・他国の顔色を窺(うかが)い自国の国土、国民を守る意識もない国は 口が裂けても 平和国家とは言えない!

・三条 健です。
・現行憲法から自由、民主主義、国民主権など多くのものを得たが、占領が終了して独立を果たした後も、経済発展に邁進(まいしん)するあまり、見失ってしまったものは大きい。
・「国家」として国土を防衛し、国民を守るという気概も、他国に拉致された国民を何としても取り戻すという気迫も今もって強く感じられない。
・最近の防衛大臣を見れば、実態が判る。
・他国の顔色を窺(うかが)い自国の国土、国民を守る意識もない国は 口が裂けても 平和国家とは言えない!
・一刻も早く、国土と国民を堅固に守る体制が求められる。その根本が憲法である。
・今の国際社会は、「諸国民の公正と信義」を信頼できる状況にはない。
・真の平和を享受するためには、外交力、国際的な情報力、防衛力、母国への思いなど、あらゆる面で常に備えていなければならない。

〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
拉致に表れた国家意識の薄さよ 
参議院議員、元拉致問題担当相・中山恭子
2012.4.30 03:03 [正論]
憲法と私
 北朝鮮による日本人拉致の問題に取り組む中で、家族を突然奪われて、途方もない悲しみに沈みながらも、冷静さと優しさを失わない多くの被害者家族の方々と出会い、被害者を帰国させなければとの思いで救出に当たってきた。
≪なぜ北の工作防げなかったか≫:
 戦後20年の頃から、仲間に信頼され、責任感の強い高校生たちが姿を消した。 1970年以降は、日本の典型的家庭で日本的な躾(しつけ)をしっかり身に着けた人々が拉致された。  印刷工や看護婦など多くの職種の若者たちも姿を消した。
 普通に生活していた人々が、外国から忍び込んだ工作員に袋詰めにされて連れ去られるなどということが各地で起きていたとは、何と情けない国か。   なぜ、日本は国民の拉致を防げなかったのか。
 北朝鮮による拉致のことを、ほとんどの日本の人々は知らなかった。 知る由もなかった。  80年1月7〜9日に阿部雅美記者のアベック拉致事件報道が産経新聞1面に載ったにもかかわらず、触らぬ神にたたりなしとでもいうように、他の報道機関が追随することもなく、この問題は沙汰やみになる。  97年に家族会が結成され、被害者家族が「娘や息子、兄弟が北朝鮮に拉致されています」と必死で訴えた際も、ごく一部の関係者を除き、行政府も政界も社会も、彼らを厄介者を扱うように門前払いにし注意を払おうとしなかった。
 被害者が北朝鮮にいると分かっていながら、なぜ日本は国を挙げて救出に当たれなかったのか。
 警察組織に欠陥があったのか。  国防力が弱いからか。  日本社会全体が冷たいものになってしまったからなのか。  多くの要因があり、全てが関わっていると考えられ、その遠因に戦後の占領政策と占領下で急ごしらえで作られた現行憲法があると言わざるを得ない。
 もちろん、我々(われわれ)日本人は現行憲法から自由、民主主義、国民主権など多くのものを得た。  一方で、占領が終了して独立を果たした後も、経済発展に邁進(まいしん)するあまり、見失ってしまったものは大きい。
≪国土、国民守る気概今も弱く≫:
 その一つが「国家」意識である。 個人の自由や権利が主張される一方「国家」というものから極力目を逸(そ)らしてきた。  「国家」として国土を防衛し、国民を守るという気概も、他国に拉致された国民を何としても取り戻すという気迫も今もって強く感じられない。
 52年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復して今年でちょうど60年になる。   40年に生まれ、戦後の惨憺(さんたん)たる日本の状態を子供ながらに見ていた者として、どのようなことがあっても平和を維持していかなければいけない、次の世代に平和の尊さを伝えなければならない、それは戦争の悲惨さを見た世代の使命であるとの思いで過ごしてきたし、今もそう確信している。
 だが、国民が拉致され他国で監禁状態に置かれたままの日本は真に「平和」だと言えようか。  他国の顔色を窺(うかが)い自国の国土、国民を守る意識もない国は平和国家とは言えない。 真の平和を維持するには大きなエネルギーが必要だ。
 四方を海に囲まれた日本は歴史上、他国の侵略を受け国が奪われる経験をしなかった。 人々は「国家」が消滅するという切迫した危機感に乏しい。 しかし、現実の国際社会では、拉致に象徴される様々(さまざま)な工作活動がなされ、日本も当然、標的となっている。 事実、北朝鮮工作員は船で日本の沖合まで来て、小舟などで上陸していた。 日本国内に他国の工作員が易々と侵入していたのである。
≪羮に懲りて膾を吹くがごとし≫:
 戦後、日本は国を守ることにあまりに臆病だ。   羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹き続けている。  真の平和を享受するためには、外交力、国際的な情報力、防衛力、母国への思いなど、あらゆる面で常に備えていなければならない。  一刻も早く、国土と国民を堅固に守る体制が求められる。その根本が憲法である。
 憲法の前文を読むと、日本の長い歴史の中で、日本の人々が培ってきた文化に基づく考え方や思想が見当たらない、自分たちの言葉ではなく、他所から借りてきた文章が綴(つづ)られていると感じ、大変残念なことだと思い続けてきた。
 前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とある。 今の国際社会は、「諸国民の公正と信義」を信頼できる状況にはない。  諸国民を信頼する前に、「国家」として自立していなければならない。   それには、自国の国民、領土・領海・領空を守ることが不可欠であり、できなければ国は消滅するというのが現在の国際社会の掟(おきて)である。  国際社会は厳しく、甘えの余地はない。
 本来、調和ある社会を重んじる日本には、国際社会でも重要な役割を果たして貢献できる文化がある。  こうした日本の精神・文化を盛り込んだ憲法を自ら制定する時が来ている。  主権回復から60年、回復したはずの主権を自ら守り切らなかったことを恥じ、まずは自らの憲法を制定しよう。(なかやま きょうこ)