・「イギリス人ネイル・ヘイウッドの死は毒殺だ」という王立軍の証言があった!

・2011年11月、重慶のホテルで或るイギリス人ビジネスマン:ネイル・ヘイウッドが死体で発見された。
・当局は検死も行わず「アルコール中毒」による突然死と発表したが、イギリス人ら友人が英国大使館に連絡し、「かれは一滴の酒も飲まない人(Teetotaler=絶対禁酒者)だった」と証言した。
・「イギリス人ネイル・ヘイウッドの死は毒殺だ」という王立軍の証言があった!

〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
いかなるスパイ・スリラー小説より、重慶の事実は奇なり 
宮崎正弘
2012.03.27 Tuesday
 薄書記失脚、王立軍亡命未遂の裏にイギリス人の毒殺事件が隠されていた。 英国政府が中国に正式に「調査」を依頼した。その「事件」から四ヶ月を経過した2012年3月26日になってからである。
 昨十一月、重慶のホテルで或るイギリス人ビジネスマンが死体で発見された。当局は検死も行わず「アルコール中毒」による突然死と発表した。ウェッブで噂が飛び交ったが、当時は薄―王コンビが完全に重慶の公安をおさえ、情報を秘匿できた。
 中国にいた他のイギリス人ら友人が英国大使館に連絡し、「かれは一滴の酒も飲まない人(Teetotaler=絶対禁酒者)だった」と伝えていた。なぜか事件は伏せられた。
 突如、死体で発見された英国人の名はネイル・ヘイウッド。40歳代後半から50代前半。戦略的投資アドバイザーや年金運用のコンサルティングを務めており、重慶では英国ロンドンに本社を置く企業調査会社「Hakluyt&Co」に助言をしていた。「この会社はMI6の依頼で或る調査もしていた」(ウォールストリートジャーナル、3月27日)。
 ネイルは中国でちょっとした有名外国人で、その人脈の広さから、高級スポーツカー、アストン・マーチンの販売総代理企業顧問を務めたり、浙江省ギーリ・ホールディング社のボルボ買収でも、助言をした。  それなりの戦略的コンサルティングだった。
 ネイルは北京言語文化学院卒業、中国語に堪能で妻は中国人女性。  大連市長時代の薄き来と知り合い、深い交友関係にはいって、薄の二番目の妻・谷開来とのあいだに出来た息子・薄爪爪が英国オックスフォード留学のおり、背後で様々な面倒をみたという親密な関係だった。
 薄爪爪は父親を彷彿とさせるプレイボーイ、北京の米国大使館にフェラーリで乗り付け、当時の米国大使ハンツマンの娘に会いに行ったり、或るときは陳雲の孫娘とチベットへ旅行したり(その写真は多くの華紙がすっぱ抜いた)。 陳雲はトウ小平最大の政治的ライバルで『鳥かご経済』論を主唱し、トウの改革開放に反対した。
 薄爪爪は最後に米国ハーバード大学へ「留学」した。 乱痴気パーティを学生寮で開催したり、その破天荒な遊びぶりは米国留学中でも有名だった。
 薄には前夫人とのあいだに長男がおり、その子、李望知は米国コロンビア大学に留学している。
 この話を聞いた折、1982年秋に日本留学中の魯迅の孫・周令飛が台湾女性と恋仲になって台湾へ『結婚亡命』したことを思い出した。 翌年、筆者は周令飛のインタビューをしに台北へ飛んだが『わたしは亡命ではなく、台湾を旅行している』と発言し、驚かされた。  ほかの亡命者は『あの人は北京で一番最初にバイクを乗り回した遊び人だ』と批判めいたことを言った。  バイクを乗り回したくらいのこととフェラーリ大名旅行のぼんぼんとはえらい違いだ。
▼薄き来夫人は辣腕弁護士という表看板がある
 さて薄夫人の谷開来は北京でオフィスを開く辣腕弁護士としても知られる。 ネイルはこの夫人とも親しく弁護稼業のアドバイスも請け負っていた。 事件は2011年11月である。  このおり薄ファミリーの腐敗を捜査する中央からの捜査は右腕だった王立軍(当時、公安局長兼副市長)の過去の汚職に及んでいた。  王は薄に「家族、とくに夫人の醜聞を狙っている」と告げた。
 中央の政治局常務委員会で捜査を進めていたのは賀国強、捜査を妨害して薄をかばっていたのが周永康だった。 周は江沢民派である。
 北京との会話は盗聴されており、また薄側も北京の中央を盗聴していた。  薄ファミリーの汚職重慶における様々なプロジェクトや、『腐敗一斉』といって逮捕した共青団系列の人々の財宝の横領などが含まれていたといわれる。 
 薄は捜査が夫人の汚職に及んだ段階で「悪い部下をもった」と右腕の王立軍を切った。
 そこで2月6日に王立軍が成都の米国領事館へ駆け込み亡命申請の取引として、薄の腐敗、汚職の証拠を提出し、盗聴記録やら薄との会話テープも提出したことは小誌でもたびたび伝えてきた。
 じつはこの中に「ネイル・ヘイウッドの死は毒殺だ」という王立軍の証言が含まれていた。いかなるスパイ・スリラー小説より、重慶の事実は奇なり。