・胡錦涛政権は党内左派の言動を封殺した。   ネットを封鎖し、とりわけ左派のブログ(「鳥有之郷」や「毛沢東旗幟」など)を閉鎖して多くの左翼系毛沢東礼賛派ブロガーを拘束した。

・ 胡錦涛は4月9日に開催された緊急政治局会議で「徹底的に調べることが『救党救国』にある」と言明し、行政の末端にまで通達される。
 「国家」を救う前に「党」を救え、というわけである。  露骨に現在の中国共産党トップのメンタリティがでている。  習近平は薄政変でひとことの感想も漏らしていない。
・薄き来への嫌疑と疑惑が出来したのは2月6日の王立軍亡命未遂事件からだが、3月の全人代に薄き来は堂々と顔を出しており、雛壇の徐才厚(軍事委副主任、いまのところ最強の軍トップのひとり)といかにも親しげに会話しているところがテレビ中継された。
重慶における薄支持者のなかには熱烈な共産主義左派が含まれており、この層は薄の「唱紅打黒」キャンペーンで裨益した人々。
胡錦涛政権は党内左派の言動を封殺した。   ネットを封鎖し、とりわけ左派のブログ(「鳥有之郷」や「毛沢東旗幟」など)を閉鎖して多くの左翼系毛沢東礼賛派ブロガーを拘束した。
・残る問題は太子党のなかにどれほどの薄き来支持派が残存するか?である。
・形而上の深刻な対立が形而下の、シモネタに矮小化されている事実こそ、裏面で格闘された政治的確執の本質を物語っているのだ!


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
「国家」を救う前に「党」を救えの中国  
宮崎正弘   2012.04.12 Thursday
 薄(政治局員、前重慶書記)失脚の政治闘争を矮小化する官製報道に騙されるな。 路線対立、政変の深刻さを形而下の殺人、愛人、不倫、腐敗問題とすり替えている。
 薄き来の息子・薄瓜瓜はハーバード大学留学中だが、「米国マサチューセッツ州ケンブリッジの豪華マンションから消えて、一説に中国に帰国中」(多維新聞、11日)。  このマンションにはプール、フィトネス倶楽部が備わった豪華邸宅風の七階建て。 ドアマンがいる。学生の分際で?
 2011年2月に薄瓜瓜は陳雲(トウ小平最大の政敵だった)の孫娘、陳暁丹とチベットに婚前(?)旅行したおりは、公費で、しかもパトカーが四台が随行するほどだった。
 デートにしては派手すぎはしないか、とネットに批判が集中した。
 薄夫人の英国人謀殺事件は薄が直接命じたとネット上の情報が行き交っているが、新華社の公式見解は「重大な規律違反」であり「いかなる人物でも中国は(法治主義により)取り調べる」とした。   夫人が殺人(homicide)に関与したことも認めた。  博訊新聞の投書には「谷夫人と実行した使用人の張暁軍は死刑に相当する」などの書き込みが見られる。
 さらにネットでは夫人の谷開来が香港の居民証とシンガポールのパスポートを所有し、98年頃に当時保有した全財産をシンガポールに移した、英国人の殺人は2011年11月15日の事だった等の「新情報」が飛び交った。
 胡錦涛は4月9日に開催された緊急政治局会議で「徹底的に調べることが『救党救国』にある」と言明し、行政の末端にまで通達される。
 「国家」を救う前に「党」を救え、というわけである。  露骨に現在の中国共産党トップのメンタリティがでている。  習近平は薄政変でひとことの感想も漏らしていない。
 そして『人民日報』は「団結」を強くよびかけてこう書いた。「党中央の決定は正しく、党の決定に沿って改革、開発、安全を維持し、そのために団結しなければならない」(4月11日付け)。
 さて。おかしい雲行きである。  薄き来への嫌疑と疑惑が出来したのは2月6日の王立軍亡命未遂事件からだが、3月の全人代に薄き来は堂々と顔を出しており、雛壇の徐才厚(軍事委副主任、いまのところ最強の軍トップのひとり)といかにも親しげに会話しているところがテレビ中継された。
▼官場政治の演出は京劇のクライマックスに似ている
 この「官場政治」のトリックは常套手段で、軍のトップと親しい演出を見せつけ、「オレ様に手でも出してみろ、軍を動かしてみせるゾ」と胡錦涛李克強李源潮共青団を脅している図とも解釈できるのではないか。
 そして全人代最終日の記者会見で温家宝首相が『文革の二の舞はごめん』と示唆し、かつ王立軍事件の徹底調査を言明し、翌日、薄は「重慶書記」を解任された。  しかし、この時点で政治局と中央委員の資格は剥奪も停職もされていない。
 重慶における薄支持者のなかには熱烈な共産主義左派が含まれており、この層は薄の「唱紅打黒」キャンペーンで裨益した人々。  「革命歌を唱ったので健康になった」「薄の組織犯罪撲滅キャンペーンで、重慶市の治安は格段によくなった」「貧困層にも低所得者住宅を供給してくれた」などの合掌が響いた。
 3月15日から4月10日までの「激動」は一種の政変である。  軍のクーデターの動きを警戒しつつ、胡錦涛政権は党内左派の言動を封殺した。   ネットを封鎖し、とりわけ左派のブログ(「鳥有之郷」や「毛沢東旗幟」など)を閉鎖して多くの左翼系毛沢東礼賛派ブロガーを拘束した。
 その上で「ネット水軍」(偽情報を大量に発信する五毛幇らを指す)を駆使し、情報操作に取りかかり、薄を支持する左派の反動を追い詰めてから、やおら失脚の発表へといたる。 つまり左派からの反撃と軍の動きを封じ込めるために、必要な時間だったのだ。  薄ファミリーへの調査は、すでに2月時点で公安系が掌握していたのだ。
 残る問題は太子党のなかにどれほどの薄き来支持派が残存するか、である。かれらをこの政変を利用して一気に葬る必要がある。権力闘争の本質とはそういうものだから。
▼過去の失脚劇のパターンと類似点が多い
 95年、古参幹部だった陳希同失脚の直前、王実森・副市長が『自殺』した。
 王は豪邸に住んでおり(どこの邸宅かも分からないような写真が配信された)、豪華ホテルのスイートを二年間も長期契約し(どのホテルかは聞かされなかった)、愛人は16人という形而上の政治哲学や路線対立とは無縁のキャンペーンがあった。  誰一人、愛人の具体的名前は判明せず、その上で江沢民に楯突いた陳希同(政治局員、北京書記)が失脚、禁固16年。  16という数字は偶然だろうか?
 07年の陳良宇(上海書記、政治局人)失脚のときも同様な情報が流れたが、江沢民にとって陳良宇は上海における後輩でもあり、強い反撃に出た。
 胡錦涛が望んだ李克強国家主席就任のシナリオを蹴飛ばし、習近平を持ってくる。だから、この陳良宇の場合は中途半端な政変となり、彼は山東半島の刑務所で禁固18年。  
この逆転に焦った胡錦涛共青団はカナダから頼昌星を強制送還させ、厦門事件の裁判を始める。  これで福建省時代の習近平のスキャンダルをあぶり出し、かれを牽制する有力な政治武器として駆使するためである(頼昌星が主犯の厦門事件とは史上最大の密輸事件で、厦門公安部長、関税局長、警察、軍がグル。主犯六名か七名が死刑になったが、本当の黒幕は江沢民の右腕、賈慶林と言われた)
 2011年7月、浙江省温州で新幹線事故が起きた。 直前、同年二月の劉志軍(鉄道部長、江沢民派)失脚のときは、愛人18名説が一人歩きして、成長増強路線と安定第一路線という宿命的な中南海の政治対決の真相を隠した。
 つまり、これは共青団江沢民派の対決、第二幕だったのだ。  いずれも60歳をすぎたおっさん達が、そんな数の愛人を抱えることが可能だろうか?
 今回、薄き来には「愛人28人」説がネット上からも飛び出し、谷開来夫人とイギリス人との不倫説も飛び出し、『腐敗』と『不倫』と『愛人』というシモネタばかり。
 もっとも肝要な路線対立は、後方へ押しやられた。  形而上の深刻な対立が形而下の、シモネタに矮小化されている事実こそ、裏面で格闘された政治的確執の本質を物語っているのである。