・「亡国のサイクル」から離脱して、一挙に真の保守によって戦後体制から脱却する為の挙党内閣樹立!を目指せ!

・柳の下の二匹目のどじょうを願うが如き会派名称「国民の生活第一」なる国会議員の群れを生み出すに至ったスローガン、「生活第一」を、徳富蘇峯翁は、昭和二年において、「国家衰退」の象徴と斬って捨てた!
・「国民の生活第一」なる国会議員の群れが、日本国民は三年前と同様に馬鹿だから騙せると見越した上で、三年前と同じ旨味を貪ろうとする企てをしている輩であることの証しだ!
・「亡国のサイクル」から離脱して、一挙に真の保守によって戦後体制から脱却する為の挙党内閣樹立!を目指せ!






〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
「生活第一」について徳富蘇峯翁の予言
西村眞悟   2012.07.09 Monday
 手元に、林平馬著「大国民読本」という本がある。 初版は昭和二年二月二十五日発行、復刻版が平成十八年十一月十五日で、復刻者は、「日本を考える二十五日會」代表者 林愼平 福島県西白河郡西郷村後原六十六、である。
 林平馬氏のお孫さんだ。
 さて、この本には、徳富蘇峯翁の「序」があり、その中に、今の平成の風潮を予見して予め警告するが如き一文がある。   時あたかも、ともに巨大地震の四年後(昭和二年、関東大震災)と一年後(平成二十四年、東日本巨大地震)である。
 その一文とは、次の通り。
 「おもふに当今の憂いは、我が国民の志趣(ししゅ)の卑下(ひげ)なるにあり。 細屑(さいしょう)なるにあり。・・・。  かつ夫れ、国家興隆すれば、理想を以て生活とし、国家衰退すれば、生活を以て理想とす。」
 即ち、三年前に、国民の歓心を盗んで国益に反する選挙結果を招来し、今また、柳の下の二匹目のどじょうを願うが如き会派名称「国民の生活第一」なる国会議員の群れを生み出すに至ったスローガン、「生活第一」を、徳富蘇峯翁は、昭和二年において、「国家衰退」の象徴と斬って捨てているのである。
 しかも我々日本国民は、その徳富蘇峯翁の予言が正しかったことを、民主党政権の三年間で身にしみて実際に実感しているはずだ。
 つまり、「生活第一」のスローガンに踊らされてから、我が国は三年間で明らかに「衰退」の傾斜に入っているではないか。
 にもかかわらず、その与党民主党の中枢にいた者が、つまり、国家衰退の責任者が、さらに「国民の生活が第一」なる会派を名乗ることは何を意味するのか。
 夫れは即ち、彼等が、日本国民は三年前と同様に馬鹿だから騙せると見越した上で、三年前と同じ旨味を貪ろうとする企てをしている輩であることの証しである。
 彼自身が次のことを立証した。つまり、彼は、国を憂いてはいない。「自分の生活が第一」なだけだ。

 徳富蘇峯翁の一文は正しく至言である。
 明治以降の近代史を眺めても、国民は、「坂の上の雲」を目指して歩んで国家の存立を確保した。  つまり、国民が、「国家興隆すれば、理想を以て生活とした」が故に、今我々は日本の大地に日本人として生きることができるのだ。
 また繰り返す。「国家衰退の時は、生活を以て理想とする」。そして、その国家衰退のスローガンを掲げ、現実に衰退させてきたのが民主党である。
 さらに、「国民の生活が第一」を掲げてきた民主党と、この度、それを会派名称とした群れに言う。   日本国民に失礼なのが分からないのか、と。恥を知れ、と。  
  昨年三月十一日の東日本巨大地震に遭遇した被災地の国民の多くは、自らの命を犠牲にしてまでも同胞を助けようとした。
 消防警察関係だけでも、殉職者二百六十九柱。  津波に呑まれる直前まで町民に避難せよと放送し続けた若き女性のことを思うと、その命をかけた放送を決して忘れてはならないと思う。
 また、被災地において約二万人を救助し、数ヶ月にわたって不眠不休で救助救援活動に邁進した十万余人の自衛官達、とりわけ、自らの家族が被災しているのに目と鼻の先の実家に帰らず救援活動に集中し、十万余の全自衛隊が救助した二万人の四分の一に当たる四千七百七十五人を救助した九百名の郷土部隊、被災地である多賀城市に駐屯する陸上自衛隊第二十二歩兵聯隊の自衛官達。
 彼等がいなかったら、救助された二万人はどうなったのか、命を落としていたではないか。 また、福島第一発電所の原子炉の冷却は達成できたのか。
 彼等は、「生活を以て理想とする」人たち、「生活第一」に生きる人たちではない。   そして、その彼等がいるから、我が国は持ちこたえることが出来ている。
 彼等は、生活第一ではなく、国難において、世のため、人のため、お国のため、人を救う、国家を救う、この具体的で崇高な「理想を以て生活とした」人々である。
 今に継続する国難のなかで、これらの、「生活第一に」に向きもせずに任務に邁進している崇高な人々が国を支えているのに、こともあろうに公僕たる政治家が、ただ自分大事さに、国家衰退の「生活第一」を理想と掲げて選挙で歓心を買おうとする。  恥ずかしくないのか。

 最後に、この度のように、政治家がただ国民の歓心を買うが為に行動する時、政治は「亡国の選挙」を繰り返し、ついに国家を破綻させ滅亡させる。
 「生活第一」を掲げる民主党とそれを会派名にした群れは、再び国家ではなく自分たちが第一なるが故に、「亡国の選挙」を二匹目のドジョウを目指して仕組もうとしている。
 もう具体的に言う。 この「亡国のサイクル」から離脱して、一挙に真の保守によって戦後体制から脱却する為の石原慎太郎平沼赳夫、挙党内閣樹立!を目指す、歴史的な「救国の選挙」を実施する時期が熟しつつある。