さて「気」が先にくる字句には
 気力
 気概
 気分
 気色
 気持
 気配 
 気品
 気功
 気味
 気運
 気脈 
 などがあり、後に具体的に検討してみたい。  ほかに中国医学には「気」が前後につく様々な専門用語(たとえば肝気、腎気など)があり、また気功には、呼吸法として内気、精気、濁気、死気、気血ならびに天の気、地の気などがありますが、ここでは触れません。
 それならば「気」とは何なのか。いったい文字による説明が可能なのでしょうか?(1月4日号に続く)